23 二人の夜と明日
「だから一人暮らしだったのか……」
団子の山は、まだ減らない。
ラークは内心の苛立ちを込め、団子に向かって荒々しく楊枝を突き刺す。手元の皿に2、3個取ると、バクバクと食らいついた。
「腹立つなぁ。まったく」
「…………ラーク」
乱暴に、団子を取る。
食いちぎり、一瞬の慈悲もなく咀嚼する。
ゴクリと音を立て飲み込む。
「そうなんだよ。僕らみたいな嫌われ者はさぁ。いっつもそうなんだ。理不尽だよな。こう言っちゃなんだけど、瘴血鬼みたいに、狂って暴れてやりたくなる時もあるよ」
そう言いながら、まだまだ減らない団子の山に向かい、果敢に楊枝を刺す。
普通の人──嫌悪を向けられたことのない人には分からないだろう。周りは基本的に敵だらけ。精神的にも物理的にも、乗り越えなきゃならないコトが山のように積み上がっている。ちょうど、目の前の団子のように。
それでも。
どんなに辛くても、泣きたくても。一つひとつ噛みちぎって、咀嚼して、飲み込まなければ前に進めない。
「手が止まってるよ、エルナ」
「…………え」
「僕らは、やつけなきゃ。この団子の山を、何としてでも。笑われたって、魔導だってなんだって使ってやる」
「……いつから、そんな話になったの」
「いいから食べるよ。家庭教師命令だ。食べても食べても減らないこの理不尽な団子どもに、思い知らせてやる。後悔させてやる。よくも僕らの前に立ちはだかったな!」
「……調理したの、ラークだけど」
呆れ顔のエルナの腹に白魔導が飛ぶ。
ラークの腹からも、白い光が漏れる。
内臓が活性化された。
「……ほんとに、魔導使ってる」
「腹が立ってんだ、いろんなことに。団子には悪いけど、容赦しない。これは完全なる八つ当たりだ」
「……くくく……もう。ばか」
二人で団子に楊枝を刺す。
とうの昔に味には飽きていたが、これは食事ではない。戦いだ。
刺しては食らい、飲み込んでは刺す。
二人と団子の攻防は、それは激しいものだ。
怒っているような、笑っているような、ぐちゃぐちゃな顔をしながら、二人は一つひとつ団子を咀嚼し、飲み込んでいく。
「ゴキヴリで悪いか! んぐっ」
「……ネズミもわりと可愛いのに。はぐっ」
「気持ち悪いってなんでだよ! んんっ」
「……私、そんなに汚くない。あむっ」
完全にやけっぱちだ。
クロバというツッコミ役が不在の状態で二人を放置すると、こんなことになってしまうのだ、ということが初めて判明した瞬間である。
「……私、臭くない。はむっ」
「そうだ、むしろ良い匂いだ! むぐっ」
「……それほんと? あむっ」
「あ、えっと、うん……。はぐっ」
「……この前、私の服、嗅いでた。はむっ」
「えっ、あ、あれ──やっぱり見られてた?」
「……手が止まってる。あむっ」
生命属性の白魔導で胃腸の消化を助け、強化属性の赤魔導でアゴの噛む力を強化する。ただ、精神属性の青魔導で食べたい気持ちを誘導したり、時空属性の黃魔導で団子の空間を圧縮したりするのは、なんだか負けたような気になるためやっていない。
ちなみに、現象属性の黒魔導で団子を浮かせると、単純に楊枝が刺さりにくいだけだ。
「料理に毛虫を混ぜるな! はぐっ」
「……気に入ってた服、捨てないで。はむっ」
「生ゴミを投げつけるな! んぐっ」
「……いちいちアルマと比べないで。あむっ」
二人の勢いに観念したのか、団子の山はどんどん小さくなっていく。
「僕のエルナを虐めるなっ! はむっ」
「……そう。私はラークのもの。あぐっ」
「あれ、そういう話? んぐっ」
「……いい加減、責任とって。あむっ」
大皿の底が見えてきた。
気づけば残りは5つ。3つ。1つ。
最後の一粒が、エルナの喉を通る。
「……ふぅ。ほんとに、全部食べちゃった」
「やればできるもんだな。でも、苦しい」
「私も……少し、横になるね……」
揃ってフラフラと席を立つ。
団子の山に完全勝利して、何だかおかしな気分になって、二人はクツクツと笑いながら、片付けもせずにダイニングを去る。
くっついたまま、二人でソファに転がる。
物理的な距離はいつになく近いが、ポッコリお腹を抱えた二人の間には色気もへったくれも漂っていない。
無言の時間。
どちらからともなく、触れた手を握る。
視線が交じり、小さく笑い合う。
「……ラーク」
「ん?」
「……私。逃げない、から」
そんなエルナの言葉を、やっぱりそうか、という思いで受け取る。
「……前に、ラークが言ってくれた。自分の生きる意味は、自分で見つけるものだって。ラークは、私がそれを探すのを、手伝ってくれるって」
「あぁ」
「すごく嬉しくて。心がポカポカに暖まって。だからずっと、私はラークと一緒にいて、幸せで」
ラークの胸に、エルナの小さな頭がこてんと寄りかかる。石鹸の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「アルマを見捨てて逃げたら……たぶん一生、生きる意味を見つけられない」
「それは──」
「この先誰かに『生きてる意味ない』なんて言われた時に……私自身が『そうだよね』って納得してしまう。それだけは、分かる」
本来なら難しく考える必要はない。
自分の命を優先するのは当たり前のことであるし、危険から逃げるのも、身代わりを嫌がるのも、人として普通の感情だ。
それでも、そんな理屈を飛び越えて。
ラークにはエルナの考えが痛いほどわかってしまう。頭で何を考えたって、心の奥底では、やはり自分の意味を信じきれないでいるのだ。
後ろ向きで、不器用で、生真面目で。
「だから、逃げない。逃げられない」
「エルナ」
「……でも……怖い」
エルナの手が、体が震える。
ラークはとっさに彼女の肩を抱く。
「……決めたのに……怖いの」
「エルナ」
「……私、死ぬかもしれない。瘴血鬼になるかもしれない。そうなったら、私は私でいられるのかな。それとも、全く別の私になるのかな。怖いよ。ラーク。怖い……」
抱きよせた腕の中。
エルナは体中を大きく震わせ、ラークの胸元にしがみつく。当たり前だ。彼女は15歳の少女でしかないのだ。
「怖いよぉ……嫌だよぅ……」
顔は見えないが、泣いているのだろう。子供がグズるような震えて掠れた鼻声に、ラークの胸は締め付けられる。
「なんでいつもアルマだけ……ズルいよぉ……どうして私は、生きてちゃいけないの……誰も、愛してくれないの……」
「エルナ。僕は──」
「ラークもだよ……分かんないよぉ……ラークの心波に触れたら、私はラークを嫌いになるかもしれない。だから、踏み込めない。深い関係になるべきじゃない。そう思ってるのは、知ってる。けど……私は、知らないよぅ、そんなの……」
エルナは、掴んだラークの服をぎゅうぎゅうと締めつける。泣き声をあげ、息苦しそうに。
「未来なんて知らないよぅ……私は、明日で終わっちゃう、かも、しれないのに……あぁぁぁぁぁぁぁぁ──」
限界だったのだろう。
エルナは悲痛な叫びをあげ、ただラークにしがみつく。
エルナが壊れてしまう。
そう感じたラークは、覚悟を決めた。
今、この時のための魔導なのだ。
青魔導適性の高いエルナ。その精神に干渉するには、心の扉をこじ開けるには、何か強い衝撃を与えることが必要だ。
だから。
……だから。
何秒だろうか。何分だろうか。
エルナの体を抱え込むようにして強引に重ねていた唇を、ゆっくり離す。
「………………どうして」
「その……少しは、落ち着いた?」
「私を、落ち着けるのに、キスしたの?」
「いや。そうじゃなくてさ」
もう一度、唇を重ねる。
抵抗はされなかった。
柔らかくて、温かい。
花蜜がフワッと香る唇。
ずっと前から、焦がれていた。
頭が痺れ、顔は火照り、心臓が高鳴る。
「もう──いいかな。襲っても」
「…………ばか。聞かないで」
ラークは、エルナの体に手を伸ばす。
少し震えながら、服の紐を解いた。