22 嫌われ者のお姫様
二人で何度かおかわりをして、それなりに腹も満たされてきた頃。肉麺をゴクリと飲み込んだエルナは、改めてラークに問いかけた。
「……それで、アルマは?」
「あぁ。今はティコ婆さんが診てる」
「……様子は?」
「良くも悪くも安定してるよ」
瘴血鬼に捕らわれていたアルマ。
保護した時からずっと彼女の目は虚ろで、誰の呼びかけにも反応しない。体からは瘴気がにじみ出ていて、下手に触れると瘴気がこちらへ侵食してこようとする。
全く平気なのは、ラークとティコ婆さんくらいだ。
アルマを救う期限は──つまり、瘴血鬼に変異するのは、おそらく明日の夕刻あたりになるだろう。
「……アルマを助ける方法は」
「それは──」
「私は……何をすることに、なるの」
瘴血鬼クレルヴォの言葉。
アルマを助けるためには、双子の姉であるエルナに瘴気を肩代わりしてもらうしかない。それは、ある意味で間違ってはいないものの、全てではない。
事態はもっと複雑なのだ。
「ティコ婆さんから教えてもらった。冒険者ギルドの研究によれば、人を瘴血鬼化する方法は大きく二つある」
ひとつ目は、瘴血を流し込んで眷属にする方法。
襲われ、首元などに無理やり噛みつかれ、瘴血を流し込まれる。すると、その者は理性を失い暴れる瘴血鬼となる。
これは「眷属化」とも呼ばれているが、この方法で変異した者はそこまで対応に苦慮しない。力もさほど強くなく、自分を瘴血鬼にした「親」に従う奴隷のような存在だ。
問題はふたつ目。
生きている間に一定以上の瘴気を浴び、死によって瘴血鬼になる方法である。
その者は、命を手放して変異すると同時に、体から大量の瘴気を放出する。当然、周囲にいる生き物を巻き込むことになる。
「クレルヴォの言っていた『闇生み』とはおそらくこの現象のことだ。闇を生む『闇巫女』としてエルナを変異させるのが奴の狙いだろう」
「……どうして、私なの?」
その問いに、ラークをまっすぐエルナを見返す。
どうも、闇巫女に仕立て上げるのは、誰でも良いというわけではないようなのだ。
「放出される瘴気の量や濃度には個人差がある。そして、最悪の瘴気を放出する条件が、三つ確認されている」
「……最悪の……条件」
「あぁ。ひとつ、その者がトーテム覚醒直前であること。ひとつ、現世に強い恨みを持っていること。ひとつ、女性であること」
その条件を満たす者は、大量の瘴気を生み出しながら瘴血鬼へと変異する。エルナほど条件が揃っていれば、この都市を飲み込むほどの濃い瘴気を生むのではないか、というのがティコ婆さんの見立てだ。
瘴気を浴びた住民からは再び瘴血鬼が生まれ、そいつらもまた瘴気を放出する。この都市は人の住めない場所になり、瘴血鬼の棲家となる。
「……なるほど。だから、私を狙ったの」
「住民を焚きつけたのも、恨みを深くするためだろう。奴はエルナを絶望させようとしてるんだ」
エルナほどではないが、アルマにも合致する条件が多い。このまま瘴血鬼化すれば、深刻な被害をもたらすだろう。
アルマを殺してしまうことは出来ない。
瘴血鬼になるのは、死の際だからだ。
ラークは息を吐き、目を閉じる。
「……アルマを助ける方法はある。ただ、それは奴が言うように、エルナを危険に晒す方法だ。ティコ婆さんが手伝えば成功率は上がるらしいけど、失敗すれば奴の思う壺。エルナが瘴血鬼化する、最悪のシナリオが実現する」
無事に済むのは、トーテム覚醒者くらいだろう。理由は不明だが、トーテムに覚醒した者は瘴気への高い耐性を持つようになるらしい。
「ごちゃごちゃ言ったけど。僕の提案はひとつだ」
ラークはエルナの手をつかむ。
絞り出すように声を出した。
「このまま二人で逃げよう。妹のアルマより、この領都の誰より、僕はエルナに生きていてほしい」
沈黙。
二人は見つめ合う。
ラークの本心だった。
騎士たちの中に、エルナを気遣うような発言をするものはいなかった。それどころか、市民は領主館の前に集まって叫ぶ。曰く、アルマ様を救ってくれと──つまりは、エルナに犠牲になれと。
こんな者たちのために、エルナが苦しんでやる必要はない。ラークの力があれば、逃げた先でもどうにか生きていけるだろう。
エルナは黙って立ち上がる。
その表情は、一緒の生活が長くなり、ずいぶん感情を読めるようになったラークにすら分からない。笑いをこらえているような、怒りだしてしまいそうな、泣きそうになっているような、様々な感情の入り混じった顔をしていた。
キッチンの方へと歩いていく。
保冷庫を開ける。
「……ふふ……くくく」
「エルナ?」
エルナが笑い声を漏らす。
保冷庫の扉が閉まる。
戻ってくるエルナは、大きな皿を抱えていた。その上には、さきほど作った団子の山。
「……ラーク……作りすぎ」
「まぁ、足りないよりいいだろ」
「……食べきれないよ。こんなの」
そう言って、テーブルの真ん中に大皿をドンと置く。手元の小さな取り皿に花蜜を入れ、からめながら食べるのが二人の流儀だ。
あらためて団子の山を見る。
肉麺で腹の膨れた今、確かに二人がかりでもそう食べ切れる量ではないだろう。
「……どうするの? これ」
「んー、いざとなったら、白魔導でも使うよ。内臓を活性化させて消化を早めれば、何とかなるだろうし」
「……団子を食べるのに、魔導使うの?」
「うん。白魔導の訓練として見ても、けっこういいやり方だと思うんだよな。まぁ、他にやってる人は見たことないけど」
「……くくく……そんなの、ラークだけだよ」
エルナは椅子に座り、可笑しそうに肩を揺らした。
ラークはキッチンから花蜜と楊枝を持ってきて、エルナのすぐ横に腰掛ける。
「……ラークだけだよ」
「そうかな」
「……逃げよう、なんて私に言ってくれるの。ほんとに、ラークだけ」
横顔を見る。
エルナは少し寂しそうに目を伏せ、楊枝を持った手を団子の山に伸ばす。花蜜をからめ、口に放り込む。モキュモキュと咀嚼しながら、口角を少しだけ上げる。
ラークは気の利いたことも言えないまま、おずおずと団子に手を伸ばす。
「……私。口下手、だから」
「うん」
二人で団子を食べながら、少しずつ、ゆっくりと会話をする。言葉を急かすような者は、この場にはいない。
「嫌なこと……とか……言えなくて……」
「あぁ」
「……性格。暗いし。愛嬌もないし」
「うー、あーっと」
「……大丈夫。ここで上手く慰めるような、コミュニケーション上級編。ラークには、求めてない」
「あー……なんかごめん」
「……ふふ。いいよ。ただ聞いてくれれば、いい」
エルナは団子を口に放り込む。
ラークはコップ2つに黒豆茶を注ぐ。
どこか気の抜けた空気が流れる。
「……独りの時間が長いと……考えちゃう」
「考える?」
「うん……何のために、生きてるんだろう。私に、何の価値があるんだろう。貴族の生まれに甘えて、働かず、誰の役にもたたず、みんなに嫌われて。ご飯を食べて、息をしてるだけ。惰性で生きながら。ずっと、ずっと。そんなことばかり、考えてた」
ふぅ、と息を吐き、黒豆茶を啜る。
再び団子を口に運ぶ。
そんなエルナを見ながら、ラークは自分の昔を思い出していた。普段は割とのん気なラークだって、やはり似たようなことをグルグルと考えてしまうことはある。
ラークの場合は、軍学校で強制的に訓練に追われていた。だから、ある意味で気が紛れていたのもあるのだと思う。
エルナは小さく笑みを浮かべる。
小動物のような顔で、頬に団子を詰めた。
「……喜ばれちゃった、んだ」
「え?」
そう言うと、エルナは軽くため息をついた。
「……死んだお母様は、平民だった。使用人として働いていたところをお父様に見初められたって。だから、私もアルマも政略の駒としては微妙な存在。トーテム特性を抜きにしても、私は表面的な身分ほど大事にもされていない」
「そうなんだ」
「……うん……麺料理に、ミミズが入ってたり。すれ違いざまに、ドヴネズミ姫って罵られたり。お風呂上がりなのに、薄汚いって言われたり。露骨な嫌がらせを受けても、その使用人たちが咎められるようなことは、なかった」
なんでもない事のように、呟く。
ラークはその光景を思い浮かべる。なぜだろう。自分が似たようなことをされていた時より、エルナの話の方が腹立たしい。
「悪気はなかったんです、なんて謝られながら、わざとらしくゴミをぶつけられたり…………私は、そういうのに、嫌だって、言えなくて」
「うん」
「……でもある時、勇気を振り絞って、言った。もう、この家で暮らしたくない……って。そうしたら」
エルナは、団子に楊枝を突き刺す。
花蜜を雑にからめる。
「……そうしたら、喜ばれちゃった。それで、あっという間にこの屋敷が建って、荷物が運び出されて……こんなことなら、家事の仕方くらい、勉強しておけばよかった」
口の中に団子をパクパクと詰め込む。
急いで入れ過ぎたのだろうか、ゴホゴホと咳き込み、慌てて黒豆茶のコップに口をつける。
ラークは彼女の背をトントンと叩く。
「……ねぇ、ラーク。そのとき、使用人たちから何て言われたと思う?」
「さぁ。想像もつかないけど」
「ありがとうございます──って。屋敷を出ていってくれて、ありがとう、なんだって。使用人に感謝されたのなんて、それが最初で最後……私はいつも、いなくなった方が、喜ばれる」
エルナの手が止まる。
下を向く。
前髪が垂れ、表情が隠れる。
「……ふふ。酷い話」
震えた声で、小さく笑った。





