21 久しぶりの生活
領主館の庭にある、静かな林。
その中に建つエルナの屋敷に向かって、ラークは一人歩いていた。
『エルナ様の家庭教師なんだろう!?』
『説得は君の手にかかってる──』
街の人にかけられた言葉を思い出し、ラークは深いため息をついた。
屋敷のそばに警備の騎士が立っているのは、エルナを守るためだろうか。それとも、エルナを逃さないためだろうか。疲れ切った顔から、その内心は伺えない。
既に夕刻、空は薄暗い。
屋敷の周囲はしんと静まり返っていて、建物から明かりが漏れてくることもない。夏だというのに、空気がやけに冷たい。
入り口の引き戸をガラガラと開く。
玄関の魔灯をつける。
「ただいま、エルナ」
ブーツの泥を落とす。
リビングへ繋がる扉を開けた。
部屋の中は、最低限の魔灯しか点いておらず、かなり薄暗い。綺麗に整理整頓された室内も、今ばかりは快適な空間ではなく、どこか重々しさを感じられた。
ソファの上の少女。
エルナは既にラフな作務衣に着替えていて、分厚い本をペラペラとめくりながら、ちらりと視線を上げてラークを見た。
「…………おかえり」
いつもと変わらない声の調子に、ラークは少しだけ胸をなでおろす。
「ただいま」
「……アルマ、どうだった?」
「今日のところは大丈夫だって」
瘴気は夕刻から夜にかけて活性化する。アルマを助けるにしても、明日の朝から始めたほうがいい。そういう判断のもと、エルナは一足先に捜索隊を抜けて自分の屋敷に戻ってきていたのだ。
「まぁ、話はあとにしようか。とにかくお腹がペコペコだから、晩ごはんにしよう」
「……分かった」
エルナは読んでいた本にしおりを挟み、三ヶ月ほど前に新設した本棚へと収納する。
なにせ、本をそのへんに放って置くと掃除魔から叱られてしまう。家をきれいに使うのは、普段からの心がけが大事だ。これは家庭教師以前に人として云々と、小一時間の説教が始まるため、多少面倒でも逐一片付ける方が結果的には楽なのである。
リビングの魔灯の光量を上げる。
キッチン、ダイニングの魔灯を点ける。
ラークは保冷庫の扉を開けた。
「うわ。食材がだいぶ傷んでるな」
「……帰ってきたの、久しぶり、だから」
「そっか。僕が拘束されてる間は、居住館の方で暮らしてたんだっけ」
変色した生肉、固形化した山羊乳、妙な臭いを放つキノコや、奮発して買った生魚だったものも容赦なく捨てる。
思えば、釈放されたのは今日の朝なのだ。
アルマの捜索や瘴血鬼との戦闘、その後の対応などでバタバタしていたが、本来ならもう少しのんびりしてもいい立場のはずだ。
それが、気がつけばキッチンに立ち、今までと変わることなく料理を始めようとしている。
ラークは白い前掛けを身につけながら、使えそうな食材を並べる。と、エルナがひょこっと顔を出し、ラークの手元を覗き込んだ。
「……足りる? 食材」
「十分。乾き物ばっかりだけどね」
鍋に水を張り、火にかける。
干し肉をポイポイとちぎり入れる。
出汁を取るためだ。
高級料理であれば出汁を取った後の肉は捨てるのだろうが、少なくともラークの料理ではそんなもったいないことはしない。限られた食材の中、貴重なタンパク源だ。
出汁を取るには少し時間がかかる。
もう一つ別の鍋で湯を沸かしながら、ボウルの中で穀物粉と水をこねる。
「……何つくるの?」
「団子を作って冷やしておこうと思って。花蜜も残ってるから、食後のデザートにね」
「……ラークは料理の申し子。甘党の王」
「本職に怒られそうな称号だな」
家庭で作れるお手軽団子だ。
手のひらで丸く成形し、沸いた湯の中にまとめて放り込む。だんだん浮かんでくる団子を摘み上げ、中まで火が通っているか確認する。茹で上がったら掬い上げ、少しのあいだ水にさらす。
まだ熱い団子を一つ、スプーンに乗せた。
花蜜をかけてエルナに差し出す。
「味見」
「……………………ん」
「どう?」
「……わからない……もう一つ」
「だめ」
「……けち」
顔をトロトロに溶かしているのだ。
その表情だけで、味見役は十分である。
何回かにわけて団子を茹でる。
ありったけの穀物粉を贅沢に使ったため、思いのほか大量の団子が出来上がってしまった。食べきれないかもしれないが、ひとまず保冷庫へと入れておく。
その頃、もう一つの鍋では、干し肉からいい出汁が出てきていた。美味しそうな香りがキッチンに漂う。
「……こっちは、何にするの? すいとん?」
「乾麺があったから、今日は麺かな」
「……肉麺。久しぶり」
「またそんなに緩んだ顔を」
乾麺や乾燥野菜を鍋に放り込む。
太い麺だから、柔らかくなるにはまだ時間がかかるだろう。
ラークは手早くお茶の準備をする。
黒豆を軽く炒って、香ばしい香りが漂ってきたところで火を止める。すり鉢に入れてすり潰し、小さな布袋に入れ、口を縛り、水差しに沈める。
煮出して作っても良いのだが、夏の暑い時期は水出しで作っても美味しい。
白いエプロンを着けたエルナは、先程の団子を茹でた鍋、黒豆を炒った鍋などを水につけ、粉洗剤と古布でゴシゴシと洗う。
「……久しぶり」
「ん?」
「……ご飯。一緒に食べるの、久しぶり」
「あぁ、そうだな」
ラークは麺の茹で具合を確認する。いくつかの調味料を手に取り、スープに味付けをする。
その間に、エルナは庭に出て花を一輪摘んできていた。テーブルに小さな花瓶を置き、敷布を並べ、その上にスプーンとフォークを置く。
「エルナ、できたよ」
「……いい匂い」
エルナはどんぶりを二つ持っていき、手渡す。
ラークの外した前掛けを受け取り、自分の脱いだエプロンを畳むと、いつもの棚にしまった。
「……ところで」
「ん?」
「……どうして、クロバは、静かなの?」
『いや、お邪魔かと思ってな』
「……?」
『まぁ、ひと言だけ言わせてもらうと──』
クロバの声には、少しだけ呆れたような、それでいて少し楽しそうな色が混ざっている。
たっぷりと溜めをとり、二人に向かって、ひと言。
『──新婚かっ!!?』
きょとんとして顔を見合わせる二人。
揃って首を傾げ、ぼんやり宙を見て考えた後、何事もなかったかのように肉麺入りのどんぶりを運んだ。
またクロバがなんか言ってる、くらいの扱いだ。
『お前らは相変わらずだなぁ。まぁ、今日のところは、なんつーか。俺はいないものと思って二人で過ごしな』
「んー?」
「……よくわからないけど、わかった」
クロバは盛大にため息を吐いた。
追い詰められている状況や、久しぶりの食卓。そういった諸々を加味し、今日のところは二人で過ごさせてやろう、という考えなのだろう。
一方のラークとエルナは、やはり何も分かっていなさそうな顔をしている。出来たての肉麺の入ったどんぶりを持ち、いつもと同じように席に座った。