20 瘴血鬼
敵地に乗り込むラークは、傍から見れば気楽に歩いているようにしか見えないだろう。
時空属性の黄魔導〈百眼〉。
実際は、周囲の空間を把握する魔導を使いながら、襲撃を警戒して慎重に進んでいる。
屋敷の扉が開く。
一人の男が、同様に気の抜けた様子で現れた。
その体からは闇色の霧がにじみ出ている。
「早えよ。今朝釈放されて、まだ昼前だろ」
「あぁ。この急展開には僕も驚いてるよ」
視線が鋭く交じる。
だというのに、出てくる言葉はどこか現実味がなく、まるで長年の友人と話すかのごとくスラスラと出てきた。
二人は同時に立ち止まる。
「アルマは?」
「この中だ」
「返してもらっても?」
「あぁ。いいぜ」
左手足を前に出す半身の姿勢。
よく似た構えをとり、同時に笑う。
「もちろん、俺を倒せたら、だ」
「だろうな」
刹那。
地面が破裂する。
広い庭を、二つの影が交差する。
現象属性の黒魔導で周囲の石や木片を念動し合いながら、強化属性の赤魔導で縦横無尽に駆け回る。飛んでくる左足を避け、突き出した右手を弾かれる。
二人の戦闘スタイルは酷似していた。
すなわち、魔導を用いた格闘。
静止。
互いに構え直す。
「六色、こんなもんかよ」
「けっこうやるね、瘴血鬼」
再び地面が爆ぜる。
急制動で疲労した肉体を生命属性で白魔導しながら、精神属性の青魔導で次の手を読み合い、牽制し、誘導する。
男の突き出した左拳。
ラークは両手で受け止めるが、その勢いに弾き飛ばされてしまった。瘴気による強化は、その者の実力を何段階も引き上げる。
「瘴気ってのは、厄介だな」
「はっ。瘴気だけじゃねぇ。俺自身それなりに鍛えてんだよ」
ラークは男の蹴りを飛んで避ける。
悪手だ。
二撃目の蹴りを空中でまともに食らう。
宙を舞い、地面に片膝をつく。
「久々の強敵だ。君、名前は?」
「──クレルヴォだ」
「覚えておくよ。僕はラークだ」
「知ってるよ。こっちは拍子抜けだ」
クレルヴォは少々落胆している様子だ。
戦闘狂とまでは行かないまでも、ラークと闘うのをそれなりに楽しみにしていたのかもしれない。
ラークは駆けまわり、背後を取ろうとする。
が、クレルヴォは余裕を持って追従してくる。
「クレルヴォ。君の目的は──」
「言うと思うか?」
「アルマ。だけじゃない」
「ふん」
ラークの回し蹴りは、片手で受け止められた。
ニヤけるクレルヴォ。
その目を、ラークはジッと覗き込む。
「──エルナ、ローデント家、それに領都」
「ちっ。どこまで掴んでんだ」
「ローデント領、帝国全土」
「ん?」
「ふーん、これは違うか……」
クレルヴォの前蹴り。
ラークは一歩下がる。
「ターゲットがこの領都だとすると」
「てめぇ。まさか読心んでんのか」
「アルマをさらった理由は──」
「──黙れ黙れ黙れ!!!」
クレルヴォが叫びながら振り回した四肢は、ことごとく弾かれ、誘導され、空を切る。同時に、大きな石がいくつか念動んではこめかみを打つ。
クレルヴォが硬直する。
ラークの抜き手がその喉に刺さった。
「ガッ……」
「魔導も格闘も中途半端。弱いな」
「──手ぇ抜いてやがったのか」
「クレルヴォだっけ。君、青魔導適性が高そうなのに、なんか読みやすいんだよな。エルナの方がよっぽど読めないよ。油断させて、今のうちにいろいろ聞き出しておこうと思ってさ」
クレルヴォが構えた一瞬の隙。
地面が破裂し、ラークの足がクレルヴォの背中に刺さる。
「くっ。ふざけ──」
「で、エルナに何する気だ?」
クレルヴォの鋭い突きは、届かない。
ラークの放った蹴りが、一瞬早くクレルヴォの顔面を貫く。その衝撃で力の抜けた腕を、流れるように掴みとり、背負って地面に叩きつけた。
関節を極め、拘束する。
クレルヴォの呼吸が荒れ、額に汗がにじむ。
「っく。なんで俺は六色相手に油断なんか」
「そんなの誘導したに決まってるだろ」
「反則すぎんだろうがよぉ」
「ところで『闇巫女』『闇生み』って何?」
「くっ、読心むんじゃねぇ──」
ふと、手応えがなくなる。
クレルヴォの体は闇色の霧になり、少し離れた地点へとその身を移動させる。
ラークは驚き、身構える。
「瘴血鬼って、そんなことまでできるのか」
「ハァ、ハァ……はは、まだ本気はこれからよ」
立ち上がったクレルヴォが瘴気を纏う。
ラークもまたマナを集める。
あたりを静寂が包む。
『ガガガ、ガガガガガガ』
そこへ、トーテムの声が響いた。
クレルヴォのものだろう。
内容は聞き取れない。それでも、クレルヴォを心配するような、慰めるような、熱くなるのを諌めるような。そんな不思議な響きを持って聞こえる。
「──うるせぇ、シュナーブ!」
『ガガガガガガガガガガ』
「あぁぁぁぁ、くそがっ!」
クレルヴォは叫ぶ。
何かをする気だ。
ラークは大地を蹴る。
が、クレルヴォの術発動の方が早い。
「──〈霊装〉」
「っ!?」
背中に黒い翼が生えた。
ラークがたどり着くより早く、彼は翼を翻し、空高く舞い上がる。
操霊術〈霊装〉。
それは、召喚とはまた違ったトーテムの使役法。トーテムの力を体の一部に纏い、人間の能力範囲を超えたことができるようになる術行使だ。
『ガガガガガ』
「黙れ。今六色を相手にすんのは、俺のワガママだってんだろ。分かってんだよ、んなことは」
ボヤきながら、クレルヴォは高くへと上る。
「さすが強えな、六色。実は瘴血鬼化する前から、俺はお前に憧れててよ。ファンなんだ。一度闘ってみたかったんだが、いやぁ想像以上だ」
「え、えぇぇ」
「だが、今回は俺の勝ちだな」
そう言うと、空中を旋回し始める。
その軌道に沿って、空中に魔術陣が描かれ始める。何かをする気だ。
これまで黙っていたクロバが話し始める。
『ラーク。大丈夫か』
「あぁ。だけど奴はかなり強いよ。この場の騎士じゃ歯が立たないと思う」
『渡り合えんのはお前と婆さんくらいか』
騎士たちに目を向ける。
彼らの驚く様子を見るに、二人の戦いを目で追えたものすら少ないようだ。
「それより、奴が空中に描いてるあの魔術陣」
『あれは……拡声の魔術だな』
「目的はわからないけど、とにかく止めないと」
声を大きく響かせるためのもの。
黒魔導と同じ現象属性の魔術だが、あれ自体に攻撃性はない。
ラークが黄魔導〈障壁〉で空中に足場を作ると同時に、クレルヴォの声が響き渡った。
『よく聴け、人間ども。俺はアルマ嬢を拐った者。瘴血鬼ってぇ存在だ』
遠くの方で、民衆がざわめきを上げるのが聞こえる。クレルヴォの声は都市中に届いているのだろう。屋敷を囲む騎士もまた、空中を見上げている。
『悔しい限りだが、ローデント家はアルマ嬢を取り戻した。いやぁ、参った。彼女はやはり、この都市にとって必要な存在ってことだな。ここまで皆から愛される貴族令嬢も珍しいぜ』
ラークは急いで障壁を駆け上がる。
直感が告げていた。
クレルヴォの口を急いで塞がなければ、マズいことになる。
『一つ残念なお知らせだ。せっかく助けたアルマ嬢だがなぁ、大量の瘴気を吸い込んで、俺と同じ瘴血鬼になりかかってんだ。順当にいきゃ、明日には変異するだろう。つまりなぁ、このままじゃお前らの大好きなアルマ嬢は死んで、俺たちの仲間になるってこった』
空気が震える。
民衆の怒りや憎しみが、地鳴りのようにラークの耳まで届く。
ラークは宙を跳ねる。
しかし、翼を持つクレルヴォの機動力には全く追いつくことができない。
クレルヴォの声は続く。
『なんだなんだ、そんなに怒声をあげて。怖えなぁ。みんなそんなにアルマ嬢が好きなのかよ。ったく…………仕方ねえな。じゃあ教えてやるよ』
ラークは焦る。
この先の展開が読めたのだ。
黒魔導〈雷火〉を飛ばす。
クレルヴォは空中を飛び回り、余裕を持って避ける。
『ひとつだけ、アルマ嬢を救う方法がある』
クレルヴォの翼から、黒い羽根が雨のように降り注いだ。ラークは障壁から足を踏み外し、地上に向かい落ち始める。
『簡単な話だ。アルマ嬢の体に溜まった瘴気を、他の誰かが引き受けりゃいい。あぁ、誰でもいいってわけじゃねぇ。近い性質を持つ親しい誰か。そう、例えばよぉ──』
ラークはナイフを念動げる。
届かない。
『──双子の姉のエルナ嬢ならバッチリだなぁ。彼女が瘴気を引き受けてくれりゃ、アルマ嬢は助かるぜ。俺たち瘴血鬼にとっちゃ、別にエルナ嬢が変異するんでも構わねぇからよ』
ラークは落ちた。
激突とともに、地面に大穴があく。
『街のみんなでエルナ嬢を説得しろよ。それから、エルナ嬢が命惜しさに逃げねぇようにだけは、みんなで見張っておいてくれよな』
そう言い残すと、クレルヴォは空高く舞い上がり、小さな点となって都市の外へと飛んでいった。