2 領都ローデンティア
帝国貴族の家柄には格付けがある。
大きく、金級・銀級・銅級の三種だ。
その中でも銀級貴族といえば、帝国内に三十ほどある領地や、主要産業の管理を任される名門だ。
ローデント家の領地は、南東地方にあった。
領都ローデンティアを中心に、何十かの町村がポツポツと点在している。胸を張って自慢するほど広くはないが、卑屈になるほど狭くもない。また、帝都ほどの賑わいはないが、牧歌的と言うほどの田舎でもない。言ってみれば、ごく普通の領地だろう。
乗り合いの一角獣車は、数人の客を乗せてガタガタと街道を進む。
ラークは近くの木窓を開けた。
頬を撫でるぬるい風は緩やかな眠気を運んでくる。
──順調にいけば到着は昼頃か。
帝都から二週間ほどの長旅だった。
さすがに体が痛い上、暇つぶしの書籍もすっかり読み切ってしまった。車内でできる魔導訓練もいい加減飽きてしまっている。
水のボトルを傾け、乾いた喉を潤す。
ふと視線を感じ横を向く。
小綺麗な身なりのお爺さんが、ラークを見てニコリと笑った。
「やぁ。君は何をしにローデンティアへ?」
「?」
「あぁいや、怪しい者じゃない。ただ、少し暇でねぇ。ジジイの雑談に付き合ってはくれんか」
「はぁ……」
八人乗りの一角獣車には、ラーク以外に三人の乗客がいた。身長30センチほどの小人の少女。ラークより若干年上だろう眼鏡の青年。そして、話しかけてきたお爺さん。
お爺さん以外の二人は目を閉じて眠ってしまっている。そのため、話しかける相手がラークしかいなかったのだろう。
「私は、こう見えて貴族でね──あぁ、気は使わんでくれ。ただの銅級貴族、しかも平民出の成り上がりさ。商売で少々儲けすぎてね、身を護るために金で貴族籍を買ったのだ」
「はぁ、そうなんですか」
お爺さんの服は旅装ながら高価に見える。
滑らかな布地、細部まで凝った装飾。体にピッタリ合ったシルエットからして、やはりオーダーメイドだろうか。
「帝都で商売をしていたのだが、私もいい年だ。店を息子に譲ってね。老後の蓄えも十分。故郷に戻って、悠々自適な生活を送ろうと思っているのだよ」
「それは……よかったですね」
「あぁ……」
「……」
「……」
会話が終了する。
なんとなく気まずい空気が流れ、ラークは心の中で謝罪しながらそっと視線をそらす。
ゴールのある議論や交渉事などはまだ良いが、目的のない雑談というのはラークが最も苦手とするものだ。
『ラーク……。このコミュニケーション能力で、本当に家庭教師をやろうと思ってんのかよ。お前、もうちょっとこう、あるだろ』
クロバの呆れ声。
窓の外に目を向ける。
『別によぉ、スムーズに和やかに会話しろなんて高度なことは要求してねぇんだ。もう少しだけでいいから、会話を頑張る姿勢を見せろって』
ラークは考えていた。
軍学校では確かに周囲に嫌われまくっていたが、現在はちゃんと嫌悪感を制御している。お爺さんだって普通に雑談をしたいだけだったのだろう。
これから家庭教師を始めるのだ。会話を続ける努力は、なんにしろ必要になる。
視線をお爺さんに戻す。
これは練習だ。うまく会話できなくてもいい。誰に迷惑をかけるわけでも、金銭的・肉体的な害を被るわけでもない。落ち着いて、自分の精一杯の会話スキルを発揮するのだ。
今は苦手でも、一歩一歩前進していくしかないのだから。
ラークは勇気を振り絞って口を開く。
「家庭教師」
「んあ?」
「あ、いえ」
「……?」
会話が終わった。
一応「何をしにローデンティアへ行くのか」というお爺さんの問いへの回答だったのだが、これだけで伝わるはずもない。
惨敗である。
『……ラーク』
(何も言うな、クロバ……)
溢れんばかりの気まずさに蓋をするように、そっと目を閉じる。緩やかな眠気がラークを夢の中へと運んでいった。
領都に到着したのは、昼を少し過ぎた頃。
帝都には劣るが、ずいぶん人が多い。古い建物が多く、初めて訪れたのにどこか懐かしくなるような雰囲気がある。
車を降り、大きく伸びをした。
車を引いていた一角獣を見る。
毛むくじゃらのサイのような魔物で、気性は穏やかで人懐こい。一方、筋力も強く魔導も強力なため、いざときに頼りになるのだ。
凶暴な魔物であっても積極的に近付こうとしない一角獣は、まさに街道で車を引くために生まれてきたような生き物だ。
間近で見ると可愛らしい目をしている。
そんなことを考えつつ、停車場を離れた。
「まずは腹ごしらえかな」
『ラーク。情報収集も忘れるなよ。ローデント家のこと、あんまりよく知らねーんだろ』
「あぁ……まぁ、ね」
自分のコミュニケーション能力を思い、乾いた笑いが漏れる。
これはもう、当たって砕けろの精神でローデント家に突撃することにして、砕けたあとの再就職先に思いを馳せていたほうが合理的かもしれない。
「ひとまず、人の多い飲食店でも探すかな」
『お、やる気じゃねぇか。ついにラークの会話スキルが火を吹くのか』
「……いやぁ」
能動的な情報収集など無理だ。
だが、大勢がいる店であれば、自分が何も問いかけなくても会話が自然に耳に入ってくるかもしれない。そう考えてのことである。
完全に他力本願の構えだった。
午後の街をのんびりと歩く。
長い歴史の中で、何度か都市を拡張したのだろう。ときおり古い外壁の名残を見かける。また、当時は外堀として使われていたらしい用水路や、整備されなくなり凸凹している石畳の小道も味がある。
そこらで遊んでいる子供たち、荷車を引く行商人、手をつなぎ歩く若者。人々の顔はおおむね明るい。
「故郷とも帝都とも少し違う感じか」
『雰囲気は悪くないな』
「僕もこの街は嫌いじゃないよ」
道の端にはスライムが蠢き、生き物の糞尿や死骸に群がっている。このあたりの光景は、都会から田舎まで変わることはない。
視線を上げれば、都市中央の丘の上には魔物よけの結界を張る精霊樹が立っている。古い都市だけあって巨大なものだ。帝都のものと比べても引けを取らないほどに。
以前読んだ歴史書の記述を思い出す。
当時クロバは興味がなさそうだったが。
「200年くらい前まで、ここは王都だったらしいよ」
『この都市がか? じゃあ、ローデント家は王族だったのか』
「帝国に征服されるまではね。歴史書によれば、ローデント領はもともと、ローデンティア王国っていう小国だったらしい。もう何世代も前の話だけど」
クロバと話しながら街を抜ける。
ローデント領は未発掘の古代遺跡も多く、有史以降も様々な国が栄えた場所である。街のあちこちを眺めながら、そんな歴史に思いを馳せるだけでも面白い。
気がつけば、飲食店の密集する繁華街を通り過ぎて、公園のあたりまで来てしまっていた。
「昼食は屋台で済ますか」
『おいラーク。情報収集は?』
「いいんじゃないかな。街の人たちを見る限り、圧政に苦しんでるって感じでもないし。そこまで変な領主じゃないよ、きっと」
『とか言って、面倒なだけだろ』
「バレたか。まぁ、大丈夫大丈夫」
『どうだかな』
公園には小さな池やベンチがあり、皆が思い思いに過ごしている。
ラークはあたりをキョロキョロと見渡し、手頃なものを売っている屋台があるか探し始めた。
その時であった。
「おーい、姫様が通るぞー!」
誰かの叫び声に、ざわつき始める人々。
そして、領主館から伸びる道へと競うように群がり始める。
近くの建物からも人がワラワラと出てきて、あっという間に祭のような人だかりが出来上がった。
「なんの騒ぎだろう」
『とりあえず流れに乗ってみたらどうだ』
「あぁ」
人々の合間を縫い、隙間から顔を出す。
歩いてくるのは、鎧を着た数人の騎士だった。
その大きな盾に刻まれているのは、ローデント家の紋章。中心にいる誰かを守るように、ゆっくりと歩いてくる。
「姫様ー!」
「きゃー、かわいいー!!!」
野太い声から黄色い声まで、様々な歓声が飛ぶ。
やがて騎士たちが近づいてくると、ラークの目にもその娘が見えた。
守られながら歩く、ドレス姿の女の子。
少し照れたように微笑み、ときおり民衆に手を振っている。腰まで伸ばした小麦色の髪。小動物を思わせる少し幼い顔と、ぱっちりと大きい目。人々を魅了する無邪気で可愛らしい雰囲気。
あれが、ローデント家の娘か。
姫様が近づくごとに、人混みの圧が強まり、前後左右から人々の絶叫が響き渡る。耳が物理的に痛い。
「姫様、大人気だな。全然嫌われてないし」
「──なんだ、兄ちゃん知らねぇの?」
ふと漏れたつぶやきに反応したのは、隣のおじさんの頭の上に乗っている少年だった。七、八歳くらいだろうか。茶色いくせ毛のそばかす顔が、不思議そうにラークの顔を覗き込む。
「もしかして、外の人?」
「あぁ来たばかりだ」
「なら知らないか。姫様は双子なんだよ」
「……双子?」
少年はコクコクと首を縦に振る。
「あの可愛い方の姫様は妹なんだって。で、嫌われてるのはお姉ちゃんの方らしいよ。引きこもってるみたいだからオイラは見たことないけど」
なるほど。少年の話が本当であれば、ラークが家庭教師をするのは引きこもっている姉の方、ということだろう。人気者の妹がいるのは初耳だったが。
「双子ってことは、似てるのか?」
「噂だと、全然。むしろ薄汚いってさ」
そんな少年の言葉に、ラークは小さく息を呑んだ。
姫様の一団が通り過ぎると、人々は波が引くように日常へと戻っていった。というか、姫様のもとに群がることもまた日常の一環なのだろう。
双子。
人気者の妹と、嫌われ者の姉、か。
「なぁ、クロバ」
『ん? どうしたラーク』
領主の館へと目を向ける。
家庭教師。
上手く教えられる自信はないが。
「少しだけ、やる気出た」
『そうかよ』
なんにせよ、まずは腹ごしらえからだ。
ラークはグッと背伸びをすると、いくつかの屋台が立ち並ぶエリアへと向かっていった。