18 小人のお婆さん
会議室には謎の光景が広がっていた。
当主代理のフェリアス、その後ろに並ぶアルマ嬢特別捜索部隊の騎士数十人が、全員揃って床に膝をつき項垂れている。
入り口のラークから彼らの表情はハッキリ見えないが、部屋の空気はピンと張りつめている。
なんだか割り込めない雰囲気だ。
「揃いも揃ってボンクラばかりかい」
不機嫌そうな声が響く。
威圧の心波が場を支配する。
彼らの前には、一人の老婆が立っていた。
身長30センチほどの小人。くすんだオレンジの髪をくしゃくしゃにして、短い杖をコンコンと突きながら、苛立ったように口元を歪めている。
ラークは驚いて声を漏らした。
「ティコ婆さん……」
「ん? おや、六色じゃないか。久しぶりだねぇ」
「……ラーク。知り合い?」
「あぁ。婆さんは冒険者なんだ」
「……冒険者?」
エルナの目が爛々と輝く。
冒険者というのは、誰もが一度は夢見る自由の代名詞だ。エルナが愛読している冒険小説の主役でもある。
国際組織、冒険者ギルド。
それは、人類を脅かす魔物などに対抗するため、古くから存在している巨大組織だ。連携各国からは構成員の納税・戦役など各種義務の免除が認められており、国のしがらみに囚われず自由中立を保っている。
当然、誰でも冒険者になれるわけではない。
所属できるのは、厳しい試験を突破したエリート中のエリートのみ。冒険者登用試験では毎年大量の死者が出るが、それでもなお受験者が減る様子はない。
冒険者は自由に各国を冒険し、依頼を受け、遺跡を発掘し、未踏の地を探索し、竜を食らう。
「ティコ婆さんには、軍学校で外部講師として指導してもらったことがあるんだよ。青魔導の基本は婆さんに叩き込んでもらったし、魔導師の認定試験でも世話になった。恩人なんだ」
「ふん。その恩人を婆さん呼ばわりかい。まぁいい。とりあえずこっちへおいで。さっき到着したばかりなんだか、あんたにも捜査状況を聞いておきたい」
口の端がひん曲がっている。
ずいぶんと懐かしい表情だ。
ティコ婆さんとラークの親しげな様子に、騎士たちは顔を見合わせる。
当主代理のフェリアスは、呼吸の仕方を思い出したのか、ゼイゼイと荒い呼吸をしつつティコ婆さんに問いかけた。
「あ、あの、ティコ様」
「なんだいボンクラ息子」
「か、彼と知り合いで? それに六色とは」
「なんだ、知らないのかい。その程度の情報収集力で、ローデント家の跡継ぎが務まるのかねぇ。不安だよ」
わざとらしいほど盛大なため息。
ティコ婆さんはフェリアスに近寄ると、持っている杖で彼の額を突いた。
「魔導に五つの色があるのは知ってるね」
「は、はぁ。五色魔導、ですよね」
「その五色の魔導のどれかを扱う者を魔導使い、奥義を極めた者を魔導師と呼ぶ。ここまではいいかい」
「……そ、そうなんですか」
「不勉強だね、知っておきな。魔術使いと魔術師。操霊術使いと操霊術師。みんな同じさ。師というのは極めた者への称号だ」
「は、はい」
魔導師は極めた色の数で呼び方が変わる。
一色魔導師は、何か一つの魔導を極めた者である。魔術師を例にあげれば、炎術使いや氷術使いなどは基礎技術として現象属性の黒魔導を覚えるし、呪術使いや幻術使いなども同様に精神属性の青魔導を覚える。鍛錬を積む中で、得意属性の魔導を極める者は少なくない。
ニ色魔導師はそれなりに珍しく、三色魔導師ともなれば国が放っておかない。何かしらの地位を得る者もいるし、国を捨て冒険者として自由に生きる人生を選ぶ者も多い。
「じゃあ、彼は──」
「五色魔導師。その上、操霊術師だ。かつて操霊術は六色目の緑魔導として扱われていた時代もあるからねぇ。こいつが六色なんて異名で呼ばれる所以さ」
皆の視線がラークに集まる。
捜索部隊の中には魔導使いもおり、六色の噂を聞いたことのあるものがも一定数いたのだ。まさか、こんな身近に存在しているとは思いもしなかっただろう。ずいぶんと驚いた顔をしている。
そんな彼に拷問をかけたことでも思い出したのか、フェリアスは脂汗を浮かべ、恐る恐る口を開く。
「テ、ティコ様より強い……のですか?」
「バカ言え。私は呪術が性に合ってるだけさ。方向性の違いさね。まぁ、ここにいる騎士たちじゃ、ラークには束になっても敵わないだろうが」
当のラークは、顔の全面に面倒くささを貼り付けてティコ婆さんのもとへと向かう。
「本当にやめてよ、ティコ婆さん。そうやって言われると、なんか凄い人みたいな感じに誤解されるんだって」
「ふん。能力は事実じゃないか」
「能力以外も勝手に想像されるから困るんだ。思ったより全然爽やかじゃないとか、威厳がないとか、弱そうとか、地味顔とか」
「そんなもん、私が知るかい」
ティコ婆さんは杖でコンコンと床を突き、呆れたように口を歪める。
「ところで六色よ。気になってんだが」
「ん? どうした、ティコ婆さん」
「なんであんたがいながら、こんな糞みたいな捜査状況なんだい。どっかに脳味噌を置き忘れてきたんじゃないか」
「いや。僕も今朝、釈放されたばかりで──」
「はぁ? 釈放?」
ティコ婆さんの雰囲気が変わる。
再びフェリアスへと向き直ると、杖を振り上げ強めに額を突いた。
「まさかあんた、あの六色のラークを抱えてんのにも関わらず、有効活用どころか捕縛でもしてたってのかい」
「あ……はい」
威圧の心波が再び場を満たす。
ティコ婆さんは鬼のような顔でラークを見る。
「ラーク。あんた、事件発生から今まで。どこにいて、どう過ごしてた。捜査には一切関わってないのかい」
「関わるも何も、事件の起きた朝には拘束されて、昨日まで拷問されてたけど」
「拷問……だって……」
「事件については、トーテムに頼んで個人的に調査はしてたよ。あとで報告するけど、ティコ婆さんの意見も聞きたい」
「……はぁ。なるほど。よーくわかった」
ティコ婆さんはフェリアスを見る。
先ほどまでとは比べ物にならない怒気が、会議室の面々を震わせる。
短い杖が、フェリアスの額に刺さる。
「あたしゃ、軽々しく拷問なんてする貴族が大嫌いでね。あんたの父上に免じて今回は手伝ってやるが、今後ローデント家との付き合いは考えさせてもらうからね」
「え……」
「この無能。あんたの父上は六色の存在も見越して、あんたに指揮を預けたに決まってんだろう。そういうお膳立てを、全部ひっくり返して」
「あ、あの……」
冒険者との人脈は、大貴族にとっては貴重なものだ。政治に関わる依頼はもちろんできないが、今回のように困った事態が起きたときに泣きつき、破格の依頼料で協力してもらえる。そのために、普段から領内での様々な特権を認めているのである。
今回の件、次期当主としては大失態だ。
フェリアスは顔を真っ青にする。
「ふん。ボンクラめ。役に立たないどころか、むしろ邪魔だね。そっちの端っこで大人しくしてな。指揮権は私が預かる。いいね。返事は」
「は……はい」
「ったく。おいでラーク。捜査会議だ」
エルナはフェリアスを一瞥して拳を緩める。
彼がティコ婆さんから辛辣な評価を受けたことで、多少なりとも溜飲が下がったのかもしれない。
抜け殻のようなフェリアスをその場に残し、ラークとエルナはティコ婆さんを追って会議室の奥へと進んでいった。