16 愛と拷問
領主代行、フェリアス・シルバ・ローデント。
23歳、金髪の長身イケメンだ。
エルナとは別の母親から生まれた彼は、3年前に結婚した年下の妻と良好な仲を築きつつ、もうすぐ1歳になるやんちゃな跡継ぎ息子にデレデレと頬を緩ませるのが日常である。
あと2年もすれば領主を受け継ぐ予定の、誰から見ても順風満帆な彼は今──。
盛大に、頭を抱えていた。
夕刻の執務室。
彼の目の前にいるのは黒服の坊主頭。
熟練の拷問官だ。
「無理です。閣下」
「…………む」
事件が起きたのは一週間前。
ローデント家の末娘アルマが失踪した。非常事態だ。不在の父に代わり、彼は捜索の陣頭指揮に立つことになった。
まずは内部犯を疑い、使用人への聞き込みを行った。すると、聞くからに怪しい男の情報が続々と出てきたため、ひとまず彼を容疑者だと断定する。
拷問でアルマの行方が分かれば良い。人違いだったとしても、平民の男などどうなっても構わない。冷酷にも聞こえるが、国を預かる貴族にとってはそこまで特殊な考え方ではない。
信頼のおける熟練拷問官を自ら指名し、どんな些細な情報でも、手がかりを得ようとしたようだが……。
「あの男は、やっていません。閣下」
「その口を割らせるのが仕事だろう」
「いえ、違います。実態はどうあれ、我々の仕事は、真実を明らかにすること。あの男は徹頭徹尾、自分の無罪を主張しております」
フェリアスは苛立ったように足を揺らす。
拷問官らしくない主張だった。容疑者の無実の主張をいちいちを真に受けていたら、わざわざ高い金を払って拷問官を雇う意味がない。
現在、アルマの行方は手がかりすらない。
ヌルい対応をしている余裕などないのである。
「それが奴の嘘だと──」
「男性器を潰されて嘘を吐ける男などいない!!」
「──なっ!?」
男の怒声に。
そしてその内容に。
隣の書記官の手が止まる。
執務室が静寂に包まれる。
「失礼いたしました。今現在、彼の男性機能は生命魔術により回復させてあります……。幸い、見た目には後遺症もありません。ただ今後、性交時に問題が出ないかどうかは、不明であり……」
フェリアスの顔が固まる。
書記官と二人並んで少し前かがみになる。
ちなみにだが、軍学校とは違い、貴族教育の中に拷問の詳細な知識というものはない。おそらく、そこまで激しい責めを受けている想像はしていなかったのだろう。
「……通常はお見せしませんが」
そう言って、拷問官は一枚の書類を取り出す。
「これは……?」
「この一週間、彼に行ってきた拷問のリストです。正直、これ以上のやり方を私は知らない。知っていても、できない」
「…………………………ぅゎ」
フェリアスは完全にドン引きした顔をする。
体のどんな部分に、どんな道具で、何をするのか。おそらく彼には、いや、多くの者には、そのリストの中の一つだって耐えられないだろう。そんな項目が並ぶ。
拷問官に対して少しだけ怯えた目を向けつつ、フェリアスは純粋な疑問を投げかけた。
「な、なぜだ。なぜ奴は口を割らん。前科者になり数年の労働を強いられる方が、こんな責め苦を味わうよりよほど楽だろう!?」
「……それは、私も尋ねました」
「奴は何と?」
黙り込む拷問官。
傷だらけの顔が、半分泣きそうに歪む。
そのまま数秒の沈黙。
ゆっくりと口を開く。
「彼は血を吐いて、床の上に、伏せながら……」
「……あぁ」
「たった。たった……ひと言」
息を呑むフェリアス。
拷問官は苦しそうに告げる。
「ひと言……エルナ、と」
「──っ!?」
執務室に衝撃が走る。
エルナ。
ローデント家にとって、その娘は扱いに困る厄介な存在だった。
トーテム特性で嫌われてしまう。それ自体に同情の声は集まるが、彼女を目の前にすると誰もが嫌悪感を抱いてしまう。婚約者など見込めないから、フェリアスの代になっても世話をし続けるしかないだろう。
そんなエルナに、家庭教師がついた。
アルマ以外の者がまともに接することのできなかった彼女に、初めてできた人間関係。
それが、彼──ラーク青年だったのだ。
「──愛です。閣下」
「…………愛」
「前科者になれば……彼はエルナ様のもとには帰れないでしょう。エルナ様はまた孤独になってしまう。だから、彼はきっと……」
「……くっ」
拷問官の目に涙がにじむ。
書記官の肩が震える。
フェリアスはゆっくり席を立ち、上を向いて部屋を歩いた。おそらく、涙が溢れないように、だろう。
──ガチャリ。
執務室の扉が開く。
入ってきたのは、執事長だ。
丁寧に礼をして、フェリアスを真っ直ぐ見る。
「来客中、大変失礼します。若様……」
「……どうした」
通常、来客中の割り込みなどありえない。
そういった部分をしっかり弁えているはずの執事長が、それでも部屋を訪れる。よほどの重要案件だということだ。
「先日お渡しした、使用人一同による署名。吟味していただけましたでしょうか」
「あれか……」
まさに、今話題になっていた件。
拘束されている青年ラークに関する、釈放の嘆願書であった。しかも、従業員一人ひとりからの自筆の署名までついている。
フェリアスは机の上に置かれた嘆願書を手に取る。
「これが、どうした」
「はっ。それだけでは想いが伝わらないだろうと。今度は従業員一人ひとりからのメッセージ付きの嘆願書を持ってまいりました」
「……は?」
「こちらをご覧ください」
執事長が取り出したのは、分厚い書類束。
受け取るのもひと苦労のそれを、どさりと机の上にのせる。
「これらはすべて、青年ラークを釈放してほしいという嘆願書になります。他の何をおいてもご対応いただきたい、現在の当家の最重要案件でございます」
従業員一人につき一枚。
それが、全従業員分。
フェリアスは大口をあけて固まる。
「最、重要……?」
「はい。ご対応いただけない場合、ローデント家の雇っている従業員は、ほぼ全員が辞職の道を選ぶでしょう」
「は?」
動揺しているのだろう。
フェリアスの瞳が揺れる。
「な、なぜだ。なぜ、そんなことに……」
「エルナお嬢様でございます」
「──っ!?」
ここで出てくる、エルナの名。
フェリアスは力が抜けたように椅子に腰を下ろし、執事長に説明を促す。
執事長はゆっくりと、言葉を選ぶように話す。
「エルナお嬢様が、従業員一人ひとりと話をしたのです。皆の激務をねぎらい、仲良くなろうと雑談を試み……青年の釈放へ向けて、協力してくれるよう頼み込みました。朝から晩まで、毎日、毎日──」
「あの……人を避けていたエルナが……」
「我々は、激しく心を動かされました。嘘ではありません。嘆願が聞き入れられない場合、職を辞する覚悟までして……この嘆願書を。全員の、心の底からの、悲痛な叫びを込めて……」
「…………そうか」
フェリアスは静かに目を閉じる。
次期領主に向けての教育には、自分自身の心を判断基準に入れてはならない、という項目がある。それをしてしまえば、彼は胸を張って次期当主を名乗れなくなってしまうだろう。銀級貴族の名は、そんなに軽いものではないのだ。
「冷静に、判断するのなら……」
そもそも、アルマの行方の手がかりを掴めないのなら、ラークを捕らえ続ける意味などないのだ。周囲の心がここまで二人に傾いている以上、むしろデメリットの方が多い。
そんな風に柔軟に判断できることもまた、次期領主にとっては重要な資質だろう。
フェリアスはゆっくり息を吐く。
「わかった。わかったよ……彼を捕らえたのは、私の間違いだった。彼には謝罪と補償を約束する。釈放せよ」
「──はっ。すぐに手続きを!」
いつも冷静な執事長が、ぱぁっと顔を明るくして小躍りしながら執務室を出ていく。有能な書記官は、ペンを大きく震わせながら今の言葉をしっかり記録する。
「──ひっぐ……ひっぐ……」
部屋の中に嗚咽が響いた。
顔を向ければ、強面の拷問官が、両手を顔に当てて上を向き、滝のような涙を流している。
「俺は……俺は……絶望してたんだ……人間ってもん、に……。愛なんて、真実なんて……痛みや苦しみの前には、簡単に……捨てられちまう……うぐっ……ひっぐ」
みっともない、男の泣き顔。
ただ、それを茶化す者は、今この場には誰もいない。程度の差こそあれ、みな彼と同じものを感じていたのだろう。
「初めてだ……生まれて、初めて……親からすら、感じたことのない…………ひっぐ……これが──」
「──愛、か」
フェリアスはそう言葉を繋げた。
天井を見上げ、熱い息を吐く。
「俺は……愛を知った。拷問官はやめる」
男の呟き。
フェリアスはぼそぼそと答える。
「やめて……どうする?」
「わからねぇ。わからねぇが……ただ、これまで、あまりに多くの奴を傷つけちまった。今さら、こんな俺に、何ができる……」
「……できるさ。何でも。身分に縛られた俺と違って、お前は、自由だ」
「はは、どうかねぇ……」
しばらくの静寂。
ふと、何かを思いついたように、フェリアスは机の引き出しを開ける。そこには、一枚の書類があった。
「そうだ、お前にぴったりの仕事がある」
「言ったろ。拷問はやらねえ」
「拷問じゃない」
フェリアスは口の端を上げる。
そして、書類を見せながら告げる。
「新しい孤児院の事業計画がある──」
男の強面が、驚愕に染まった。
ちなみに、天井裏では──。
『なんか、すげえ面白いことになってる……』
リアルゴキヴリサイズのクロバが、誰にも聞こえない呟きを漏らしていた。