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13 事件

 初めての街歩きから2ヶ月。

 夏も始まり、日差しもずいぶん強い。


 屋敷の庭では、青灰色の髪の少女が相変わらず汗だくになって走っていた。


「……鬼畜……冷酷……大魔王」

「遅い。青虫のほうがまだ俊敏だぞ」


 足元に〈雷火(プラズマ)〉が飛ぶ。

 地面が火をあげて焦げる。


 エルナは身体を震わせるが、速度を上げられるほどの体力は既に残っていないのだろう。息切れも激しく、表情は人様にお見せできない有様になっている。


「……はぁ、はぁ……ゲホゲホッ」

「──よし、止まれ」


 ラークの言葉に足を止める。

 指導開始から3ヶ月、エルナの訓練は既に次のステップへと進んでいた。


「深呼吸。吸いながらマナ吸収──」

「ひぃ……ひぃ……」

「──吐きながら、マナ循環」

「ふぅぅぅ……」


 マナ吸収とマナ循環。

 五段階ある制御でも基礎的な二つだ。


 訓練の理屈はシンプルである。


 まず、走って走って走りまくる。

 マナと体力を限界まで消費するためだ。


 当然、身体はマナと体力を回復させようと、空気中からマナを取り込む。生存本能の働きである。


 それを利用して──。


「無意識のマナ制御を意識で感じ取れ。マナ吸収・マナ循環の感覚を掴むんだ」

「ひぃ……ひぃ……ふぅぅ……」

「感覚を掴むペースに個人差はあるが、習得できないことはありえない。エルナのペースでいい。できるようになるまで、何度でもこの訓練を繰り返すだけだ」

「ひぃ……ひぃ……ふぅぅ……」


 マナ制御はあらゆる術の基本だ。

 その中でも基本中の基本であるマナ吸収・マナ循環は、様々な術流派による独自の訓練方法が存在している。それこそ、ゆっくり目覚める方法から、命を落とすリスクのある方法まで。


 ラークの行っている訓練は軍学校式。

 あくまで学生を生命の危機までにはさらさない範囲で、習得速度を可能な限り重視した効率的なものになっていた。

 そのぶん、キツいのは間違いないが。


「……ふぅぅぅ……」

「うん。どんどん良くなってるね」


 そんな洗練された方法で、付きっきりの指導をされているのだ。成長しないわけがない。


 しばらくしてエルナの様子が落ち着いてきたところで、白魔導〈回復(ヒーリング)〉を飛ばして体力を全快させる。

 ここまでが1セットだ。


「休憩だエルナ。大丈夫か、少しフラついてるな。今日は暑いから、ちゃんと水分をとらないと倒れるぞ。ほら、水筒──」

「……うん。ありがと」

「少し休んだら、今日はあと5セットな」

「……悪魔」

「無理のない範囲で死力を尽くすんだぞ」

「……邪神官」


 相変わらずの訓練風景だ。

 水筒の中で、氷がカランと音を立てる。



 それからしばらく経った頃。

 ラークの罵倒とエルナの呪詛が飛び交う中、いつもと変わりなく〈雷火(プラズマ)〉が炸裂した時だった。



 裏庭にひとつの人影が現れる。

 かと思えば、その人影はラークに向かって全力で走ってきた。


「──ああぁぁぁぁ! わたくしのエルナに何してくれてますのぉぉぉぉ!!!」


 その少女は跳んだ。

 大きく足を伸ばしているのは、飛び蹴りでも繰り出すつもりか。


 ラークは冷静に一歩下がる。

 ズサァァァ、と少女が地面を転がる。


 土に汚れる地味なシャツ。スカートは無様にめくれ上がる。適当に括っただけのお下げ髪がぐちゃぐちゃになった。振り向いた顔には、まん丸い瓶底メガネがかかっている。


 盛大に身体を擦りむいたようだが──。


「どうして避けるんですのぉぉぉ!!?」


 元気そうである。

 ラークはこめかみに手を当て、エルナを見る。


「エルナ、これ誰?」

「…………アルマ」

「えっ? 双子の妹の、あの……?」

「…………そう。そのアルマ」


 ラークは目を凝らしてよく見る。

 街で見かけた人気者のアルマ嬢。服装が全く違うため気づかなかったが、なるほど。髪色も顔だちも、漏れ出ている心波も、確かにあのアルマのものだ。


「エルナを虐めるお馬鹿さんは! このわたくしが、直々に成敗してくれますからぁぁぁ!!!」


 デデーン。

 両手を広げて決めポーズ。


 そんなアルマの横を、エルナはてくてくと通り過ぎてラークのそばまで来る。


「…………ラーク。言い忘れてた」

「うん?」

「……私の妹……少しだけ、残念なの」

「見ればわかるよ」

「──待て待て待てぇぇぇい!!!」


 ラークとエルナは顔を見合わせる。いつもより少し早いが、今日の訓練はここまでだろう。


『これが嬢ちゃんの妹かよ。全然違うな』

「な、誰!? 誰の声ですの!!?」

『おぅ、やっぱり聞こえんのか』


 エルナと同様、覚醒が近いらしい。

 ひとまずは訓練を中断し、擦り傷を作っただろうアルマに白魔導を飛ばすと、ラークは屋敷へと入っていった。



 風呂場で汗を流し、新しい作務衣に着替える。リビングに戻ると、そこにはごく普通に談笑している姉妹の姿があった。

 お互いに必要以上の敵意も好意も抱いてはいないようだ。おそらく二人の青魔導適性は同程度なのであろう。


「──というか、エルナ。何ですのその服! 何ですのその髪! 可愛いすぎますわ!!」


 エルナはほんのり頬を染める。

 その様子に、アルマは腰に手を当ててうんうんと頷いている。なんとなく、仕草がババ臭い。


「……服屋で。いろいろ。教わってる」


 エルナは街へ出かけるたび、服屋のゴルリアさんに化粧や髪結いを習い、お礼とばかりに可愛らしい服を購入する。

 もちろん訓練時に化粧をするようなことはなく、これまで通りポニーテールと作務衣だ。ただ、訓練が終わって汗を流した後は、いつも可愛らしく着飾るようになった。


「服を買うようなお金、持ってましたの?」

「…………食器を、売った」

「食器って、あの山積みの!!?」


 家庭教師を請け負う際、執事長と打ち合わせたラークが契約書に明記していたのだ。使用人が片付けようとしない数年分の食器は、全てエルナの所有物として扱ってよい、と。


 仮にも銀級貴族家の令嬢が食事に使う器だ。モノとしてはなかなか高価で、中古の食器を扱っている商会も良い値で購入してくれた。

 代金は全て、エルナの銀行口座に振り込まれている。多少服を買ったところで問題にならないほどの大金だ。


「やっとエルナも、自分の可愛らしさに気がついたんですのね」

「…………化粧は、偉大」

「もう。わたくしたちが可愛いのは当たり前ですのよ。なにせ、あのお母様から受け継いだ美貌ですもの。過ぎた謙遜は不敬ですわ」


 いずれにせよ、エルナが自分へ自信を持てるようになるのはいいことだ。


 ただ、ラークは少し不思議に思っている。街へ出かける日はともかく、普段の生活で着飾ったエルナを見る者は、ラークくらいしかいないのだ。そこまで毎日努力を続けるのは大変なのではないか、と。

 その疑問をエルナに投げかければ、「鈍感」という答えが返ってくるだろうが。


「あら、先生。いらしてたのね」

「あ、はぁ」

「先ほどは大変失礼いたしました。てっきりエルナを虐めているのかと……。しかし、この部屋を見れば、誤解なんて全て吹っ飛びましたわ!」


 アルマにとっては、この部屋に最後に来たのは約3ヶ月前。

 当時は全く部屋が片付いておらず汚れ放題だったのだから、彼女の驚愕は当然のことだろう。


「本を買ってきてくれ、というわたくしへのお願いが急に途絶えるんですもの。ずっと気になってましたのよ。大好きな本も満足に読めないほどの酷い扱いをされているのではないか、と」

「…………ある意味、間違ってない」

「それが、エルナのこんな幸せそうな姿を見られるなんて……。思い切って訪ねてきて正解でしたわ。わたくしもこんな家庭教師がほしい──」


 アルマは瞳を潤ませる。

 そして、思いついたように手を叩いた。

 ラークへと目を向ける。


「そうだ。ラーク先生。エルナと一緒にわたくしのこともご指導してくださらない!? エルナから聞きましたが、わたくしが好かれるのもトーテム特性なのでしょう? 困ってるんですのよ。こんな地味な格好をしても、最近皆さまからのご好意が止まなくて──」


 突然のことだった。

 アルマは瓶底メガネを外し、上目遣いでラークを見ながらジリジリと迫ってくる。よく見れば、シャツの胸元は少しゆるみ、膨らみの上部がチラチラと見え隠れしていて──。


「ねぇ先生。お父様にお願いすれば、例えばわたくしの部屋に住みこんで──」

「無理」

「だめ」


 ラークが断るのとほぼ同時に、エルナはラークにしがみついた。


「──ど、どうして無理なんですの!?」

「いや、普通に。僕は今、エルナを教えるのに手一杯だから。これ以上の仕事を依頼されても困るし」

「うん。だめ。むり」


 今でさえ、相手がエルナだからこそ家庭教師が成り立っているようなものなのだ。ラークはそもそもが家庭教師向きの性格じゃないし、これ以上仕事を積まれても本当に困る。


 一方、断られたアルマは、何やら目に涙を浮かべてラークとエルナのことを見た。


 しばしの沈黙。

 そこに、クロバの声が響く。


『嬢ちゃんの妹よ。残念だが──』

「素晴らしい! この人ならわたくしの可愛いエルナを預けられますわ!! 一瞬たりとも悩む様子がないのは、予想外に傷つきましたけど……」


 ラークとエルナは顔を見合わせる。

 そして、自分たちが抱き合うような姿勢になっていることに気が付き、焦ったようにババッと身体を離した。


「…………試し、たの?」

「えぇ。わたくしに誘惑される程度の男に、大切なエルナのことは任せられませんもの」


 アルマはラークに深々と頭を下げる。


「わたくしの可愛いエルナのこと。今後とも末永くお願いいたしますわ!」

「あ、はい」

「……アルマ」


 エルナは潤んだ瞳で妹を見る。


「あ、でも羨ましいのは本当ですのよ。わたくしの先生たちなんて、男女問わず妙な好意の視線を向けてくる者ばかりですもの。こんな風に普通に接してくれる先生がいたらいいのに」

『ほんと嬢ちゃんとは真逆なのな』

「あぁ、わたくしもこんな先生がほしいですわ! ねぇエルナ、わたくしに先生を譲ってくだ──」

「だめ」

「うわぁぁん、うらやましいよぉぉぉぉ!!」


 アルマは四つん這いになり、床をダンダンと叩いてひとしきり騒ぐ。その後「じゃ、エルナを頼みましたわよ!」と妙な敬礼ポーズをとって、嵐のように走り去っていった。

 ラークとエルナは、苦笑いで彼女を見送った。




 事件が起きたのは、その翌日。

 早朝、寝室を訪れた使用人が異変に気づく。


 アルマの姿がどこにもないのだ。


 屋敷中をひっくり返すような騒動。

 争った形跡はないが、貴重品類が残っているため家出などではないだろう。何者か拐われたものとみて、ローデント家は総力をあげて行方を捜索する。


 ──容疑者としてラークの身柄が拘束された。


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