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12 残酷な条件

 街の男どもの反応はだいたい似通っていた。


 まず、熱い視線をエルナに向ける。

 こんな美少女がこの街に存在していたのか、という心の声を顔の全面を使って表現しながら、だらしなく頬を緩ませる。


 次に、隣を歩くラークを見る。

 男連れなのだと気づいた様子で肩を落としつつ、こんな地味な男がどうしてこんな美少女を、という表情を浮かべたあと、羨望や苛立ちを煮詰めて焦がしたようなため息を漏らす。


 みんながみんな、そんな感じだ。


 恋人や奥さんを連れている者は、足を踏まれ、頬を張られ、害虫未満の視線を向けられていた。

 一方、容姿に自信のあるものは、ラークの存在を無視して果敢にナンパを仕掛けてくる。


「君、ちょっといいかな」

「…………鼻毛出てる」

「えっ!?」


 男が鼻に手を当てている間に、スタスタとその場を去る。

 ちなみに、本当に鼻毛が出ているわけではなく、次から次へと現れるナンパ男を一撃で退けるために編み出した方便である。



 服屋で強制進化したエルナ。

 そもそもその顔自体、妹のアルマとかなり似ているのだ。噂によれば、既に亡くなっている母親は絶世の美女であったらしい。


 嫌悪感を抑えた上で着飾れば、道行く人の目を奪ってしまうのも頷けるというもの。


「エルナはすごいな」

『ちいっと化粧しただけなのにな。嬢ちゃん、大人気じゃねえか』

「…………すごいのは、服屋のゴルリアさん。なんか……別の人にでもなった、みたい」


 そう言うと、ラークの手をギュッと握る。

 こうしていると、話しかけてくる男の数がぐっと減るのだ。


 代わりにラークの精神はゴリゴリと削られていくのだが、些細なことである。 


「…………でも……少し、疲れた」

「さすがに、ずっと視線を浴びるのは、な。少し落ち着いた場所に行こうか」

「……うん」


 ──落ち着いた場所に行くだって!?


 そんな男どものざわめきが聞こえてくるが、ラークは無視を決め込む。卑猥な妄想でもしているのだろう。実際は、ただ景色の良い丘の上に向かうだけだ。


 歩き続ける二人の後ろには、死屍累々のフラレ男の山が出来上がっている。目撃すればトラウマものだっただろうが、幸いにもエルナは後ろを振り返ることなく進み続けていった。



 結界を張る精霊樹の丘は、都市のちょうど中央部にある。というより、古の人々は精霊樹を中心に町を作った、と言ったほうが正しいだろう。


 丘を登る道は険しい。

 道幅は一人通るのがやっとで、勾配も急だ。


 そもそも頻繁に人が通る場所ではなく、精霊神殿の神官であっても年に数回の祈祷時に登る程度である。

 一般庶民が登ることは特に禁止されていない。ただ、積極的にチャレンジしようという者はめったにいなかった。


 そんな道を、エルナはひょいひょい登る。少し汗ばんではいるものの、速度が緩むことはない。


「エルナ、大丈夫?」

「……問題ない……毎日。走ってる、から」

「へぇ、あんな優しい訓練でも、けっこう体力はつくもんだね」

「………………やさしい?」


 重大な認識齟齬がある。

 そう言いたげなエルナの前を、ラークは汗ひとつかかず、平地でも歩くかのようにのんびり登っていく。



 たどり着いた丘の上。

 近くで見る精霊樹はものすごい迫力で、樹木というよりただの壁のようだ。周りには高さのある鉄の柵が設けられていて、イタズラ目的の者が簡単には入り込めないようになっていた。


 少し開けた場所に腰を下ろす。

 そこからは、様々なものが見えた。領主館の広い庭に、エルナの屋敷を隠している林。一緒に歩いた中央公園。事務所街や商店街。

 さらには、都市外壁の向こう。魔物の多く生息する森や、帝都にも繋がっている大河、未だ人の踏み込んだことのない山脈。


「……あんなに、遠くまで、見える」

「あぁ。世界って、広いよな」

「…………うん」


 しばらく黙って景色を眺める。


 広いのだ、世界は。

 知らない場所も、人も物も、たくさんある。


 自分の暮らす狭い場所が全てだと思う必要はない。踏み出してみれば、世界は自分の知らない新しいものに溢れている。

 だから、本当はいつだって、今日みたいな一日を過ごすことができる。


「今日はどうだった、エルナ」

「…………うん……あの」


 ラークは急かさない。

 彼女が自分のペースで口を開くのを、ただゆっくり待つ。それでいいのだ、と知っている。


「……また、街に出たい。いつか、自分で」


 ラークはホッとして、口元を緩ませる。

 彼女がそう思ってくれたのなら、多少の無理をしてでも、今日連れ出してきたかいがあった。近い将来、エルナはきっとこの街で暮らしていけるようになる。


 ……彼女なら大丈夫だ。


 家庭教師の期間が終わっても。

 ラークのことを嫌うようになっても。


「エルナ、少し横になってもいいかな」

「…………ラーク?」

「ごめん。少しだけだから」


 そう言うと、ゴロンと横になる。

 ラークの意識は少しずつ遠くなっていき──。



「…………ラーク?」

『嬢ちゃん。少し寝かせておいてやってくれ。今日は調子に乗ってマナを使いすぎたんだよ。コイツらしくもねえ』

「クロバ……」


 エルナは眠るラークの額に手を置く。

 

「……熱い」

『マナ欠乏なんて何年ぶりだろうな。ったく、俺は止めたんだぜ。自分と嬢ちゃんの青魔導制御を同時にしながら街歩きなんてよ。無謀を通り越してただのバカだぜ』

「…………そうなの?」

『当たり前だろ。って、そうか。嬢ちゃんは魔導を使わねえから分からねえか』

「……うん」


 エルナの瞳が不安げに揺れる。

 クロバの姿は見えず、声だけだ。視線は定まらず、ぼんやりとラークの顔を見ている。


『子どもの遊びでよ、こう長い棒を手のひらに乗せてバランスを取るやつ、やったことあるか?』

「……うん」

『心波を二人同時に制御するってのは、あれを二本同時にやるようなもんだ。しかも丸一日、街を歩きながらって、バカだろコイツ。それを「練習すればいける」とか言ってよ。この一ヶ月、朝晩ずっと練習してたんだ』

「え…………」

『無理をしてでも、嬢ちゃんに見せたかったんだろ。嫌悪されない街ってやつを。ラークに依存しなくたって、訓練が進めば、こんな世界が待ってるんだってことをよ』


 エルナはラークを見る。

 意識を失い、気分が悪そうに眉をしかめながらも、青魔導はしっかりと維持している。体から嫌悪感を漏らすようなことはしていない。

 その顔を、ゆっくり撫でる。


『その上、散々苦労して訓練したあげく、涼しい顔して「エルナには言うなよ」だ。格好つけやがって。トーテムがいつでもハイハイ言うこと聞くと思ったら大間違いだバカ』


 言葉は荒いが、クロバなりにラークを心配してきたのだろう。これまで何度も忠告してきたのを無視した上、いよいよ倒れてしまったラークに呆れているのだ。

 だから、格好なんてつけさせてやらない。こっそり行ってきた努力など、白日の下に晒してやる勢いなのである。


 エルナは口の端を少しだけあげる。


「…………ばか」

『そうだろ。しかも、魔導で戦闘まで始めるし、最後の方なんか、他の青魔導まで併用しだすしよ』

「……他の?」

『〈静心(カームダン)〉。笑っちまうよな。嬢ちゃんが着飾って登場してから……ラークの奴、欲情しねえよう抑えるのに必死だったんだぜ。あんな顔して』


 エルナは顔を真っ赤に染める。

 クロバは容赦しない。ラークが寝ているのをいいことに、なんやかんや全てを暴露するつもりなのだ。


「……教えて」

『あん?』

「……私の、知らない、ラーク」

『ククク……いいぜ。こんなチャンスめったにねえからな。そもそも嬢ちゃんを初めて見た瞬間な、コイツなんて呟いたと思う──』


 全部だ。

 ラークが聞いていたら悶死するレベルの本音を。聞こえないように言っていた呟きを。壊滅的なコミュニケーション能力を。エルナに迷惑をかけないようこっそり処理している健全な欲望を。全部、全部だ。


『嬢ちゃんに「何されてもいい」とか言われて、こいつ昨日の夜は相当悶々としてたんだぜ』

「く、くくく……」

『な。バカだろ、コイツ』

「…………うん。ほんとに」


 目の端に涙をためながら、エルナは可笑しそうに腹を抱える。そして、ラークの頭を柔らかく撫でる。


『コイツはさ。恨み言を言わねえんだ』

「…………え?」

『いや、な。ラークの奴が周りから嫌われるのはよ。言ってみりゃ俺のせいだ。ゴキヴリのトーテムなんて外れクジ引かされて、酷い目にあわされて。それでもな。ラークは俺に、恨み言を吐いたことがねえ』

「…………そう……なんとなく、わかる」


 エルナとラークの付き合いは、まだそれほど長くない。

 それでも、クロバの話すラークのことが容易に想像がつくくらいには、二人の仲は深くなっていた。


『トーテム覚醒者になるとな。未覚醒状態とは比べ物にならねえほど、トーテム特性が強まる。つまり嫌われる。しかも、操霊術を使ってる間は、魔導で抑えることもできねえ』

「……うん。そう聞いてる」


 操霊術はトーテムの力。

 魔導は人間自身の力。


 努力や想いがどうのという話ではなく、拮抗すれば、どうやったって人間に勝ち目はない。


『そんな状態でもラークのことを嫌悪しない人間は、一種類だけだ』

「……それは」

『──同じトーテム覚醒者。しかも、同じくらい青魔導適性の高い奴、だ』


 それは、ある意味残酷な条件だ。

 ラークがいたのは、軍学校でもトーテム覚醒者が集められる特別クラス。その中には、様々な魔導適性の生徒が混ざっていた。つまり、多くの者がラークを嫌う中で集団生活をしていたのだ。


 その中に、例え青魔導適性の高い者がいたとしても、わざわざ嫌われ者のラークの味方はしないだろう。実際、そんな者は皆無であった。


『ラークの奴は今も独りだ。たとえ嬢ちゃんでも、こいつの剥き出しの心波に触れれば、抗えず嫌悪しちまうだろう。だがよ……。もしもこの先、嬢ちゃんがトーテムに覚醒することがあったら』

「…………うん」

『そんときゃ、さ。このバカの隣にいてやってくれねえか。無理にとは言わねえけど』


 エルナはゆっくり顔を上げる。

 少し日が傾いてきただろうか。魔灯をつけた建物がちらほら見える。公園の屋台も撤収を始め、子どもたちは手を振って帰路についていた。


「……ねぇ。クロバ」

『あん?』

「…………まだ、ラークは起きない?」

『あぁ。精霊樹の根元だから回復は早いだろうが、目覚めるまでにはもう少しかかるだろ』

「そう……」


 それだけを確認し、エルナはラークの顔に手を伸ばした。




 精霊樹の丘。

 眠っている男の顔に、女はそっと唇を落とす。


 その様子を、遠くから眺める影が一つ。


「──やるねぇ、お嬢様」


 そいつは、空の上にいた。

 背中から黒い翼を生やし、旋回しながら対象を観察している。昼間は危うく気づかれそうになったが、現在は十分な距離をとって観察を続行していた。


『アガガガガ。ドウダ。ヤレルガガ──』

「うるせえ黙れ」


 男は赤い目を光らせる。

 そして、どこか壊れたような声を出しているトーテムを黙らせる。


「──いずれにしろ六色(ヘキサコロル)が邪魔だな。あのお嬢様なら、いい闇を生んでくれると思うんだが。さぁて、どうするか──」


 男は翼を翻し、都市を離れる。

 外壁の上空を簡単に飛び越え、魔物の住処となっているはずの森へ向かう。


 その姿に気づく者は、誰もいなかった。


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