10 路地裏の五色魔導
手を繋ぎ街を歩く二人。
顔を寄せあい、小さな声でなにやら囁き合っている様子は、傍からは仲の良いカップルにしか見えないだろう。
が、その会話の内容は──。
「……乙女の敵……大悪魔……女たらし」
「あ、あとで甘いもの買うから」
「……ダメ。ちゃんと責任とって」
「せ、責任?」
真っ赤な顔で怒り続けるエルナを、ラークは必死になだめていた。どうやら、壁に押し付けて恋人まがいの行動を取ったのがいけなかったらしい。
ラークにも言い分はある。
悪意を持った何者かから監視されている現状。待ちの姿勢ではいるのは危険なのだ。
襲撃の場所・タイミングを相手に委ねるということは、はじめから地の利を奪われるということ。あわせて、操霊術が必要になった場合を考えると、可能な限り人のいない場所へと移動する必要があった。
追跡者に勘ぐられないよう移動したい。
思いついたのは、あくまで演技として、盛り上がって欲情した男女が抑えきれないパッションを発散する、というシチュエーションを装っての裏路地への移動だったのだが……。
エルナは口を尖らせ、目に涙をためる。
「……酷い。踏みにじられた。抗議する」
「う、うーん。新しい服、買おうか」
「……乙女の覚悟はそんなに安くない」
「ど、どうすれば──」
「……スケベ……鈍感……すけこまし」
『嬢ちゃん、ラークの奴も悪気は──』
「クロバは黙って」
『あ、あぁ』
「……これは……ラークと私の問題」
「ん?」
かすかな違和感。
ラークはエルナの顔を覗き込み、首を傾げる。たしかこれまで、エルナはラークのことを「先生」と呼んでいたはずだが……。
「これからは…………ラークって呼ぶ」
エルナはぽつりとつぶやく。
「……責任、取ってくれるまで。ただのラークとしか呼ばない。先生、なんて呼んであげない」
「え、えぇぇ……」
慌てたように挙動不審になるラークを見て、エルナは顔をそらし小さな笑みを浮かべる。そして再び、プリプリと肩を怒らせながらズンズン歩いていった。
人気のない裏路地へとたどり着いた。
建物の影であたりは薄暗く、排水路が近いからか空気が湿っている。たくさんのスライムが汚れに群がって分解しているにもかかわらず、ホコリやカビの匂いが濃い。
ラークは静かにあたりを探る。
するとそこへ、待っていたかのように男たちが現れた。数は六人。
「──お熱いねぇ、お二人さん。こんな薄暗いところで、ナニしようってんだ。なぁ、俺らも混ぜてくれよぉ。へへ、いいだろぉ」
先頭の一人が絡みつくようにラークに近づき、周囲の男たちは下品な声で囃し立てる。
「みんなで遊んだほうが楽しいぜぇ! ガキの時にも言われたろ。玩具は仲良く順番に使いましょうってな。ヒャーッハハハハハ──」
一方のラークは、なんだか気が抜けた、といった様子で肩を落とした。エルナを一歩下がらせる。
「おかしいな。ハズレか……」
「あん?」
「いや、もう少し強い気配を感じたと思って身構えていたんだけど。ただのチンピラだったからさ」
「──っ!? てめぇ……」
なにやら急に怒り始めたチンピラ共を前に、ラークはくるっと後ろを向いてエルナを見た。
「エルナ。五色魔導についての勉強だ」
「…………五色?」
「現在確認されている全ての魔導は、黒白赤青黄の五色に分類できる。これから順に見せるよ。クロバ、解説は頼んだ」
『はいよ。嬢ちゃん、少し離れてようぜ』
エルナは頷くと、促されるまま数歩下がる。
「おいおい、どこに行くつもりだ?」
男の一人がエルナの方へと足を向けた瞬間。
ラークの気配が変わる。
普段は抑え込んでいる嫌悪感を、必要な分だけ放出したのだ。呼応するように、チンピラたちは苛立ちをあらわにする。まるで親の仇でも見るような顔。
この時点で既に、エルナに視線を向けている者は一人もいなくなる。
『精神属性を操る青魔導。基本技の〈心波〉だ』
「……青魔導。精神」
『あぁ。ようは嬢ちゃんが人に嫌われちまうのも、この〈心波〉を無意識に使っちまってるからだな』
精神を司る青魔導。
およそ精神耐性の高くないチンピラたちは、抑えようのない怒りや嫌悪感をラークに向けるしかない。
特殊な場合を除き、戦いにおいて冷静さを失うということは、敵に主導権を譲ることに他ならない。
『俺が嬢ちゃんに話しかけてる〈心話〉なんかも同種の魔導らしいぜ。他にも、幻影を見せたり、魅了したり……便利だが、絡め手の多い魔導だな』
「……なるほど」
『ラークの奴が嬢ちゃんに教えるつもりなのもこれだ。なにせ、生まれながら無意識に青魔導を使ってるんだ。適性が高いのはまず間違いねえ』
ラークはのんびりと男たちを見る。
彼らは懐からナイフを取り出したり、金属棒を構えたりと殺る気まんまんの様子だ。
剣呑な空気。
ラークはあくびを漏らした。
「──で、来ないの?」
鼻で笑う。
無遠慮な挑発。
彼らの苛立ちは最高潮に達し、顔を真っ赤に染め上げる。そして、なだれ込むように四方八方からラークへと襲いかかった。
「……だ、大丈夫?」
『まぁ見てな』
ラークは避ける。
身体をコマのように回転させ、背中に目でもあるかのような動きで男たちを翻弄しながら、一撃も掠らせずに捌き切る。
当たりそうで当たらない反応の良さ。
通常では考えられない素早さ。
「……これも魔導?」
『あぁ。時空属性を操る黄魔導。基本技〈百眼〉。身の回りの空間すべてが見える。慣れりゃ先読みも予知レベルでできるようになるな』
「……黄魔導。時空」
『次に、強化属性を操る赤魔導。基本技〈上昇〉。身体能力を強化していやがる。今の奴に一撃を食らわせるのは至難だ』
「……赤魔導。強化」
精神属性の青魔導で敵の動きを誘導、時空属性の黄魔導で不意打ちを防ぎつつ、強化属性の赤魔導で近接戦闘を行う。
魔導を駆使した戦闘方法の中でも、基本的な戦い方だ。
汗ひとつ浮かべずに避け続けるラーク。
次第に男たちは疲弊してきて、足元が覚束なくなってくる。それでも男たちは、ラークの〈心波〉からは逃れられず、怒りを燃やさせられて襲い続けるしかない。
もはや、操られて踊る哀れな人形だった。
次の瞬間。
周囲から木材や金属片が飛来する。
廃材の雨は男たちの肌を軽く裂き、地面に突き刺さり、逃げ道を塞ぐ。見えない手でも存在しているかのようなこの魔導は──。
『現象属性の黒魔導。基本技〈念動〉』
「……黒魔導。現象。これは知ってる」
『〈雷火〉は受けまくってたな』
「あれはちょっとトラウマ……」
ラークは男たちに近づいていく。
そして、疲弊しきった彼らを一人ずつ介抱しはじめる。怪我の部位を確かめ、指先から白い光玉を飛ばす。エルナにとっては見慣れたものだ。
「……白魔導?」
『あぁ。生命属性を操る魔導だ。基本の〈回復〉は治すだけだが、逆に毒を与える魔導もあるぜ』
「……白魔導。生命」
黒、白、赤、青、黃。
エルナは一つ一つ、噛みしめるように呟く。そして、驚きの戦闘能力を見せた家庭教師へと目を向ける。
当のラークは、既に〈心波〉を止めていた。
精神を無理やり興奮させられていた反動からか、男たちは表情を失い、ただ呆然と地面に座り込んでいる。
『嬢ちゃん。よく見ておけ』
「……え?」
『青魔導の奥義〈精神操作〉。嬢ちゃんの目指す先にあるモンよ』
ラークは男の一人と目を合わせる。
そして、不思議と耳に響く穏やかな声で、心の中に直接語りかけた。
「今日のことは、忘れましょう」
「今日のことは、忘れます」
「廃材を片付けて、家に帰りましょう」
「廃材を片付けて、家に帰ります」
「自分の人生を考え直しましょう」
「自分の人生を考え直します」
「これからは真面目に生きましょう」
「これからは真面目に生きます」
うつろな瞳で復唱する男。
よし、とラークは呟く。
顔を上げて振り返ると、少し離れた場所ではエルナがポカーンと口を開けていた。ラークは軽く手を上げる。
「お待たせ。行こうか。この場の片付けは彼らがやってくれるって」
「…………あ。うん」
「クロバに青魔導の説明は聞いた?」
「……うん」
エルナは覚えた内容を言葉少なにボソボソと繰り返す。
ラークは微笑みながらそれを聞き、細かい部分の説明を補足する。
裏路地を抜ければ、そこにはいつも通りの街が広がっていた。二人はホッと気を緩める。
──だが、その様子を遠くから見つめる影があることには、ラークもエルナもクロバも、誰も気がついていなかった。