溶け落ちた恋と取り残された心
「朝露くん?」
墓参りをしていた朝露泰に話しかけてきた女性はまるでゾンビだった。
線は細く、人間らしい感情をうかがわせない目でこちらを見つめていた。生き生きとした活力など彼女にはまるでなく、その姿は見えない糸で操られた人形のようだった。
「……ぼくは朝露泰ですけど」
「いえ、たしかに彼ではないわね。年齢が違うし」
「あの、もしかして叔父さんのことですか?」
二人が立っていた場所の前の墓石には名前を刻まれていた。
「ああ、きみは彼の甥なのね」
「叔父さんとはどういう関係だったんですか?」
叔父の親族であれば面識があるはずだし、こんな特徴的な人物を忘れるはずなのに、目の前の女性は会ったことのない人物だ。
「私は逢坂愛佳。まあ、彼の恋人だったわ」
その声には隠し切れない感情がにじみでていた。その瞳と表情は全く動きがなかったけれど、声はわずかに震えていた。
「ごめんなさいね、昔を思い出してしまって」
一筋の涙が頬を伝う。
「……ここで話し込むのもあれね、アイスでも食べない?」
地上を焼くような強い光を発する太陽とアスファルトで全面をおおわれている道路のため、熱はなかなか逃げない。その中でアイスを食べたらとてもおいしく感じられるだろう。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
逢坂はチョコチップアイス、泰はバニラアイスを選んだ。代金は逢坂が払ったため、泰は一番安いバニラを頼んだのだ。
「思い出すわ、朝露くんのことを」
「叔父さんのことですか?」
「ええ、きみは彼によく似ているわ」
泰の叔父である朝露健はちょうど今の泰と同じくらいの年齢で亡くなった。そのため、遺影はおよそ十六歳のものであり、それを見るとたしかに二人は似ていたのを覚えている。
「……私と朝露くんは共学の高校のクラスメイトだった。といっても、私も彼も周りの色恋とはちょっと違っていたわ」
昔のことを語る逢坂の表情には様々な感情が混ざり合っていた。
「部活も委員会も違っていたけど、なんとなく馬が合った。けれど、甘酸っぱい恋ではなかったかな」
「父によれば叔父さんは物静かで、恋人がいるような男ではなかったと聞いているんですが」
「ええ、そうね。クラスメイトにも肉親にも隠していた。それに、告白もなかったし。ただ、毎日手をつないで帰っていただけ」
「キスとかは?」
「しなかったわ。でも現状に満足していた。少なくとも私はね」
表情は動いていないはずなのに、その顔は後悔と懐古の念で包まれていた。
「でも、私たちは初めて喧嘩したことがあったの。きっかけはくだらないことだったけどね。ただ今までも一度も喧嘩どころか文句もなかったのに、大喧嘩に発展してね」
太陽の光で二人の持つアイスクリームが徐々に溶け始める。氷のように閉じられた逢坂の口が開き始めるように。
「それで、どうなったんですか?」
「その喧嘩のせいでお互いに熱くなって、冷静になれなかった。なかなか仲直りすることができず、一週間くらい口をきこうとはしなかったの」
逢坂の化粧が涙で崩れていく。まるで今まで無表情でおおわれていた逢坂の本心がだんだん露わになっていくように。
「時間のおかげで頭が冷えて、やっと謝罪する気になった」
溶けたアイスが涙のように逢坂の手を流れていく。
「でも、全てが遅かった」
逢坂は朝露健の墓石を見つめる。
その目に宿るのは後悔か、慚愧か、それともまた別の感情か。
「もっとはやく踏み込んだ関係になればよかったかもしれない。恥ずかしがらずに愛を告白した方がよかったかもしれない。」
けれど現実は残酷だった。
死人が蘇ることはない。
死者に罪を償うことは誰もできない。
「今でも彼が好きというこの感情が色あせることはない。でも、彼はもうこの世にいない。感情だけが置き去りになったまま、恋は壊れた」
チョコチップアイスが涙のように溶けて、チョコチップだけが残っていた
まるで恋は破れたのに感情だけが心に残ったままのように。




