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<5>ヒーローの証

僕達の地球(ほし)


<5> ヒーローの証




 俺の名前は原田正敏、29歳。小学校の教師をやっている。…別に情熱があって教師という職業を選んだんじゃない。父親が教師だったからその流れで俺も教師になった。親や親戚中がそれを望んだんだ。

 正直、子供は嫌いだ。


「はぁ!?じゃぁ何ですか!?先生は家の子が悪いとおっしゃるんですか!?」

 人間食ってきたの?って思いたくなるくらい真っ赤な口紅のおばさんが俺に唾を飛ばしながらすごい剣幕で詰め寄ってきた。

「…いえ…別にたくみ君が悪いなんて言ってないでしょう?」

「家のゆういちが悪いとでもぉ!?」

 グレーのシャツの脇から汗を滲ませながらゆういちの母親が吠えた。

「いやぁ…ゆういち君もそんなに悪くないですし…」

 この2人の母親に挟まれながら、俺はオロオロするしかなった。



「――-は?ケンカの原因は消しゴムなの?」

 俺の恋人で違う小学校の教師、橘真登香は笑いながら言った。

「そうなんだ…ゆういちがたくみから借りた消しゴムのまだ使っていない角っこを使ったんだ。そしたらたくみが激怒してさ〜あんまりすごい剣幕だったからゆういちはすぐ謝ったんだけど、たくみは許さなかったワケよ。そんで母親に泣いて訴えてさぁ〜そのゴリラみたいな母親が学校に乗り込んできたんだ」

 俺は真登香の作ったタラコスパを箸で頬張りながら言った。真登香はくすくす笑い出した。

「笑い事じゃないんだぞ!すっげぇ大変だったんだからな!」

「うん、うん、分かるって!しかし正ちゃんの学校ってそんな親ばっかりじゃない?」

 確かに、俺が勤める学校の生徒の親は変わり者が多い…いや、親だけじゃない。生徒達も変なのばっかりだ。

 特に…6年3組!!


「本当に子供ってすごいよね〜!どの子も発想が斬新なのよ!今日の理科の実験の時もね…」

「子供は単純なだけだよ。大人と違って色々考えなくていいだろ?だから奇抜な事ばっかりやらかすんだよ!」

 俺はイライラしながら言った。

「もう…せっかく6年の担任になれたのに…もっと気持に余裕持たないともたないわよ、正ちゃん」

「そんな事言ったってな!あいつらは怪物なんだぞ!化け物なんだぞ!だから担任なんてやりたくなかったんだ!」

「…正ちゃん…子供を化け物なんて言っちゃダメよ…」

 真登香が寂しそうな、悲しそうな表情で俺を見ていた。俺はなんだか居た堪れない気持ちになった。





 別に俺だって子供が憎くいワケじゃない。ただ、あんまり関わり合いたくないんだ。

 俺はあの子供独特の世界観には付いていけない。



「……先生…原田先生…」

 3限目の授業が終わり職員室に戻ろうとした俺に、6年3組のさくらが目を潤ませながら言ってきた。

 今度は何だよ…

「…どうした?さくらさん?」

「…あのね、先生…あの…」

 さくらは言いにくそうにしながらうつむいた。

「ハッキリ言わないと分からないよ?」

「…あのね…今日ね、お母さんに買ってもらったプーさんの色鉛筆持って来たの」

「…うん。」

「…でね…みおちゃんが貸してって言うから私すぐ返してねって約束してね、みおちゃんに貸してあげたの…」

「……また貸してあげたのか?…それでまた返してくれないのか?」

 俺の言葉にさくらはぽろぽろと涙を流しながら頷いた。

「…あぁ…もう泣くなよ。先生言ったろ?みおさんにはもう何も貸しちゃいけないって」

「…っだってっ…ヒック…貸してあげないとっ…いじわるっ…ヒッ…されるもん…ヒック…」

 俺はため息を小さく吐きながら、さくらと供に教室へ戻った。


「ちゃんと返したもん!」

 みおはぷくっと膨れた頬をさらに膨らませ、口を尖らせた。

「でもさくらさんはまだ返してもらってないって言ってるよ」

 俺はそう言いながら俺の後ろに隠れたままのさくらを見下ろした。

「何でそんな事言うの?さくらちゃん、さっき返したじゃない!」

「…っまだ…返してもらってないもん!…」

 声を震わせながらさくらは言った。

 このみおは本当に癖が悪い。被害者はさくらだけではなかった。

 別の子はミッキーの色ペン、また別の子はキティのノート…最初はすぐ返すような事言って、そのまま家に持って帰り自分のものにしていた。さすがにいけないと思い、みおの親に現状を説明した。

『そう言われましてもね〜みおは知らないって言ってるし…本当はその子らが嘘吐いてるんじゃないですかね?』

 と言って全く相手にされなかった。自分の子供の事なのに本当に関心が無い様子だった。

 親が親なら、子も子だ。



「…また先生からみおさんに言ってみるから、とにかく今日は諦めなさい」

 俺の言葉にさくらは納得いかない様子だったが、渋々頷いた。

 今回もすぐには解決しないだろう…

 俺はそんな事を悶々と考えながら…そしてもう一つの不安を抱いていた。その不安は翌日見事に的中した。


「―――先生!原田先生!お電話ですよ〜井口さくらさんのお母さん!」

 はぁ〜…やっぱりきたか…

 俺は電話に出る前からどっと疲れを感じていた。






「―――それで?そのお母さんと2時間も話したの?」

 真登香が夕飯の後片付けをしながら言った。

「そう…もう耳が痛いよ…」

 結局2時間、生徒達に自習させた。授業は遅れるし、教頭には説教されるし…もう最悪だ。

「……ねぇ…正ちゃん…ちょっと話あるんだけど…」

「あ?話?悪いけど明日にして。俺もう疲れたから寝るわ。勝手に帰っていいからな」

 俺はそう言って大欠伸をしながら腰を上げた。

「待って…正ちゃん…」

「あ…カギ、ちゃんとかけて行けよ。この間忘れてただろ?」

「…う…うん…ごめん…」

 俺はそのまますぐにベッドに倒れ込んだ。台所で真登香が食器を洗っている音を聞きながら、俺はあっと言う間に眠りに落ちた。



 翌日、真登香はアパートには来なかった。まぁ、あいつも教師だし忙しいから来ないのだろうと思い、俺は真登香が何を話したかったのか気にする事もなく、数日が過ぎていった。


 そして、蝉が暑苦しく鳴き叫ぶ日曜日の朝に、家の電話が鳴った。

 俺は親からだと思い、出なかった。その電話はしばらく鳴って止まった。俺はボーとする頭を抱えながら目覚まし時計を掴んだ。まだ7時だった。

 こんな朝早くから何だよ…

 俺はイライラしながら足元に押しやられていたタオルケットを掴み、自分の身体にかけ直した。

トルゥルゥルゥゥゥ―――!!

 また電話が鳴り出した。―――真登香?俺は携帯の着信履歴を見た。誰も俺の携帯に掛けてはいなかった。そうしている間も電話は鳴り続けていた。俺は仕方無く受話器を上げた。

「……もしもし?…」

[ ……原田様でしょうか?]

 まったく聞き覚えのない女の声が響いた。

「…はい…何か?」

[ 私、今日は原田様にとても大切なお話がありましてお電話致しました!]

 勧誘電話か!?

[ 今日は原田様に課せられた重要な“任務”についてお話致します。その“任務”は私達の地球を救う大切な役割を兼ねており……]

 宗教関係か!!

「おい!朝っぱらから変な話始めるなよ!大体何だ!?あんた!どうやって電話番号や名前調べたんだ!?」

[ 落ち着いて下さい、原田様。今はそんな悠長な事を言っている場合ではございません]

「…はぁ?何言ってるんだよ!」

 俺は勢いよく電話を切った。そしたらすぐに携帯電話が鳴り出した。俺は飛び上るほど驚き、恐る恐る携帯を覗き込んだ。非通知で鳴り続ける携帯のボタンを震える指で押した。

[ 何故お切りになりますか!?まだ何もお話ししていませんよ!]

 さっきより息を荒くして女は叫んだ。

「なっ何で携帯番号まで知ってるんだよ!」

[ いいですか!これからお話しする事は私達の地球の存続に関わる事なのです!真剣にお聞き下さい!分かりましたね?]

「…はっはい…」

 俺はその女の剣幕に圧倒された。

 その女は一呼吸置いて、ゆっくり喋り始めた。

[ あなたが担任をされていますクラスの生徒の中に、25年後、私達の地球を救う救世主がいらっしゃいます]

「はぁ…」

 まさか!と、俺は心で大笑いしながらとりあえず女の話を黙って聞いた。

[ その救世主が生命の危機に直面します。私達の救世主を殺そうとする悪魔が現れるのです。その悪魔と闘って、その救世主を守っていただきたいのです]

「…何の話をしてるんだ?あんた…」

 俺はだんだんバカバカしくなっていた。

[ ですから、救世主を狙う悪魔と闘って…]

「いや…そうじゃなくて…俺のクラスに?あのわがままなガキしかいないクラスに救世主?何の冗談だよ!大体、何で俺があんなガキのために身体張らなきゃいけないんだ?」

[ あなた、担任ですよね?]

「そうだけど…いや!そんなワケ分かんない話しないでくれる?何?どっかの宗教関係の人?悪いけど、俺そういうの嫌いだから…」

[ 切らないで!!]

 電源を切ろうとした携帯から女の声が飛び出した…と、思うくらいでかい声だった。

[ 分かりました。ではこうしましょう。今日の原田様のサプライズな出来事を予言いたします。その予言が当たっていれば私の言う事を信じていただけますね?]

「…内容にもよるけど…」

[ はい?]

「分かったよ…100%当たってたら一応信じるよ…」

 まったく、何でこんな女とせっかくの休みにこんな変な話してんだよ…と、イライラしながら…そのサプライズな出来事に少しだけ興味が湧き…俺はその女の話を聞いた。

[ では…今日の昼1時15分に恋人の真登香様から携帯にお電話があります]

 …ん?真登香!?

「おい!何で真登香の事まで知ってるんだよ!?」

[ 私の言う事、信じていただけますか?]

「…で!真登香が何だよ!」

[ 真登香様は『正ちゃん、お昼ご飯食べた?』と言います。原田様は『まだぁ〜』と答えます。真登香様『私もまだなの!これから食べに行かない?』原田様『…これから?どこに?』真登香様『○○町にカフェレストラン出来たの!そこ行こうよ!』原田様『…っ』]

「あぁ!もう!いちいち声色まで真似るなよ!」

 俺は俺達の声色まで完璧に似せて話すこの女に、さすがにぞっとした。

[ 100%とおっしゃいましたので…]

「もういいよ!気持ち悪いな!…つまり今日の昼に真登香と○○町のレストランに行くんだろ?」

[ はい。そしてそこで原田様は“本日のランチセット”、真登香様は“夏野菜たっぷりさっぱりリゾット”をご注文されます。]

 何でこのクソ暑い時にリゾットなんだよ!

「…で?」

[ そのレストランでお食事をされた後、真登香様の大好きな美術館へ行かれます。そこで真登香様からサプライズな報告がございます]

 真登香が美術館好きってのも知ってんのかよ…

「…で?そのサプライズな報告って?」

[ それはご本人様からお聞き下さい]

 女はそう言うといきなり通話を切った。俺はしばらく茫然としていた。



 それから俺は女の言っていたPM1時15分まで落ち着かなかった。そしてPM1時15分――――俺の携帯が鳴った。

[ 正ちゃん、お昼ご飯食べた?]

 と、いつもの元気な真登香の声が携帯から溢れた。

「…まだ…」

[ 私もまだなの!これから食べに行かない?]

「これから?…どこに?…」

 俺はごくりと唾を飲み込んだ。



 あの女の言っていた通り、真登香の希望で○○町に出来たレストランでランチした。あの女の言っていた通り…俺は本日のランチセット(席に着いた途端、無性に食べたくなった)、真登香はリゾット…

「…夏にリゾットか?」

「あら?可笑しい?このリゾット冷たくてさっぱりしてて美味しいよ。正ちゃんだって食欲無い時お茶漬けで済ませてるじゃない?」

「…食欲無いのか?」

「…うん…ちょっと夏バテ気味…」

 そう言えば…今日の真登香は少しだけ顔色が悪い…。

「ねぇ!この後さ、美術館行ってもいい?」

 真登香の言葉に、俺は思わず苦笑しながら…鳥肌が立っていた。





 夜の6時前に俺は真登香と別れた。帰り道…オレンジ色の燃えるような夕日の中、まだムンッとするアスファルトからの熱気を感じながら俺はフラフラと歩いた。

 美術館での真登香のサプライズは…確かにサプライズだった。聞いた途端、頭が混乱した。何で?何で?と…

 あんなに注意してたのに…


 アパートのドアのカギを開け、部屋に入った途端、俺の携帯が鳴った。

[ ご懐妊、おめでとうございます]

 女は淡々と言った。

「…何なんだよ…あんた…やっぱりヤバい人?」

[ これで私の事、信じていただけましたか?]

「…はぁ…」

[ せっかくのおめでたい日にため息なんか吐いては幸せが逃げてしまいますよ?]

 幸せなんて…とてもまだ実感出来る気分じゃない…

[ …世の男性というのは、やって気持ち良ければそれでいいのでしょうか?]

「は?」

[ 女性というのは、とてもとても尊い存在です。なぜなら原田様がお守りする救世主を誕生させたのは女性でございます。つまり、その女性も救世主という事になります。]

「…でも…男がいないと子供は出来ない…その子の父親も救世主じゃないのか?」

 俺は自分の事を棚に上げて…なんだか寂しい気持ちになり、女に反論した。

[ 今の原田様では、救世主にはなれません。ですが救世主をお守りする事は出来ます。その救世主を守り抜くという事は私達の地球を守る事と同じ意味がございます。原田様、ご自身の置かれた立場をもう一度お考えになり、これほどの徳のある大役を受けられました事の喜びを実感下さいませ]

 この女…

「…ところで、その救世主って誰なんだ?」

[ ……まだ分かりません]

「はぁ?」

[ では、後日またご連絡致します]

 女はそう言ってまたさっさと通話を切った。










「―――先生?原田先生?」

 日直のやまととあゆが不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。

「わっ!…って何だ?どうした?」

「だって…今日先生ずっとぼぉ〜ってしてるよ?」

「…そうか?」

 俺はあせあせしながら答えた。

「彼女とケンカでもしたの?」

 また余計な事を…

「…あゆさん、日誌はちゃんと書いたか?」

「はい…先生、本当に彼女とケンカしちゃったの?」

 周りにいた生徒達がざわざわと騒ぎ出した。

「ケンカなんかしてないよ。いいから早く日誌出しなさい」

「え!?先生やっぱし彼女いたんだ!」

 やまとが興奮気味に叫んだ。こうなると、教室中がうるさくなる。

「先生の彼女美人?」

「先生の彼女いくつ?」

 ガキ達が引っ切り無しに言ってくる……俺はそんなガキ達を宥めながら、本当にこの中に救世主なんているのか不安になっていた。

 ……いや、1人だけいる。

 俺は窓際の席で、1人黙々と芥川龍之介全集を読んでいる峰りょうまに目をやった。峰医院の跡取り息子。成績は常にトップ。今年、中学受験を控えている6年3組唯一の優等生。

 りょうまなら…地球を救う救世主になるかも…25年後に地球に死のウイルスが流行して、りょうまがそのウイルスの抗体を作って…って何考えてるんだよ!




 そんな事を悶々と考えながら数日が過ぎた。まったく連絡が取れなくなった真登香の事を考えながら、俺は放課後の校舎の見回りをした。

 赤い夕日が差し込む廊下を歩いていると、6年3組の教室から物音が聞こえてきた。

 みんな帰ったはずなのに…

 俺は恐る恐る教室を覗いた。――――おかっぱ頭の少女が机の中を漁っていた。

「…みお?…みおさん?」

 少女の身体がビクッと動いた。

「…何やっているんだ?もうとっくに下校時間は過ぎたぞ…」

 俺はそう言いながら、みおの手に握られた真新しい絵の具セットを見た。

「……みおさん…それ君の?」

 みおは黙って唇を噛んだまま、うつむいた。俺は…今までに感じた事のないくらい悲しい気持ちになっていた。

「…みおさん!」

 逃げ出そうとしたみおの細い腕を、俺は掴んだ。

「っ放して!…」

「…みおさん!」

「やだぁ!」

 みおは今にも泣き出しそうな声を上げた。

「どうしてこんな事するんだ!?」

「いいじゃん!みんないっぱい持ってるんだから!1個ぐらいいいじゃん!」

「よくない!!」

 自分でも驚くぐらい、大きな声でみおを怒鳴り付けた。みおは目を大きくして俺を見た。

「…よくないよ、みおさん。人の物を黙って持って帰るのは…泥棒のする事なんだよ。泥棒は犯罪だ」

 みおの唇が震え出した。

「…いいじゃん…みんなたくさん…買ってもらってるんだから…あたしは一個も買ってもらえないんだから…」

 俺は目から涙をぽろぽろ流しながら喋るみおを見つめた。

「…もし、みおさんの大事なお友達がみおさんの物を勝手に持って帰ったらどうする?悲しくないかい?」

 俺の言葉にみおは黙って泣いていた。

「もし君が悲しいと思うなら、それと同じ事を友達にしてはいけない。いいね?」

 みおはうつむいたまま、小さく頷いた。

「…先生…もうしないから…今日の事は誰にも言わないで…パパにも…ママにも…お願い…先生…」

 涙を流しながら俺に頼み込むみおの姿は、本当に小さかった。

「分かったよ。約束だ。だからみおさんも約束守るんだぞ!」

「うん」

 そう言うとみおは少しだけ笑った。


 俺はみおを下駄箱の所まで送り、職員室に戻った。するとすぐに佐伯先生が声を掛けてきた。

「原田先生!聞きましたよ!先生のクラスの山浦みおさん!」

 俺はギクっとした。まさかさっきの事がもうばれた!?

「この間の交通安全ポスターコンクールの6年生の部で最優秀賞ですってね!いやぁ〜あの子は色々と問題はありまが、絵の才能があるみたいですね!」

「え?そうなんですか!?」

 目を大きくして言う俺の顔を見て、佐伯先生が笑った。

「先生はこの学校に来たばっかりだから知らないか…みおさんは前にもコンクールで賞取った事あるんですよ。絵を描くのが好きな子でしょっちゅう描いてましたもんね。もっと親御さんもそういう才能を伸ばせるようにしてやればいいのにねぇ〜」

 …知らなかった。

 いや、よく考えると確かにみおの色彩感覚は子供のくせにすごいなぁ〜て感心した事はあった。……そう考えると、俺のクラスには個性的だが才能のある子が多いような気がする。やまとは学校1俊足だし、れみは歌が上手い。たくみは性格に問題ありだが雑学博士だ。それから、それから…俺のクラスの生徒は結構イケてるのかもしれない。

 本当に、あの女が言ってたようにあのクラスの中に救世主がいるのかもしれない。



 俺は本気で…でも漠然とそう考えるようになっていった。

 あんなに子供が疎ましかった自分が、あんなに子供と接するのが苦手だった自分が、今はどうだ。常にクラスの子供達を観察するようになっていた。今何を話しているのか?何を考えているのか?何を笑っているのか?何を怒っているのか?――――そして、子供の行動が如何に単純で、子供の心が如何に繊細か、少しだけ分かったような気がした。



 そうこうしているうちに学校は夏休みに入り、結局あの女が言っていた悪魔は現れなかったし、あの女からはあの日以来まったく連絡はこなかった。

 そして…

[ ―――もしもし?正ちゃん?]

 真登香の元気な声に俺は拍子抜けしてしまった。

「なっ何だよ!今まで何やってたんだよ!ずっと連絡してたんだぞ!」

[ ごめん、ごめん!ちょっと入院してたの]

「入院!?まっ…まさかお前!…」

[ 何早とちりしてんのよ!残念ながらベイビィ〜はまだ健在よ!]

 真登香の言葉に、俺は言葉を詰まらせた。そんな俺を真登香は呆れたように笑った。

[ 少し夏バテしたのよ。身体の状態も普段と違うから用心のために入院したのよ…大したことないわ]

「そうか…ここんとこ無茶苦茶暑かったからな…無理すんなよ…」

[ …えぇ…ところで、今後についての話し合いはいつする?]

 真登香はいつもに増してサバサバと聞いてきた。俺はなんだか無性に寂しい気持ちになった。…俺が一番悪いんだけど…

「今日は?俺がそっち(真登香の家)に行こうか?」

[ …今日は無理かな…明日登校日でしょ?準備しないといけない事があるの…明日は学校の先生達と食事する約束しちゃってるから…明後日は?]

「うん…じゃぁ、明後日の土曜日だな。昼飯でも食いに行くか?」

[ うん!]

 真登香は元気に答えた。そんな真登香の声を聞いて、俺は少しだけホッとした。

 あの日、美術館で俺は真登香にとてもひどい事を言ってしまった。その時の真登香の一瞬だけ見せたあの強張った表情が今も脳裏に焼き付いている―――







 次の日の登校日は朝からシトシトと雨が降っていた。ジメジメとした空気の中、体育館では校長のやたらと長い話が続いた。子供達はうんざりした表情で頭から汗を流していた。もちろん、俺達教師もタオルで汗を拭いながら腕時計ばかり見ていた。


「―――マジで!?ディズニーランド行ってきたのか!?」

「いいなぁ!私も行きたい!」

「オレは去年行ったもんね〜」

 教室では、子供達が夏休み前半の話題を夢中で喋っていた。

「…やまと君、随分焼けたな〜海にでも行ったのか?」

「違うよ先生。サッカーの合宿で焼けたんだ」

 夏休み前よりもさらに真黒に焼けた顔で、やまとは得意げに笑った。

「やまとはJリーガーになるんだよな?」

「うん!それでオリンピックにも出場するんだ!」

「オレはプロの野球選手!」

 子供達は鼻の下に汗を溜めながら必死に自分達の将来像を語り出した。

「オレはな!…」

「はいはい!もう終了!早く帰らないとお母さんが心配するぞ!」

 俺の言葉に子供達がランドセルを背負い、帰り仕度を始めた。

「私のお母さん今日も仕事なの。だから帰りにコンビニでお弁当買って帰るのよ!」

 みおが笑顔で言った。

「あっ!みおちゃん、私も付いて来ていい?」

「ダメだよ!寄り道は!真っ直ぐ家に帰りなさい!」

 俺の言葉にみおとさくらがうなだれた。

「…だってお弁当買って帰らないと食べるのないもん…」

 口を尖らせて言うみおを見ながら俺はため息を吐いた。

「…あぁ…そしたらコンビニ行ったらすぐ帰るんだぞ!さくらさんも一回家に帰ってからみおさんと遊びなさい」

「はぁ〜い!」

「みおちゃんとさくらちゃん一緒に遊ぶの?私もいい?」

「先生!さようなら〜!」

 そんな事を言いながら、子供達はわらわらと教室から出て行った。

 俺は子供達のせいで散らかった教室の中を簡単に掃除しながら、窓から外を眺めた。朝より雨足が強くなった空を眺めながら、明日真登香とどこに昼飯を食べに行くか考えていた。

 そして、俺は何気に校門に目をやった。赤やピンクや黄色の傘が歩く校庭から少し離れた校門の所に、明らかにおかしい…尋常ではない黒い物体があった。

 俺は一気に血の気が引いた。

 しまった!!!

 俺はそう考えるのと同時に教室から飛び出した。そして全力で子供達がいる校庭まで走った。

「先生!どうしたんですか!?」

「ふっ不審者です!校門の所に不審者ですよ!早く警察呼んで下さい!」

 俺はそう叫びながら階段を駆け下りた。

 校庭に出ると、その黒い物体が何なのかすぐに分かった。

 その男は傘もささず、雨に濡れた顔を緩ませながら子供達に近づこうとしていた。子供の一人がその異常な雰囲気の男を見て悲鳴に近い声を上げた。その声を引き金に、校庭にいた子供達が一斉に叫び始めた。男は不気味な雄叫びのような声で叫びながら、固まって下校していた俺のクラスの子供達の所に突進していった。

「やめろ―――!!」

 俺は叫びながら必死に走った。子供達の色とりどりの傘が空中に舞った。子供達の悲鳴がどしゃ降りになった雨の激音と混ざりあった。

「キャァァァ―――」

 男が子供達を捕まえようとした時、俺はその男に飛びかかった。

「うおぉぉ!!」

「この野郎!…」

 俺は必死に男を押さえ付けた。

「…っせっ先生!…っ…」

 子供達が恐怖のあまりその場から動けなくなっていた。

「…っ早くっ…逃げなさい!早く校舎に逃げなさい!!」

「うおぉぉ!放せぇ!…」

 男がすごい力で暴れ出した。

「何やってるんだ!!早く逃げろ!!」

「先生!怖いよ!!」

 やまとが泣き叫んだ。

「…泣くな!やまと!みんなを連れて早く走れ!!やまと!!」

 俺の言葉にやまとの顔が変わった。

「みんなっ!!立ってぇっ!!…っ…早く!!」

 やまとの声に子供達が立ち上がり、校舎まで駆け出した。

「放せぇ!!」

 暴れ続ける男をなんとか押さえ込みながら、俺は豪雨の中走って逃げる子供達の後ろ姿を見た。

 そうだ!もっと早く!もっと遠くに逃げるんだ!!

 その瞬間、俺の脇腹に激痛が走った。

「…いっ…」

 俺の身体を男は足で蹴り払い、のっそりと身体を起こした。俺はナイフで刺された脇腹を抱えながら男を見た。男は俺に笑いかけ、そして子供達の方に目をやった。そしてゆっくりと立ち上がろうとした。

 行かせてたまるか!!

 俺は男の足を両手で掴んだ。

「!!放せよぉ!」

 男が俺の手を蹴った。それでも俺は放さなかった。脇腹から血がとくとくと流れているのが分かった。意識が遠のくのを感じた。

「何だよぉ!お前!放せよ!」

 男は俺の身体を蹴り続けた。それでも俺は放さなかった。

「……もんか…っ…」

「何だよぉ!!」

「放すもんか!!」

 俺は力の限り叫び、最後の力を振り絞り、男に飛びかかった。

「ひぃ!!」

 男は勢いよく後ろにひっくり返った。そして地面に後頭部を強打し、そのまま動かなくなった。


 ウ―――――というパトカーのサイレンと

「…先生!原田先生!!」

 という他の先生達の声を聞きながら、俺はそのまま意識を失おうとしていた。

 子供達は大丈夫か?間に合ったのか?

 俺は薄れゆく意識の中、そんな事を考えながら…そして真登香の事を考えていた。


『――う…産むのか?』

 そう言った俺の言葉に、真登香は一瞬だけ顔を強張らせた。俺はしまったと思った。なんて事言ってるんだ!でも真登香はすぐにいつもの穏やかな表情になって…でもとても悲しそうな瞳で苦笑した。

『それをどうするか、2人で決めないとね』

 真登香はそう言って笑った。微かに瞳を揺らせながら…笑っていた。




……正ちゃん…

 真登香の声が頭に響く。

……正ちゃん……

 真登香…ごめん…俺……




「正ちゃん!!」

 ハッとした俺の目にコンクリートの天井が飛び込んできた。

「正ちゃん!!!」

 真登香が泣きながら俺の顔を覗き込んだ。

「真登香?…」

「もう!…正ちゃん!」

 真登香はそう言いながら、泣きながら俺の身体を揺らした。俺の脇腹に痛みが走った。

「っ痛!…痛いって…」

「あ!ごめん!大丈夫!?」

 真登香は慌てた様子で言った。

「…っ!子供達は!?」

 俺は慌てて真登香に聞いた。真登香は穏やかに微笑みながら頷いた。

「大丈夫よ、みんな無事よ。正ちゃんが身体張って守ったんですもの。さっきまでみんな親御さん達とここにいたのよ」

「え?ここに?…ここって病院?」

 俺は自分が寝ているベッドから病室を見渡した。

「病院に決まってるじゃない!正ちゃんお腹刺されたのよ!たくさん血出たのよ!出血多量で大変だったんだから!」

 真登香の言葉に俺はようやく恐怖が湧いてきた。

「子供達も親御さんも正ちゃんが目覚めるまで待ってるって言ってたんだけどね…他の先生や看護師さんが帰るようになんとか説得したのよ」

「…そうか…あっ!悪魔…犯人は!?」

「犯人ね…頭打って完全に気絶してたから警察の人が抱えて運んだわよ…まったく…最近こういう事件多いわよね。無差別に人を傷つけるの…本当に腹が立つわ…」

 真登香は本当に悔しそうに唇を噛んだ。

「…真登香…お前は大丈夫なのか?体調は?…今日約束あるとか言ってなかったか?」

「約束!?こんな時に何言ってるのよ!私そんな薄情な女じゃないわよ!」

「いや…別にそんな意味じゃ…」

「…もう!…今から正ちゃんのアパート行って着替えとか取ってくるけど…他に何か持ってきてほしいのある?」

 真登香は丸椅子から腰を上げながら訊いてきた。

「いや…あ…文庫本を何冊か…机の上に置いてるから…」

「うん、分かった」

 そう言って病室から出て行こうとする真登香の手を、俺は掴んだ。

「!?なっ何よ?どうしたの?」

 真登香が驚いた表情で俺の顔を見下ろした。

「…何か月ぐらい入院かなぁ?」

「…そうね〜まだ詳しい事は聞いてないけど…多分…1か月ぐらいじゃないかな?何で?」

「…そうか…」

 俺は頷きながら…呼吸を整えた。

「…正ちゃん?」

「退院したら…お互いの両親に挨拶しに行こう」

「え?」

「子供は2人でちゃんと育てよう」

 俺の言葉に、真登香はしばらく黙っていた。

「…後悔しない?」

 真登香の言葉に俺は少しショックを受けた。

「どういう意味だよ!」

「だって…正ちゃん、子供嫌いじゃないの?」

「本当に嫌いだったらこんな目に遭ってないよ!」

 そう言うと、真登香は吹き出すように笑い出した。

「そうね、うん…あ…でももうすぐ正ちゃんの両親ここにいらっしゃると思うよ。連絡しといたから」

「え?そうなの?そしたら今日お前の事紹介するよ」

「え!?今日!?」

「何?嫌なのか?」

「…いや…だって…」

 真登香はモゴモゴと言いにくそうにしていた。

「何だよ?」

「…着替えてきた方がいいかなぁ?」

「は?」

「…服…変じゃない?」

 真登香の言葉に俺は少し面食った。

「変じゃないけど…」

「清潔感ある?ちゃんと似合ってる?」

 真登香の普段の服装はいつも清楚でよく似合っていた。今日の白のワンピースに黄色のカーディガンを羽織ったコーディネイトなんて実に真登香らしい服装だった。まったく、女の考えはよく分からない。

「似合ってるよ。問題ないよ」

 俺がそう言うと、真登香は嬉しそうにハニカンだ。



 真登香が病室を出て行くと、すぐに俺の携帯が鳴った。

 俺は恐る恐る携帯を覗き込み、非通知の着信である事を確認した。

「…もしもし?」

[ ご結婚、おめでとうございます]

 女の言葉に俺は慌てて病室を見渡した。

「あっあんた本当に人間か!?」

[ 人間でございます。お怪我の具合はいかがですか?]

「あ?あぁ…まぁなんとか生きてるよ…」

[ それは良かった…今回は大変お疲れ様でございました。原田様の勇気ある行動に私、とても感動致しました。今後ともこのようにして救世主達を御救い下さいませ]

「はぁ!?まだこんな事があるのか?」

[ 救世主達の周辺には危険がいっぱいでございます]

「いやぁ…だからってその度にこんな目に遭ってたんじゃ身が持たないよ!」

[ あなた、担任でしょう?]

「担任だからって…こんな安月給でいちいち命張ってらんないよ!」

[ さようでございますか…ですがみなさんはそうやって救世主達を守っているのです]

「みなさん?俺だけじゃないのか?ん?…」

 救世主達?…達?

「あんたさっき救世主達って言ったよな?救世主って1人じゃないのか?」

[ 私、1人なんて一言も言ってはおりません]

 この女…

 俺はなんだか急に力が抜け、笑いたい気持ちになった。

[ 原田様、今回あなたは英雄として認められました。その証を後日お送りいたしますのでどうぞお受け取り下さいませ]

「え?本当に?」

[ はい。では、今後とも救世主達をよろしくお願い致します]

 女はそう言って通話を切った。

 俺はしばらく茫然と手に握った携帯を見つめた。そして静かに、ゆっくりと笑いが込み上げてきた。俺は痛む脇腹を押えながら必死に笑った。



 翌日、子供とその親達が見舞いにやってきた。親達は何度も何度も泣きながら俺に頭を下げた。

「もういいですから…頭を上げて下さい!」

「本当に何度も感謝してもしきれません!本当にありがとうございました!先生!!」

 ほとんどの親達は泣きながら笑っていた。そんな親の様子に子供達も泣いていた。

「…先生…これみんなで描いたんだ」

 やまとが恥ずかしそうにかなり大きめの紙袋を差し出した。俺はその紙袋の中に入っていたかなり大きめの色紙を見て、目頭が熱くなった。

 その大きめの色紙にはクラス全員の似顔絵とメッセージがびっしりと描かれていた。そして中央に大きく

 <先生はぼく達、わたし達のヒーローだ!!>

 と、書かれていた。











<5>ヒーローの証 ★END★




またまた拙いお話にお付き合い頂き、本当にありがとうございました(^−^)マジュモトコ


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