四国遍路
趣味というか、忘備録的な感じ
四国遍路、弘法大師空海の修行の跡とされる四国四県の八十八箇所の寺院を回る巡礼の旅。
阿波国(徳島)、土佐国(高知)、伊予国(愛媛)、讃岐国(香川)と時計回りに寺院があり、全長は約千四百キロに及ぶ。
私は、大学の時に史跡とお酒を愛するサークルに入っていた。
先輩でも自転車でお遍路を回った人がいてその体験談を聞いたこともある。元々歴史に興味を持つ者たちが集まっていることもあり、私達のサークルではお遍路は一種の憧れみたいな雰囲気があった。
私が遍路に旅立つキッカケになったのは、約十年前、大学生の時。
お世話になった先輩からの一本の電話がキッカケだった。
「五年間付き合った彼女にフラれた。これからお遍路さん行ってくるわ」
これが一般人の常識だと「ハァ? 何言ってのコイツ」みたいになるかもしれないが、前述通り私達のサークルは寺院等を愛するシブい人が多いので、
「そうですか……くれぐれもお気をつけて」
みたいな感じでひとしきり先輩と話をして電話を切った。
調べてみるとお遍路が始まる一番札所霊山寺は徳島県鳴門市の郊外にあるらしい。
当時私が住んでいた京都から、明石海峡大橋を通って高速バスで三時間くらいで着く。
当時私は就職活動中で、一応内定はもらっていたんだが、何社かまだ面接が残っていた。
ちょうど三、四日ほどスケジュールが空いている。これはもしかしたら、ちょうどよい機会なのかも知れない。思い切って先輩に再度電話をした。
「私も途中までご一緒しますわ」
こうして、私の足掛け四年に及ぶ巡礼の旅が始まった。
ここで、お遍路についてちょっとだけ解説しておく。
■通し打ちと区切り打ち
八十八箇所の寺院に参詣することを「打つ」という。昔は寺院の建物に木札を打ち付けていたことからそう呼ぶらしい。一度に八十八箇所を全て回ることを通し打ち。何回かに分けて回ることを区切り打ちという。
区切り打ちは要するに分割払いみたいな感じで、私の場合は四年間に合計五回四国に渡っている。
「よくぞ戻った紫苑よ。次の札所まではあと◯◯キロまでの道のりじゃ。では、ゆくがよい、紫苑よ」
(ドラクエ風)
■交通手段について
マイカー、観光バス、タクシー、バイク、電車、バス、自転車、徒歩などがある。
一般的に想像する徒歩の遍路は実は少数。寺院は山中など公共交通では不便な場合が多いので車で回る人が圧倒的に多い。年間約二十万人の遍路のうち、歩き遍路は二千五百人から五千人ほどと言われている。割合としては一、二%ほどか。
徒歩じゃないとご利益がないんじゃないか? と思うかもしれないが(実際私はそう思っていた)、実は歩き遍路は一番の贅沢だと言われている。「お金」、「体力」、「時間」三つともないと達成が難しい。
車ならだいたい一週間くらい。徒歩なら約二ヶ月くらいの時間がかかるとされている。
私の場合は車、電車、バス、徒歩のミックス。
■お金について
・御朱印帳に記載をしてもらうのに一箇所、三百円。
八十八箇所あるのでこれだけで約二万七千円。(拝むだけで御朱印帳の記載は諦めるという手もあるが)
・宿泊代が一日五千円から一万円くらい(歩き遍路がお金がかかるのはこれが原因)
・道中の飲食代
・行き帰りの交通費
・遍路用品代(後述)
などなど結構お金がかかる。
私もトータルで数十万円は注ぎ込んだんじゃないだろうか……
そう考えると、お金のかかる趣味ですな(笑)
■服装について
菅笠に白衣が基本とされている。
私の場合は、菅笠(千五百円)、白衣(千五百円)、金剛杖(千円くらい)、経本(三百円)、輪袈裟(二千円)とこれだけで一万円コース。
下はジーパンにスニーカーを履いていた。ジーパンはマムシ避けのつもりだったんだけど、効果はあったのだろうか。
他に登山用のリュックもいるし、上着も必要。遍路は雨だからお休みというわけには行かないので正に自然との闘い。特に上着をケチると後で泣きを見ることになる。
遍路装束に身を包む若き日の詩野紫苑(高知県 足摺岬にて)
最初のお遍路は先輩と一緒に主に車で回った。
二十一番太龍寺の山中の堂宇の霧雨けぶる神秘的な光景。
二十三番薬王寺の長い階段を登った先にある、朱色の美しい多宝塔。
宿泊場所に困って徳島県の日和佐のラブホテルで先輩(もちろん男同士)とラブホテルのダブルベッドで寝たのも今となってはいい思い出である。
室戸岬で弘法大師が悟りを開いたとされる洞窟を見て感動したり。
土佐の海岸線の断崖と、どこまでも続く太平洋に壮大さを思ったり。
自然の中で、自分が生かされている。
自然との対話の中で、自分を見つめ直す。
そんなことをふと思った。
あとは四国の人は基本的に巡礼者に対して親切だ。
巡礼者は弘法大師の化身。巡礼者に親切にするとご利益がある。という風潮があり、「お接待」と言って、食べ物、飲み物やお金をくれることもある。
人とのあたたかい触れ合い。
あとは、歩き遍路同士、会話をしながら次の札所まで歩くこともある。
就職活動の予定があったため、高知県の東部、二十七番神峯寺まで回った所で先輩と別れ、電車と高速バスを乗り継いで京都に帰った。先輩はその後、無事に八十八番まで回り終えている。
最初は軽い気持ちだったが、私はこの体験で完全に遍路にどっぷりハマった。
いつか、必ず八十八番まで結願する。そう気持ちを胸にした。
長くなりそうなので、後半に続きます。