宗教について
今回は私なりの宗教観が出てくるので、宗教の話を聞くとじんましんが出る方、あるいは宗教の話を読むことを医者に止められているという方はお読みにならないことをオススメします。
実は私はクリスチャンだ。
今、ウソをついた。
正確に話すと、私はクリスチャンではない。
しかしあなたの宗教は? と聞かれたら「キリスト教(プロテスタント)です」と答える。
一応聖書も読むし(なんせ熱心な信者ではないので理解が浅いが)、月に一回くらい教会に通っている。
?? どういうこと??
私は洗礼を受けていない。
キリスト教では洗礼を受けた人のことをクリスチャンと呼ぶので、キリスト教を信じているつもりだがクリスチャンではないのだ。こういう人のことを求道者という。
ややこしいわ(笑)
なんで洗礼を受けてないかも一応言っておこうか。理由は大きく二つ。
一つ目は私の父が地元の曹洞宗の寺の檀家をしている(結構エライ役職らしい)ので、立場的に色々とややこしいから。
親父は「別に好きにしたら」と言ってくれるが、好んで面倒事を背負い込む必要もないし。なんとなく先祖代々続いているものを私の代でどうこうするのもなあと思っている。
問題の先送りというやつだ。
まあ檀家も代替わりしていくごとにあんまり熱い感じでなくなってきているようだし、後述するが別に仏教はキライではない、むしろ親しみを感じているので、寺関係とは徐々にフェードアウトしていければなあと思っている。
二つ目は、洗礼を受けるつまり教会の正会員になると色々と面倒くさい。
田舎の教会なんて過疎ってるから、老人ばっかりだし、会議は色々とあるし、子育て中のサラリーマンにそこまでガチでやる余裕は無い。そこまでの篤い信仰心もない。そういう暇があったらもっと他のことに時間を使いたい。
まあ、人手が必要な時は無理のない範囲で教会に行くようにしてるけどね。
こうしてカミングアウトしてみたわけだが、私を多少なりとも知る人の反応としては二つに別れると思う。
一つ目は、ああ、やっぱりそうだったんだ。って感じかな?
拙作『歌姫と銀行員 第二幕』では根底にキリスト教の考え方を入れているし、活動報告でそれっぽい話も何回かしている。私のことを理解していただいているようでとても嬉しい。
違う反応としては、「えっ!? あのお金好きで女の子好きを公言している詩野が!?」という感じだろうか。
出ました! このキリスト教徒=清廉潔白 みたいなイメージ。
やめてくれ、だからあんまり打ち明けたくない。
まあ、思ってくれるのは勝手なんだけどさ……
日本ではクリスチャン自体少ないので(人口の1%くらいらしい)、キリスト教徒というと貧しくも清らかな生活をし、決して怒らず、困っている人には必ず手を差しのべ、いつも静かに笑っている、なんか変わった人みたいに思われる。
宮沢賢治か!?
クリスチャンにも色々いるんだよ。
私なんか煩悩の塊だし!
就任当時は歯に衣着せぬ発言で話題になったけど最近影が薄いアメリカの某大統領もクリスチャンだし(プロテスタントらしい、私と一緒だ……)、外国に行けばクリスチャンかつ犯罪者なんてのもいくらでもいる。
なので実生活では本当に親しい人にしか打ち明けてない。
わざわざ言う必要もないしね。
ちなみに私は日本建築や仏教美術が好きなので、寺や神社にもよく行く。
大学時代はお酒と史跡を愛するサークルに入っていたしね。
弘法大師空海はキリスト教(景教)からヒントを得て、真言宗の教えに活かしているなんて説もあるからか、真言宗には特に親しみを感じている。密教ってさなんか秘密な感じがしていいじゃん。
自慢だが私はお遍路も行ったことがある。四国八十八ヶ所を制覇したことのあるキリスト教徒ってほとんどいないと思うぜ!
えっ!? キリスト教徒なのにお寺に行っていいの?
「いいんです!!」(カ◯ラさん風に)
この辺はキリスト教の中でも会派によってまちまちで、「邪教徒の寺院に行くなんてけしからん!」という所もあれば、私の行っているとこみたいに「付き合いとかもあるだろうし、まあ個人の中で区別が出来てればいいんじゃね」という所もある。
結構ユルい。そこがいい。
お賽銭も入れるし、ちゃんと手も合わせるよ。
その辺の観光客よりは、よっぽどマナーはちゃんとしてると思う。
神社では、先人たちが築きあげてきた遺産に敬意を払うというかそんな感じで手を合わせている。
ついでに家族の健康もお願いしておく。
お寺では仏像に祈っているというよりは、お堂のご主人である釈迦如来や薬師如来とかに挨拶をしているという感じかな。
「お宅の壁画や建物を拝見させていただいてます。失礼いたします」
くらいのニュアンスか。
キリスト教の良い点。
仏教は突き詰めると「こだわるのを辞めなさい(空という考え方)、我慢しなさい(煩悩からの解脱)」という考え方だと思うだけど(かなりザックリいった、違ってたらすいません)、キリスト教はそうやって日々悩んでいる私達の良い点も悪い点も含めて神様は愛してくれて、見守っていてくれるということ。失敗しても「反省して、次に活かしたら良くね。少しでもより良い自分に近づくのが大事なんだよ」という優しさというかおおらかさというかそんな所。
なんか自分なりに都合のいいように解釈している気もするけど、教会に集まって賛美歌を歌ったり、無心に手を合わせるというのもたまにはいいよ。
という訳で私は日本ナイズされた、ゆーるい感じのキリスト教生活を送っている。
今日は暑いし、昨日ミス◯ルのライブに行ったので疲れたから教会に行かんとこうと思ってたけど、この文章を書いているとなんか神様に呼ばれた気がするのでやっぱり教会に行くことにする。
お寺巡りやお城巡り、お遍路についてはまた後日触れたいと思います。
執筆のモチベーションを上げるために感想ください。(おねだり)
出来れば『歌姫と銀行員』の方に感想いただける方が、私は嬉しいです。