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先生が退屈な人でよかった  作者: じんたね
66/70

10・10 古見

「ちはや先生、もう分からん!」


 小学校低学年くらいだろうか。小さな女の子が、机のうえに置かれていたノートや教科書を乱暴に払い落した。


 古見セミナー学習塾という看板の掲げられた雑居ビルの3階。

 日差しは高く、照明があっても、室内の明るさは変わらない。光に照らされた女の子の瞳からこぼれる涙は、きらきらと輝いている。


「それじゃ学校の先生が可哀想だろう? 学校を休んで塾に来たのは、勉強についていくためじゃないのかい?」


 少女のすぐ隣。

 払い落とされたノート類を拾いあげ、そこについた土埃つちぼこりをはたく男性。

 猫背の背中に、幸の薄い頭髪部分が、やんわりとした口調に合っていた。


「こんなん、何のために勉強するんか。できなくても生きていける」

「そうだね。まったくその通りだよ。やらないほうが、よほど人生は幸せだ」


 少女は息を呑んだ。

 八つ当たりで言った言葉。勉強をしないための言い訳半分の台詞。


 他の先生なら、わがままを言うな、黙って勉強をしろと説教してくるはずのもの。ちはや先生なら笑って許してくれる。そう思って口走ったのに、あっさりと同意を得てしまったからだった。

 それでは二の句を継げない。少女は驚きで両目を見開くばかりだった。


「さあて、どうしようか。勉強しないとなると暇になっちゃうなあ」

「……じゃ、じゃあ外で遊ぼう?」


 勉強をしなくてもいい。そう塾の先生から言い渡された途端、少女はさっそく自らの要望を口にした。


「駄目だよ」

 残念ながら、少女の訴えは即座に却下される。


「外で遊んでるところを学校の先生に見つかってごらん? もう遊びに塾に来られなくなるだろう? 見つからない方法じゃないと」

「うーん、うーん」


 少女両足をじたばたさせて抗議する。「ならどうしたらええん!」と。


「だったら、ここでかくれんぼはどうかな?」

「子どもっぽいから嫌」

「なら鬼ごっことか?」

「ちはや先生が勝つに決まっとるがん。大人じゃもん」

「だったらしりとりをしようか?」

「ち、は、や、お、じ、さ、ん。先生の負け」

「……お気に召さないか」


 彼はゆっくりとした動きで、ノートと教科書を机に戻す。


「だったら、どんな遊びがいいんだい? ちはや先生が一生懸命考えるから、教えてくれるかな」

「うーんとねー、簡単じゃなくて難しすぎないの」

「うん、うん」


 少女の座っている高さになるまで腰を落とし、その顔を見ながら何度も頷く。


「あと、お外に出なくてもよくて、ちはや先生と勝負せんの」

「どうして? おじさんは嫌い?」

「だって、ちはや先生強いもん。大人げないし」

「なるほど。他には?」

「ちはや先生と一緒にできるのがええ。一人じゃとつまらんもん」

「そうか。つまり」


 彼は顎に手を当てて、しばし視線を空に向ける。


「適度に難しくて、この場所でできて、私と一緒にする遊びがいいってことかな?」

「うん、そう!」


 少女の顔に一輪の花が咲く。そして、ぽん、と彼は手を打って「思いついた」としゃべった。


「勉強がいい。勉強こそぴったりの遊びだ」


 彼は人差し指で、こんこん、と机を叩き、そこに置いた教科書を示す。


「お、おかしいが! 勉強と遊びは違うもん!」

「だって、ここの問題は簡単すぎないし難しすぎたりもしないよ?」

「じっとするんは嫌じゃ」

「この場所でできるから、学校の先生に見つかったりしないよ?」

「一人でやっても面白くない」

「ちはや先生も一緒に考えるから、一人だけじゃないだろう?」

「……むー」


 少女は不服そうに両頬を膨らませる。じっと問題集を見つめたかと思うと、すぐにノートを開いて、シャープペンシルを握りしめた。おもむろに問題を解き始める。


「ちはや先生」

 少女は視線を落としたまま彼を呼ぶ。


「なんだい?」

「ひきょうじゃ、そんなんせこい」

「あはは」

「ひきょうじゃ、ひきょうじゃ、せこい、せこい」

「うーん、勉きょ――遊びをしてくれるようにはなったけれど、嫌われてしまったな……」

「ひきょうじゃ、ひきょうじゃ、ひきょうじゃ、せこい、せこい、せこい」


 少女は呪詛じゅその言葉を唱えながら、机に突っ伏してしまった。握っていたシャープペンシルを盛大に振り回して、不服の意をアピールする。


「ほら、顔を上げて」

「知らん」

「もう少しで問題集が終わるんだよ。勉強が終わったら、遊びに行ってあげるから」


 遊びに行ってあげる――という台詞とともに、少女の動きがぴたりと停止した。さっきまで壊れたおもちゃのように動き続けていたのに。


 男が様子を見ようと、その顔を覗き込もうとすると、

「おごって」

 顔だけを横にくるりとひねって、彼を見た。「レストランのご飯。食べさせて」と。


「そうきたか、やり手だなあ」

「じゃないと、もうここにも来ん。勉強も絶対せん」

「仕方ないなぁ」


 にぃ、と女の子は笑顔になった。

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