10・8 演説
「お昼休憩は終わりだ。そろそろ授業始めるぞ」
2年2組の教室に入った多崎泰一は、「日直、挨拶」とすぐに授業の開始を促す。
が、日直係の生徒は立ちあがることなく、椅子に座ったまままごついていた。
「瑠衣、どうした? 腹でも痛――」
「門田さんと佐々木君、あと月島さんもいません……」
瑠衣と呼ばれた日直係は、そう説明した。
「あいつらなら屋上だ。授業よりも大事なことがあるってな。国立先生もそこにいるぞ」
教室全体に、すぐさま物々しい雰囲気が広がっていった。
月島霧子と国立一弥といえば、あの事件の当事者同士。それに門田杏と佐々岡信二は、この2組の看板のような生徒。重大なことが起きていることくらい、誰にでも察せられる面子だった。
授業中だから騒いではいけないけれど、気になって仕方がない。2年2組はそんな浮ついた気分に染まっていく。
その様子をひとしきり眺めていた多崎は、「そういえば」とようやく口を開く。クラス全体のの視線が教壇に向けられた。
「国立先生との面談を受けた奴はどのくらいいる? ちょっと手をあげてみろ」
すると1人の生徒を除いて、全員が恐る恐る手をあげた。
面談というのは、国立が復帰してから続けられているものであり、生徒が毎日のように1名ずつ放課後に職員室に呼び出され、話をするというもの。
手をあげなかったのは勝田瑠衣と呼ばれる日直係であり、今日まさに面談を受ける予定の生徒だった。
「柴田、瑠衣に面談の内容を教えてやれ」
「あ、えっ……」
男子バレー部の柴田は、重たそうな唇を上下に動かすだけで言葉は出てこない。
「国立先生に口止めされてるんだろうが構うことはない。どうせ分かることだ」
「……でも」
「屋上の連中を含めた俺たちにとって大事なことなんだ。責任なら俺がとるから、聞かせてやってくれ」
「……はい」
それから柴田は、面談の内容について、ゆっくりと語り始めた。
それは国立一弥が学校にいない間、生徒たちがどう過ごしていたのかを話し合うものであり、生徒のことだけでなく国立一弥自身がどうしていたのかの説明も含まれていた。
「先生は頭下げて謝って、俺らといるときも、退屈してたって」
数学の授業や男子バレー部での指導において、やり甲斐を感じられないまま、身を粉にして働くことでその空虚感をごまかそうとしていたのだと、国立は告白していた。
「俺は、授業だって部活だって先生はすごいから、正直ぴんと来ないっていうか、こういうところがやっぱ真面目だなってくらいしか思わなかったけど」
だから今度は、自分でも意味を感じられる授業や部活指導を目指したいし、それができなくても、せめて退屈していることを隠さないようにしたいのだ、と。
「で、話が月島のことになって、よかったら友だちになってくれないかって。それが無理なら挨拶くらいして欲しいって、先生が」
月島は頭がいいから、勉強の相談とかしてみたらいいんじゃないか。
無表情に見えるかもしれないが、あれで優しいところがある。
実は、大変な読書家なんだ。本当は可愛らしい性格をしている、など。
国立は彼女のことについて、あれこれとアピールポイントを説明したらしい。
「なんつーか、だからどうってのも変っすけど、月島のことを変な目で見て悪かったなっていうか、ちょっと反省したっていうか」
月島のことを話題にしていたのは国立だけではない。クラスメイトの門田杏もまた、意識的に月島に言及していた。
お母さんと2人だけで暮らしているのに家事を欠かしたことがない。
大人しいけれど私のことをちゃんと理解している、など。
また門田は、月島も共有できそうな話題があれば積極的に誘いかけていた。
「説明してくれて助かった。もういいぞ、柴田」
多崎はそこで彼の会話を切る。
「面談を終えた奴はもう分かっていると思うが、国立先生はずっと気にしてきたんだ。自分が苫田高校を辞めてしまったせいで、月島に悪い噂が立っているんじゃないかって。のんきなもんだ。半分、月島のせいで追い出されたようなものなのに」
「…………」
そう言い終えた多崎は、勝田瑠衣をじっと見つめた。
「国立先生の努力の結果、2組で月島を毛嫌いする人間は、とりあえずいなくなった」
なのに――と多崎はよれよれのネクタイを挟み、その先で教室内をなぞる。
「国立先生と月島がまだ仲直りできない。門田や佐々岡にも聞いてみたが、ここ1周間はまったく進展がないそうだ。まあ、それもそうだ。不幸なことに国立先生が戻ってくることで、月島への風当たりは強くなってしまっているのだから」
多崎はネクタイからぱっと手を放すと、教卓に両肘をついた。
クラス全体がすっかり静かになっていた。月島を快く思わなかった者や、国立一弥が事件を起こしたと考えた者にとって、まるで自分たちのせいで2人の関係が悪化したように感じられていたからだった。
「みんなに聞きたい」
ついた両肘に体重を乗せて前のめりの体勢になる。「どうすればいいだろうか」と。
「俺は校長だから、国立先生のような優秀な教員は、喉から手が出るほど欲しい。月島だって絵に描いたような優等生なのだから、苫田高校を無事卒業したあと大学に進学して、活躍してくれるとありがたい。だが2人がこのままだと、月島は退学せざるを得ないだろう。風当たりが強いからな。それはきっと国立先生を傷つけ、再び、辞職に追い込むだろう。俺にとっては大損害だ。お前らだってそんな結論を見たくはないだろう?」
多崎は片肘をついて、その上に顎を乗せて反応をうかがう。
生徒の良心に訴えるような口調のおかげか、数人の生徒が無言のまま頷いた。
「それに悲しいじゃないか。国立先生と月島のように、悪評にもめげず頑張っている人間が、憂き目に遭うなんて。本当はどっちも仲直りしたいはずなのになのに、お互いが納得できるような関係になれない。だから俺はどうにかしてやりたいんだ」
すでにクラスの全員が、多崎を見つめていた。
私たちだってその気持ちは一緒だと、言葉には出さずとも視線で訴えている。
「先生」
不意に、生徒の1人から挙手があった。「武田」とその人物を指名する。
「俺たちも、屋上に行ったらいいんじゃないんですか?」
武田邦明は立ちあがって、対案を述べた。
「しかし邪魔にならないか?」
「でも、もう信二だって門田だっているんですよね? おんなじ目的じゃないんですか?」
「そうだな」
多崎は両肘を教卓から引きあげると、腕を組んで考える。煮え切らない態度を示し続けていると、「俺は行きます」と柴田が椅子から立ちあがり、教室の外に出ていった。
「泰一先生、俺も」とそのあとに武田も続く。
まるで2人の行動が引き金になったかのように、ぞろぞろと2年2組の生徒が、教室を出ていってしまった。
「今日は臨時休業だな」
ぽつんと一人だけ残された彼は、にやり、と口角をあげた。




