10・5 反復
3階を通り越して屋上へと続く階段を上る。
階段の先にある朽ちた扉が近づいてくる。私は、蝶番がすすり泣くような音を聞きながら扉を開けた。
こんなに簡単に入れるのに、屋上に来る人はいない。
ただ広い空間と、金網が覆うだけの殺風景な場所。いつも風が強くて、剥げた塗装があっちこっちに落ちている。雑談するにもお昼をするにも、何もないから居心地が悪い。
だから安心して1人になれる。
ばりばり、と塗装を踏んで壊しながら進むと、視界の右端に人影が見えた。
先客がいるなんて珍しい。話しかけられては面倒だと思った私は、来た道を引き返そうとする。
「月島、話をしないか」
ばったん、と階段の扉が風に押されて閉まった。
びりびりとした緊張が、踵からお腹を通って、頭のてっぺんへと抜けていく。その声、風に混じっていたって聞き間違えるはずがない。
どうして屋上にいるの。もうすぐお昼休みが終わるはず。授業があるでしょ。
もしかして私が来るのを待っていたとか……、ううん、私がここにいるのは偶然のはず。だからこれも偶然でしかない。気を許さないようにしないと。
「月島は『校舎の空白』っていう小説のことを覚えているか?」
「知りません」
「思い出してくれ。ここで話をしたとき、月島がつまらないとくさしていた小説のことだ。犯人の主人公に共感できないって」
ばりばり、と剥げた塗装が砕ける音が近づいてくる。
私に話す気がないことを態度で伝えているのに、先生は構うことなく話しかけてきた。
「ちょうど読み終えたばかりでな。月島の言いたいことが分かったよ。たしかに主人公はただ悪人だから犯罪を犯している。他に理由はない」
近くから先生の声がした。
すぐ後ろに先生がいる。そう思うだけで変な緊張が走る。
「退屈だから悪いことをするんだっていう月島の説明に、あのときは納得できなかったけどな。今はなんだかよく分かる。動かせない平和な毎日が苦痛に化けていく。あり得る話だと思ったよ」
今日の先生もおしゃべりだ。やっぱり楽しそう。
懐かしい。こんな感覚は久しぶり。
「苫田高校に赴任したての頃は、そうでもなかったんだけどな。仕事に慣れてから、いつの間にか苦行になっていた。心療内科にも通って、睡眠薬も処方してもらって」
「じゃあ、どうして学校に帰ってきたんですか? そのままなら楽しかったのに」
そう。私はあのままがよかった。
しゃべり続ける私に、先生は頷くだけだったけれど、それでも一緒にいられた。
「千早先生に会ってきたんだ」
私は記憶の糸をたぐり寄せる。
千早……千早黒樹先生だ。たしか国語の先生で、知らないうちにいなくなっていた。どうしてこの話に千早先生が関係するの。
「千早先生もな、退屈だからってここを辞職してたんだ」
「……えっ」
退屈って、どういうこと。そんなの初耳。
驚いた私は、思わず背後を振り向いてしまう。
「やっと私の顔を見てくれたな」
「――――」
やられた。このまま無視して帰るつもりだったのに。
国立先生は、私のことを笑顔で見ていた。どきりと衝撃が胸を貫く。
「千早先生は古見のほうで塾に勤められていてな。話をうかがうために早朝から出かけていったんだ。多崎校長に捕まった翌日のことだ。憶えているだろう?」
忘れたくたって忘れられない。
あの変な弁護士さんに出会った次の日、先生が宣戦布告してきたから。
「千早先生に助言されたよ。仕事の細部を見ろって、そこにやりがいを見出せって」
嘘ばっかり。
こんなルーティーンに細部なんか見たって一緒。やりがいなんか見つかりっこない。
千早先生はここを辞めて後悔しているから、そうやって決めつけている。ただの嘘つきだ。
「ああ、千早先生の言うことなんか嘘っだぱちだった。月島が感じている通りにな」
「どうして……」
私の考えていることが分かるの。
国立先生は、私の反応を予想していたかのように、にこりと笑う。
「細部を見ろ、なんて言われたってな。学校を辞めたのは、授業や部活指導の意味が見出だせなくなったからであって細部が見えないからじゃない。むしろ、細部を見れば見るほど、意味がますます分からなくなるんだから」
「……だから私への仕返しを思いついたんですね。とてもご立派な退屈しのぎだと思います」
私はありったけの嫌味を込めた。
私が先生にしたように、先生が私にやり返す。退屈な生活に刺激を与えるために。
「でも残念ですね。仕返しにはなっていませんよ? だって私、ちっとも辛くありませんから。いい退屈しのぎになってます」
「まっ、待て待て。だからそれは誤解だと言っているだろう」
国立先生はおたおたと両手を振った。
なんてわざとらしい演技なんだろう。こんな人気のないところでも、いい先生の演技を続けるなんて。本当に腹が立つ。もうため息もでない。
「仕返しなんてとんでもない。月島の力になりたいんだ」
「だから力になっているって言ったじゃないですか。毎日が刺激的ですよ」
「私が言いたいのは、学校で――」
「もういいって言ってるじゃない!」
回りくどい言い方に我慢できなくなった私は、国立先生の顔に言葉を投げつけた。
先生は眼を白黒させながら、言葉を失っている。
「学校に居場所はなくなりましたよ!? 国立先生のおかげで! 家もそう! お母さんだって私が悪いって思っていますからね!」
瞳に色を取り戻した先生は、両眉を斜めにする。
今さらいい先生ぶるの? 先生は極悪人じゃない。私なんかよりも。
「根に持ってるってはっきり言えばいいじゃない!? あんなに両想いだった花本先生とも駄目になったから! 挙句の果てには結婚して辞めちゃって! 悔しいはずでしょ!? やり返したいはずじゃないですか!!」
「たしかに花本先生のことでは腹も立ったけどな……」
先生は物悲しそうに私を見る。
ほら、やっぱりそうだ。口ではきれいごとを並べたって、本当は私のことを恨んでいるって。
あんな美人で性格もよく仕事もできて、お互いに好きだったのに、この私が台なしにしたから。
「でもな、今は恋愛や結婚よりも、大事なことがあるんだ」
冷静に説明する先生に、私はますます苛立っていた。




