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先生が退屈な人でよかった  作者: じんたね
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9・9 民事不介入から内政干渉へ

 私は自宅に帰ろうとしていた。とても先生の家によっていく気分じゃない。

 もし先生が嫌味の1つでも言ってきたら、そう想像するだけで、あの古びたアパートの外装に近づきたくもなかった。


「……ただいま」


 いつものように鍵を開けようとすると、扉が勝手に開いてしまった。

 鍵をかけ忘れたのかも。昨日、先生に会ってからずっと考えごとしてたし。私は家に入って、玄関を内側から閉める。


「霧ちゃん、おかえり」


 するとお母さんの声が肩を叩いた。

 振り返ると、ひょこん、とお母さんが客間から笑顔を出して、私を見ていた。


「もう仕事? まだ寝てられるんじゃないの?」


 お母さんはすでに仕事着を身にまとっていた。ピンクのジャケットには、胸元がぱっくりと空いた黒のインナーを合わせ、やたら短いスカートからは細長くて黒いストッキングが生えている。髪型も化粧も香水もばっちり。


「うふふ、そんなことできないわよぉ」


 とことこと私に近寄ってきながら、お母さんはむずがゆそうに身体をよじる。

 仕草が気持ち悪い、と言いたいところだけれど、我が母ながら可愛いと思った。私は「なんで?」とかゆみ止めの一撃を浴びせる。


「だって、お客さんがいらしてねぇ。ええとさっきまで、くにたち先生が――」

「えっ、どうして? だって先生は」


 学校に戻ってきたばかりじゃない。家庭訪問なんてそんな話ができる段階じゃないし。

 それに仕事をするにしても部活があるはず。こんな時間からここに来られるはずがない。


「大事な話があるからってお電話があって、じゃあ学校が終わったらすぐにどうぞって。そしたら部活を休んでこっちに来るって。てきぱき動ける男ってかっこいいねぇ」


 そうだ。

 そういえば佐々岡の奴、下駄箱にいたときは制服姿だった。あの時間帯は体育館にいるはずだしジャージを着ているはず。お母さんの言うように、部活は休みだったんだ。


 お母さんはあの事件のことを知らない。夜の仕事だから、朝や昼は寝ている。学校の行事やイベントにも顔を出したことがないし、他のお母さんとも交流だってない。

 でも、もし先生がここに来て、事件のことを説明していたら……。


「あのねぇ霧ちゃん、私ってお母さん失格だけど、やっぱり霧ちゃんが本当のことを言ってくれないと悲しかったりするのよぉ?」


 心臓がどきりと縮みあがる。


「……何、本当のことって」

「くにたち先生とえっちなことがあったんでしょぉ? うらやまましいなぁ」


 どんどん心臓の鼓動が速くなっていく。


「先生におっぱい触られちゃったのよねぇ? それで先生に相談したら話がおっきくなっちゃって、先生はしばらく学校を休んでぇ――」


 脈打つ音は大きくなり、お母さんの声を邪魔する。先生のことをしゃべっているのは分かるけれど、その内容の理解が追いつかない。


「んで、今日から戻ってくるから、霧ちゃんに謝っておいて、だってぇ」

「……あ、謝っておいてって、それだけ?」


 意味のある言葉として聞こえたのは、そこだけだった。


「そうよぉー。真面目でかっこいいねぇ」


 おかしいどころじゃない。

 大事なところを話していない。私が襲って言いふらしたっていうところが抜けている。

 私を悪者にするのであれば、起きたことをそのまま説明すればいいのに。


「だからお母さんに相談して欲しかったなぁ。そしたら真面目で仕事できてかっこいい、くにたち先生が休まなくてもよかったでしょぉ? くにたち先生がいないと、お母さんも寂しいしぃ」

 さっきからお母さんは先生をべた褒めしていた。


 ――これって……、もしかしたら……。


 ここで私はあることに気づいてしまう。

 もしかしたら先生は、私を学校から追い出して、裁判沙汰ざたにするだけじゃなくて、もっと徹底的に仕返しをしようとしているんじゃ。家にいながらでもまだ、あの事件のことを後悔させるよう、たとえば、お母さんを味方につけるとか。


 ひたすら真面目に仕事をし、周囲の偏見にもめげず、努力し続ける先生。

 そんな姿勢を見せ続けられれば、もうあの事件の事実なんてどうでもよくなってくる。みんな美談と下世話な話に飢えているから。そして先生が信頼されていけばいくほど、今度は私が信用されなくなっていく。友だちからも、学校からも、そしてお母さんからも。私が悪者。


 私から真相を明かすことなんてできない。

 そんなことをすれば自白するようなものだし、私のことを悪く言わなかった先生が、かえって評価される。理不尽な目に遭っても、生徒を守ろうとし、教師の仕事を果たそうとしているって。


 心臓から温度が失われていくみたいだった。寒気が込みあげてきて、全身から汗がしたたり落ちてくる。


「……私、もう寝るね」

「ええぇ? お夕食は?」

「……ごめん、調子悪いから」


 卒倒しそうな身体をどうにか支えながら、私は自室へと向かった。

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