9・5 正義の味方から悪の秘密結社へ
私は、岡山駅のバス乗り場から先生の自宅に向かっていた。どうしても先生と話がしたい。泰一との飲み会が終わって帰ってくるのを待とうと考えていた。
先生の家までバスで20分くらいかかる。まだ乗って数分しかたっていない。
『すまない。新幹線で多崎校長に出くわしてしまった。このまま飲みに行くことになったから、月島はそのまま帰ってくれ。今日会うのは止めておこう』
私はさっきのメールを読み返してみた。
今日は私といる一日だったはずなのに。どうして勝手に飲みにいっちゃうの。お酒は苦手なんでしょ。帰ってきてから会えばいいじゃない。不満が出てくる。
気分を変えようと思った私は、吊り広告に目を移した。家電製品、雑誌の目次、イベントや観光旅行の案内、バス会社の宣伝。
『その借金は必ず解決してみせます。まずはご相談から』
弁護士の謳い文句も混じっていた。
必ずってどうするんだろう。代わりに払ってくれるのかな。
「次は津島新道、津島新道。こちらでお降りのかたは、押しボタンにてお知らせください」
気晴らしをしていると、バスが目的地に近づいてきた。もうすぐだ。私は勢いよくボタンを押す。車窓から見える景色がスローモーションのようだった。早く、もっと急いで。
乗降口が開いた瞬間、バスから飛び降りて、先生の家まで走った。靴は脱げかかるし、片手にバッグを持つから走りづらい。
ようやく先生のアパートが見えてくる。
夕焼けを反射する赤茶けた外壁と、一部が欠けた道路標識が目印。この角を曲がれば先生の家だ。アパートを囲む塀伝いに走っていると、夕闇にぼわっと見慣れないタクシーが浮かんできた。
先生がタクシーを使って帰ってきたのかな。でもすごい胸騒ぎがする。なんでだろう。
さらに私がアパートに近づくと、先生の部屋の前に人がいた。背の高い女性。まるで体当たりするみたいに身構えている。
「弁償はするが、私を心配させた代償でちゃらだぞ」
この人、先生の家に押し入るつもりだ。
「国立先生に用事ですか?」
私は、息を切らしながら話しかけた。玄関を壊されたら先生が困るし。
ぐるり、と大きな身体の向きを変える。じぃ、っと私を見てきた。誰だろう。こんな人知らない。
「あんた、うちの客がどこにいるか知らないか?」
「……誰ですか、あなた」
「おっと、自己紹介をしていなかったな」
わざとらしく大声で説明する。
「子守心愛という者だ。ここに住んでいる国立一弥に野暮用があってな」
つかつかと近寄ってきて握手を求めてくる。私は握手に応じなかった。きれいな手をしている。着慣れたスーツだし、デスクワークをしているんだと思う。
「あんたは月島霧子ちゃん、で間違いないな」
空気を握った手を引っ込めながら、女の人は確認をとってきた。
「…………」
私は驚いていることがばれないようにするだけで精一杯だった。
なんで、初対面のはずなのに、私のことを知っているわけ。腕を組みながら私のことを見ている。この人は敵だ。そう直感した。
「国立先生は今晩あたり帰ってくるのだろうか?」
「知りません。どうしてあなたに話さなきゃいけないんですか」
「こいつは手厳しい」
この人は両手を上に向けて顔をしかめた。私が「どうして私のこと知っているんですか」と迫ると、すぐに表情を崩す。
「私が先生の家に押し入ろうとしているのを、一目で見破ったじゃないか。どの部屋に先生がいるのかを知っていたってことだ。とっさに表札を確認したとも思えない。つまり、ここに足繁く通っている。苫田高校の制服を着ていて、そんなことができるのは月島霧子ちゃんだけだ」
この人、あの事件のことを絶対に知ってる。
どこまで把握しているの。
「どっこせいっと」
すると女の人は、先生の部屋の前に腰を下ろした。
「国立先生は夜に帰ってくる。だから霧子ちゃんも来たんだろ? 3人で話をしたいと思っていたところだからちょうどよかった」
分かる。
この人は油断しちゃいけないって。私のことまで調べてきているんだから。
「霧子ちゃん、少し話をしないか?」
するとその人は私を見つめてきた。できれば話なんかしたくなかったけど、無視するわけにもいかない。私は彼女に近づいていく。
「国立先生はな、私のお得意様なのだ。何度か相談をされていたのだが、どうも最近、トラブルに巻き込まれたらしくてな。こうして押しかけてきたわけだ」
「そうなんですか」
お得意様っていうことは、先生との付き合いが長いってこと。
先生からの相談て何だろう。トラブルを解決するって、何をしている人かな。睡眠薬を出した心療内科の先生っていう線もあるけれど、あそこの名前はたしか大森だった。子守じゃない。だからこの人はカウンセラーとかじゃない。何より口が悪いし。
「因果な仕事でな。他人の問題を調停しようとするくせに、問題が調停されると食えなくなる。あこぎな商売だと思うぞ。困っている人間を食い物にしているからな」
因果な商売、問題の調停。私の脳裏に、バスの吊り広告がよぎる。
――この人、多分弁護士だ。
先生から相談を受けていて、その解決に来たんだ、きっと。
弁護士さんの話を聞きながら、私の頭は、認めたくない結論を導いていた。弁護士は裁判とかそういうのを仕事にしている。先生の相談なんて、私のこと以外には考えられない。学校を追いやられたから助けて欲しいって。
わざわざ先生の自宅まで来たってことは、急いで報告したいことがあったから。それは弁護士にとって大事なこと――多分、訴えて勝てる見込みがついたんだ。バスの広告までするほどお客が欲しいんだから。
「霧子ちゃんのこと、聞かせてもらっていいかな?」
その人は立ちあがると、お尻の埃を叩いた。
「国立先生とはどういう関係なんだ? 男女の仲なのか?」
また私は返事をすることができなかった。いきなりのあけすけな質問に唖然とする。
「足繁く通っているということは親しいのだろう? あのセクハラ事件は狂言なのかな?」
さっきから全然遠慮しない。どの質問の単刀直入。
「国立先生は元気なのか? ちゃんとご飯を食べて寝ているのか?」
それに質問しているようでいて、私の答えなんか期待していない。
どう反応するのかを確認しようとしている。それで事件にかんする情報の裏をとろうとしているんだ。このままだと一方的に質問をされて、何もかも見抜かれてしまうかもしれない。この人と一緒にいたらいけない。
「どうして胸を触られたなんて言ったんだ? 男女の関係を続けたいのなら、そんな――」
「子守先生」
もうこれ以上は耐えられない。
私は会話を断ち切ると、そのまま弁護士さんから離れた。
「ごめんなさい、そろそろ帰らないと。お母さんが待っているから」
「…………ん、そうか」
彼女は顎に手を添える。
「だったら私の乗ってきたタクシーを使え――」
「ひとりで帰れます。失礼します」
私は早歩きでバス停まで向かった。
帰りはひどく不安な道だった。
このあと先生と弁護士さんはきっと話をする。先生はどうするつもりなんだろう。
この気持ちを先生に聞いて欲しい。そして「そんなはずがない」と笑って否定して欲しい。




