9・4 以心伝心から猜疑心へ
「先生、大丈夫ですか?」
私は心配になって先生の手に触れた。自動販売機で買ってきたお茶を渡す。
「すまない」
そう言いながら、お茶を飲むと、少しだけ顔色がよくなった。よかった。
「引きこもりが長かったからな、人酔いしたみたいだ」
「無理して誘ったから、ごめんなさい……」
週末の神戸。
どうせなら岡山から離れたところがいい。
恋人はショッピングをするらしいから同じことをしよう。
けど、そう考えたことを後悔していた。先生は人混みに当てられて、ぐったりしてしまっている。
「そんなことはない。いいリハビリになった」
先生はわざとらしく笑った。慣れないことするものだから眉間の皺がそのまま。私のせいなのに気を遣ってくれる。
「先生、眉間の皺がすごいですよ」
それが嬉しくて、私もつられて笑った。
それからしばらく、ショッピングモールのベンチで並んで休んでいた。もうぶらぶらと買い物する気にはならないはずだから、きっと帰るときの体力を回復しているんだと思う。
こうしていると楽しい。先生は脂汗をかいていて辛そうだけど。一緒に並んで、同じ風景を見ることができるから。
それに先生の珍しい私服姿も見れたし。ただのジーンズに白シャツだけど似合ってる。たぶん、慌てて無精髭を剃ったから、顎に剃刀の切り傷がたくさんできてる。ちょっと欲を言えば、私の私服も見て欲しかったけど……。
「気晴らしに、話でも聞いてくれないか」
すると先生は、いきなり話題を振ってきた。私は「はい」と応える。
新幹線、人混み、販売店、ミュージシャンを見て気分が悪くなったと教えてくれた。みんなの姿が辛そうに見えたって。その様子が、昔の先生と一緒で、すごく嫌だと話してくれた。
私は、先生の言うことを黙って聞いた。けど正直、話の内容なんてどうでもよかった。私だけに話をしようと思ってくれて頑張ってしゃべっている。そのことが嬉しかったから。
「それに他人と違うことをしたって、それがまた新しいルーティーンになる」
でも先生は引っかかることを言った。
退屈が嫌だからって、みんなと違うことをしても、慣れてしまえば退屈してしまうって。
そんなはずない。
新しいことをしてまた退屈しちゃうなんておかしい。せっかく学校を辞めて、退屈から解放されたはずなのに。どうして先生はそんなことを言うの。それじゃ私のしたことが無意味になっちゃう。先生は嬉しくないの。
「先生が言いたいのは」
黙っていられなくなった私は口を開いた。
「新しいことをしてもルーティーンから抜け出せないってことですか」
先生は動かない。
ぴりぴりとペットボトルの表面をミシン目に沿って剥がしている。
「学校を辞めたっていずれは退屈するってことですよね。だったら辞めたほうが損だし意味もない。収入もなくなる。周囲から白い目で見られる。だから先生は私のことを――」
「恨んでいる、と言ったら安心するのか?」
え……?
恨んでいるって、さっき先生、私のことを恨んでいるって言ったの……?
先生はペットボトルのビニールを丸めながら続きをしゃべっている。声が小さくて聞こえない。なんて言ってるの。
すると先生は、ペットボトルをゴミ箱に投げ入れ、ベンチから立ちあがった。そのまま来た道を戻り始める。
先生、待って。
大事な話をしてないよ。さっき恨んでいるって言ったのは本当なの。
(さっきは何をしゃべったんですか。聞こえませんでした)
たった一言。そう聞けばいいだけなのに。どうしても怖くて言い出すことができない。
私は黙って後ろからついて行った。
帰りの新幹線。
私は先生と別々の席に座った。岡山駅で一緒に歩いているところを見られたら意味がないから。
――恨んでいる、と言ったら安心するのか――
さっきからその台詞ばかり頭をめぐる。
先生は退屈していたから学校を辞めた。でもだからって、私のことを恨まないとは限らない。だって私のせいで学校にいられなくなったんだから。花本先生との関係だって駄目になった。
でも、だったらどうして一緒に神戸に来たの。
それに恨んでいる人間を部屋には入れないじゃない。
なぜ、あんなに楽しそうにできるわけ。
(お前は勝ったつもりでいるけどな、先生を信じている人間だっているからな……覚えていろよ。絶対に嘘を暴いてやる)
私は佐々岡の言葉を思い出していた。
加害者は先生。被害者は私で、悪者じゃない。だから堂々と学校に通うことができている。もしこれが逆転したら、私が学校を追い出される羽目になる。
もしかしたら先生は、それを狙っているのかもしれない。私に付き合っているのは、反撃のための証拠を探したいから。加害者のままだと言い分を聞いてもらえない。だったら、動かぬ証拠を見つけ、私の「嘘を暴いて」、学校にいる「先生を信じている人間」を抱き込めばいい。そう考えているんじゃ……。
――うちら、悪いことしたじゃろ――
私は嘘をついた。先生に襲われたって。胸を強引に触らせて。
――どうして月ちゃんは平気なん――
平気じゃない、平気じゃないよ。先生が振り向いてくれるから、できたんだよ。
――先生の気持ち考えたことあんのかよ――
どうしよう。先生は、私のことを恨んで復讐しようとしているんだったら……。
「お客様、大丈夫ですか?」
いきなり声をかけられた。
びっくりして顔を上げると、すぐ横に車掌さんが立っていた。
「あの、ここは」
「岡山駅です。乗り継ぎのため本車両は、30分ほど停車中です」
私は慌てて車両の外に飛び出した。
違う。
先生、違うよ。
待って。お願いだから、やっぱり教えて。さっきはなんて言ったの。
反省してる。先生に迷惑かけたって分かってた。でも先生が、先生のこと、私。
先生を探しながら西出口へと駆けていくが、それらしい姿はどこにもなかった。急いで来た道を戻り、東出口を探してみても、やっぱり先生はいなかった。
諦めて肩を落としていると、いきなり携帯が振動し始める。
『すまない。新幹線で多崎校長に出くわしてしまった。このまま飲みに行くことになったから、月島はそのまま帰ってくれ。今日会うのは止めておこう』
私は携帯の画面を見続けていた。




