8・10 マダム・エドワルダ
「よし、ここだ」
子守心愛はタクシーから降りると、2階建ての安アパートを見据えた。その視線は『国立』という表札のある扉を捉えて離さない。
多崎泰一との接触直後。
彼女は国田一弥のカルテを一から洗い直していた。彼が学校について語っていること、とりわけ月島霧子について言及していないかチェックするためだ。
だが月島についての言及はなかった。そもそも学校について国立は話そうとしない。辞職にいたるまでの経緯に、どう月島霧子が関係しているのかは謎のまま。
――予備知識は入れておきたかったのだが、仕方ない。
だったら直接聞けばいい。そして今後の治療法について話し合うなかで、月島霧子のことも把握するか。いっそのこと3人で腹を割って話すのも悪くない。子守はそう考えていた。
タクシーを待たせたまま、子守は彼の自宅へと歩いていく。
「おい、私だ、子守だ。ここを開けろ」
がんがん、と扉を乱暴に叩く。だが返事はない。インターホンも押してみるが、やはり反応はなかった。
無趣味の仕事人間がどこをほっつき歩くということもない。それに苫田高校関係者の人目に晒されるのは望まないはず。どうして誰もでない。
――もしかして。
子守の頭に最悪のシナリオが展開する。仕事を辞め、さらに退屈を感じ、ついに自らの生命を断ってしまっているのではないか。
人間は無為でいるように創られていない。何かをしていなければ気がおかしくなってしまう。いくら仕事が退屈だったとはいえ、引きこもって暇に苛まれてしまっては意味がない。
じっくりとアパートの扉を観察する。木造だ。築何年経っているのか分からない。壊すのは難しくない。
「弁償はするが、私を心配させた代償でちゃらだぞ」
誰に向けるでもない独り言をつぶやく。すぅ、と息を吸って、勢いよく扉に体当たりしようとした、ちょうどその時だった。
「国立先生に用事ですか?」
子守心愛の背後から、息を切らしながら話しかけてくる人物がいた。




