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先生が退屈な人でよかった  作者: じんたね
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4・5 ウサギ=アヒル図

「先生、国立一弥さんがキャンセルです」


 大森心療内科の受付が、かかりつけ医に伝える。


「ん」


 診察室の椅子いすにだらりと背中を預けながら子守心愛は返事をした。さっきから彼のカルテをぼんやりと眺めている。


 国立一弥が不眠治療でここに来るようになって、すでに1年が経過しいている。一定周期で訪れる彼に、睡眠薬を処方しているが改善の兆しはない。セロトニンを増やす薬を処方したこともあったが、眠たくなって仕事にならないと本人が嫌がったため止めている。


 血液検査に異常はない。


 ただし血糖値や赤血球の値が低く、白血球の数も多い。肝機能もかんばしくなく、極度に疲労していることがうかがえる。仕事はゆっくりやれと言っても生返事だし、部活指導を止めろと助言しても困った顔をするだけ。


 とにかく自覚がない。健康も友人関係もいつ壊れるか分からない状況だというのに。


(仕事は楽しいのですけど、続けていないと不安なんですよね)


 この間の診察でそうこぼしていた。

 強迫スペクトラム障害の線も考えたが、強迫観念による同一行為の反復が見られない。あくまでも本人の訴えは不眠。仕事についての不満は聞いたことがない。


 それでも仕事が原因だろうと子守は睨んでいた。仕事について語る姿が、どう見ても嘘をついているようにしか見えなかったからだ。怯えているようにすら映る。何が怖いのか。仕事をしていないと社会的評価が落ちることか。それとも収入が安定しなくなることか。


(怖いんです。またあの夢を見るんじゃないかって)

(夢?)

(はい。色も、かたちも、上下も、左右もない、空間に放り出されるんです、毎日。何もなくて苦しくて、そこから出してくれって私は叫んでるんです)


「何もなくて苦しい夢、な」


 ――仕事を続けてないと不安、何もなくて苦しい――


 頭のなかで国立一弥の台詞を反芻はんすうしていると、もつれた糸がほどけそうな感覚が降ってきた。


「おい、ちょっと来い」


 その姿勢のまま受付を診察室に呼ぶ。「何でしょうか、心愛先生」と不思議そうに返事をしながら入ってくる。


「だから、その名前で呼ぶんじゃないと言っただろ」

「どうしてですか? 可愛らしくていい名前ですよ、心愛って」


 子守医師は頭をくしゃくしゃとかきむしる。下の名前は、理知的で見目麗しく男前な性格の彼女にとって唯一の弱点だった。「くそ、ひらめきを忘れたらどうするんだ馬鹿野郎」と悪態をつくと、「教えてくれ」と本題に入った。


「この仕事をしていて面白いと感じているか?」

「ええ、とても――」

「笑えない冗談だぞ。こんな薄給と労働時間でどこが面白いのか」

「うふふ、先生も酷いですね」


 受付の彼女は、心愛という名前は笑えるのにな、と内心ほくそ笑む。そして「そうですね、嘘ですね」とあっさり本音を白状した。


「本当のことを言えば、仕事なんてせずに遊んでたいですよ、そりゃ。無駄話してないと、受付なんてつまらないですし」

「んふふ、その通りだな」


 子守は満足そうに頬を緩ませる。


「でも、遊びで没頭できるものがなくなったら、多分、仕事を再開すると思いますよ」

「ほう? どうしてだ?」

「だって退屈じゃないですか、やりがいがないと」

「なるほど、やりがい、な」


 今度は医者が腕を組む。手首の腕時計を確認し「着信履歴でいいか」とつぶやいた。


「今すぐ国立の先生様に連絡してくれ。早く来い、大事な話があるからって」

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