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先生が退屈な人でよかった  作者: じんたね
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2・6 ざわつく屋上

 屋上の扉に手を押し当てる。

 ぎぃぃ、錆びついた蝶番は、小さな声で恥ずかしそうにつぶやいた。

 その奥には、10メートル四方の空間と、それをぐるりと覆う菱形模様の錆びついたフェンスという、殺風景な様子が広がっていた。


 ぽつん。


 そう形容するのが相応しいだろう。屋上空間の中央に女子生徒。その長い黒髪を、屋上に吹き込んでくる風に任せている。フェンスの隙間越しに、風景を眺めているようだ。


 じり、じり。


 自覚するよりも先に、私の足が黒髪にひかれていく。彼女めがけてまっすぐに近づいていく私の両足。あと少しで触れることができるという距離で、ばたん、と屋上の扉が閉まった。


「こんにちは、国立先生」


 黒髪の女子生徒は、振り返ってそう言った。


「どうしてここにいるんですか?」


 質問してきたその顔は月島霧子のものだった。想定外の存在。月島が屋上にいないことを確認するために訪れたはずなのに。


「き、気分転換だ」


 言葉に詰まった私は、佐々岡のあの台詞をとっさに使った。


「わざわざこんなところに?」と、月島は面白そうに私の顔を覗きこんでいる。気分など転換されていないではないか、その顔は。そう黒くて大きな瞳がしゃべっていた。


「先生のことはどうでもいい。どうして月島がここにいるんだ?」と、私のほうから質問をする。表情をこれ以上読まれないために。


「私の質問には答えてくれないんですか?」

「先生の質問にも答えてくれないんだな?」


 月島はきつく口を閉じる。私を置いて、その視線をフェンス越しの風景へと戻した。


「気分転換です」


 お前が嘘をつくのなら私も嘘をつく。分かりやすい返事だった。

 言葉に困った私は、無目的に足を動かした。ばりばり、とポテトチップスを踏み砕くような音が足元から聞こえてくる。壁の色と同じ、赤茶色の木の皮のようなものが転がっている。壁面の塗装が剥がれ落ちたもののようだ。


「……屋上にはよく来るのか?」

「来ません」


 ばりばり。


「……勉強はどうだ? 部活は楽しいか?」

「いつもと一緒です」


 ばりばり。


「……そう、か」


 私は無駄な言葉を撒き散らしながら、月島から離れるように右側のフェンスまで歩いていった。菱形の金網に人差し指を引っかけると、関節に赤さびがくっついた。足元を見てみると、埃とも枯れた草木とも区別できない塊が、風に吹かれてながら這いずっていた。


「国立先生」


 ばりばり。

 背後から塗装の砕ける音が近づいてくる。


「こうやって先生とお話したいなって、ずっと思っていました」


 ばり、という音で振り向くと、月島はすぐ後ろに立っていた。


「先生は『校舎の空白』という小説を読んだことあります?」

「読んだことはないが内容なら聞いたことがある。たしか女子が騒いでいたな」


 渡りに船だ。月島から話題を振ってくれている。援助交際の真相を確かめるチャンス。


 月島が話題にしている小説のストーリーはこうだ。

 男性教員である主人公が、学校で猟奇的な犯罪を行っていき、最後には自殺してしまう。主人公の境遇が私に似ていたため、しばらく話題のネタにされたものだ。


「私、すごく嫌いなんです、あれ」


 月島は、どことなく笑っているように見えた。


「主人公が悪いことをする理由に、ちっとも共感できません。サイコパスなんて浅はかなレッテル貼りが、作家が馬鹿だって自白しているみたいで。だって人間は、考え方がおかしかったり、性格が狂っていたりするから悪いことをするんじゃないのに」

「ということは?」

「退屈しているから、するんです」


 月島は、にやぁと笑った。

 口数の多い月島にも驚かされていたが、それよりもこんな笑い方をするほうが衝撃的だった。どこか悪意を滲ませているような、そんな表情で。


「毎日のように決まりきった生活。勉強も家庭も友だちも娯楽も代わり映えしない。どこかの誰かが用意したイベントばっかり。気晴らしが欲しいんです。この単調なリズムを崩す、強い刺激が」

「そ、そうか」


 私はうまく返事をすることができなかった。滔々と語る彼女には、有無を言わせない力があるように感じた。


「けど、安定した生活を捨てる勇気はない。だから平和っていうルーティーンの拷問に耐えるしかない。他人の不幸を、安全圏から眺めることが、唯一の気晴らし。でも気晴らしにも満足できなくなって、もっと他人の不幸が見たくて、罪を犯す」


 月島は私の横に移動し、フェンスを人差し指で挟んだ。


「先生は退屈じゃありませんか?」

「先生が犯罪者予備軍だと言いたいのか?」

「はい」


 月島の顔を見ると、あの笑顔が漂っている。


「残念ながら、退屈する暇などないぞ」


 私は笑顔を作ってみせた。彼女の余裕に対抗しようと。


「授業の準備、お前たちへの指導、部活での顧問。やることなら腐るほどある。とても給料に見合った仕事量とは言えないが、やり甲斐は十二分だ。この仕事に誇りを感じてもいる。それに退屈を感じるようになったとしても、罪を犯すなんて馬鹿馬鹿しい」

「本当ですか?」

「ああ、間違いない」

「そういう嘘を言ってしまうのが、いかにも先生らしいですね」


 すると月島は、赤さびの付いた人差し指を私のシャツに押し当ててきた。どうしてそんなことをするのか。びっくりする私を尻目に、「先生は退屈そうに見えますよ」と話を続ける。


「だから、いっそのこと女子高生を襲って、自宅に監禁したり、強姦したり、人には言えないようなことを犯したいって。そこまでしなくても、たとえば援助交際くらいならって思いませんか?」


 一瞬の間、私の意識はどこにもなかった。

 彼女の口から、援助交際について触れられたのだと気づくまで数秒かかった。


「先生は援交したくて屋上に来たんですよね?」

「……月島も、そんな冗談を言うんだな」


 動揺をとり繕うように返事をする。まるで自分の言葉ではないみたいだ。

 月島はシャツに触れたまま距離を縮める。鋭い黒曜石のようなつぶらな瞳の埋め込まれた、かたちのよい顔。よく見れば、前髪には白髪が生えている。長い手足が身体にぶら下がっており、胸元には高校生らしからぬ膨らみがある。


「先生ならサービスします」


 じわじわと近づいてくる月島。脇に抱えて持ってきていた教科書と出席簿がやけに重い。

 彼女は指先に体重を乗せるように寄っかかってきたが、


「いい加減にしろ。怒るぞ」


 私は彼女の肩をつかみ、強引に引き剥がした。


「嬉しいです。私、いつか先生に怒られてみたいと思っていました」

「冗談は止せ。いつもの真面目な月島はどこに行った」


 肩を握ったまま彼女の顔を覗きこむ。

 そこにあるのは余裕の笑み。その態度は変わらない。


「今日の月島は、変なことばかりしゃべっているぞ」

「おしゃべりな私は嫌いですか?」

「もう意地悪をしないでくれ」

「意地悪な私は嫌いですか?」

「嫌いとか、そういう話はしていない」

「なら好きですか?」

「いや、だからだな……」


 これでは一向に埒が明かない。

 月島の一方的な会話に、私はうんざりしていた。


「分かった。先生の負けだ。今日はもう勘弁してくれ」と、片手を上げて降参のポーズをとる。「お願いだから、いつもの月島に戻ってくれ」と続けた。

「分かりました」


 月島はそっけない返事をすると、いつもの無表情に戻った。ほっとしていると、「でも約束してください」と釘を刺される。


「またここで私とお話してください」

「……分かった。約束しよう」


 私が痒くもない頭をかいていると、月島はおもむろに出口へと歩き出した。


「そのときまでに、眉間の皺はとっておいてくださいね」


 屋上の風に吹かれるように、彼女は姿を消した。


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