放課後鬼ごっこ――紫丈騎衛瑠
「じゃあ、部室で待ってるから!」
そう言って教室を飛び出した絵依を有機は仕方なく追いかけることにした。
二年生の教室は三階にある。
ここから絵依の待つ文化部の部室棟へは二階の渡り廊下を通るのが一番速い。居場所がわかっているのだから特に急ぎもせず、有機はとりあえず階段を目指して下校を始めた生徒たちで溢れる廊下を歩いている。
「なあ、どこ行くんだ?」
「……」
「なあってば! 無灯って無口なのか?」
「(どうして転校生が俺について来るんだ?)」
と有機の思考が険しい顔色にまざまざと表れている。
その隣を歩くのは転校生の紫丈騎衛瑠だ。
ホームルーム後、騎衛瑠に話しかけられた有機は、騎衛瑠をとり囲むクラスの女子たちの輪に不可抗力的に巻き込まれることになったのだが、どういうわけか絵依が件の捨て台詞を吐いて教室を出て行った。
あの時の絵依はどう見ても怒っていた。
主役でない有機が女子の輪を抜けるのは思いのほか簡単で、すぐに教室からの脱出に成功したのだが……。
「……クラスのやつらはどうしたんだ? お前に聞きたいことがたくさんあったみたいだけど」
「いやー、めんどくさくて逃げてきちゃった!」
クラスの女子に囲まれているはずの少年はいつのまにか有機の隣を歩いていた。
「おいおい……(あの女子の輪をこの短時間で抜けてきたのか? 隣に来たことにもまるで気づけなかった……)」
とさらに有機が思考を巡らせていると、
「だからさ、無灯がこの学校案内してよ」
と同級生で転校生の少年は茶目っ気たっぷりに有機に甘える。まあ、どうせ今だけだろう。転校生は本当の俺を知らないからな。と思いはしても、有機にとって厄介なことには変わりがなかった。
「なんでだよ。クラスの女子に案内してもらえばいいだろ?」
「いや、だって同年代の女子ってなんだかめんどくさくてさ」
苦笑いを浮かべながら騎衛瑠は自分の頬を指でかいた。その表情からは過去に女子がめんどくさくなるようなエピソードがあったことを匂わせている。
「顔に似合わずキツイこと言うんだな……。とにかく、俺はこれから行くとこがあるからお前の世話を出来るほど暇じゃないんだ」
「部室に行くんでしょ? 無灯は何部なの?」
どうやら騎衛瑠は絵依の言葉を聞いていたようだ。有機がおもむろに立ち止まる。
「……」
「ねえ! また黙秘?」
「仕方ない。撒くか」
有機が唐突に廊下を走り出す。
急激な加速は周囲に突風を巻き起こし、女子勢のスカートがはためいて廊下に小さな叫びが生まれた。
「……はやっ!」
突然の出来事に口をポカンと開けたままの騎衛瑠をその場に置き去りにし、有機は人混みを華麗にかわしながら廊下を突き進む。
速度を落とさず右手で壁を掴み遠心力にまかせて右へ急カーブ。
階段に人がいなかったのは幸いだった。
直後に待ち受ける階段を一気に飛び降りる。
階段の中腹で折り返し、二度の跳躍で二階にたどり着いた。
周囲の視線も気にせず、直近のトイレに駆け込むと、用を足していた佐藤副校長の驚愕に染まる顔色を無視して有機は奥の窓から外へと出る。そこには二〇センチ程度の段差があり、かろうじて人が立てるスペースがあった。
有機の目の前には高等部校舎と部室棟の間の空間である裏庭が広がっている。
放課後の裏庭は少年少女の語らいの場でもあり、みな自分の青春を謳歌していて二階部分に突如現れた少年に気づいた人間は思いのほか少なかった。
「ふぅ……、さてと」
むき出しの排水管に左手をつき体を支えると、ポケットから携帯電話を取り出す。携帯側面のショートカットキーを押して液晶に入力画面を表示すると右手の親指で『0002』と入力する。
【通信番号0002 魔法『空気跳躍』を起動します】
携帯から流れる電子音声は青木の携帯よりも少しばかり活発な印象を与える少女の声だ。
この電子音声も有名人や声優など様々な人間が提供しており、個々の携帯で個性が出る。有機はそんなことにポイントは使えないので備え付けの初期設定音声を使用している。しかも割と気に入っていた。
画面が緑色に発光し、緑光の粒子が有機の脚に纏わりつく。
脚に確かな魔法の発動を確認した有機は空中へ足を踏み出し、
空を飛んだ。
正確には足の裏でしっかりと空気を捕らえ、地面を蹴るような感覚で空を駆け降りていた。
裏庭にいた人間には有機が見えない階段を走っているように見えたかもしれない。
「なあ、いいだろ? 俺と付き合おうよ」
「こ、困ります……今日、初めてお会いしたのに、いきなりそんな風に言われても……」
有機が降り立つ先に二人の男女がいる。
男は有機と同じ二年生で新入生の少女に対して粘着質なアプローチをしていた。
「そんなこと言わずにさあ! 絶対楽しいから! とりあえず付き合――ぐへぇっ!」
「ごめんね、お邪魔するよ」
しつこいアプローチに困惑していた少女の目前で、有機は粘着質な男を踏み台にして着地する。同時に脚の緑光が消え、有機はそのまま部室棟の一階入口まで全速力で駆けた。
エアロジャンパーは空中にいる間しか機能しない。
最大稼働時間は一分。
空中にいる間に魔法が切れると問答無用で地面へ真っ逆さまになるとあって危険なアプリだ。空気を足の裏で掴むのにもコツが必要で、極めて上級者向けのアプリといえる。
ようやく部室棟の一階玄関前にたどり着いた有機は、さすがに息が切れたので一度立ち止まった。
「なんで俺がこんなに走らなきゃなんねえんだよ……」
心の叫びが声にでていた。すると、それに合わせて
「タッチ!」
と無邪気な少年の手が有機の肩に乗せられる。
独り言に対して返事があったことに有機の思考が一時的に停止した。
「無灯って速いねー。いきなり鬼ごっことか言ってくれないとさ。まあ、鬼は得意だから良いけど」
「うそだろ……」
有機はこのとき一種の恐怖を覚えたことを否定できない。
彼の全力についてこられる人間は学園内でも極めて少数だ。
「じゃあ、行こっか! 部活」
「…………」
有機は肩をガックリと落とし、騎衛瑠に背中を押されるがまま、力なく部室棟へ入っていった。