教室にて①――黒輪絵依
『二年五組』
全八クラスの中で有機と青木は五組の教室にやってきた。
青木はクラスに部活の仲間を見つけると春休みにおこなったトレーニングの話をしに行き、有機は窓際の前から三番目の席に腰を落ち着けた。
緑の多い聖央学園の敷地を眺められる席になったことは有機にとって及第点だった。退屈な教室では外の景色を見ることくらいしか有機の楽しみはない。
有機はふと思い出したように灰色のズボンのポケットから携帯を取り出した。白いカラーリングが施されたタッチパネル式の携帯は黒のカーボンケースで保護されている。
左手で携帯を持つと慣れた手つきで液晶を軽く右から左へスライドさせる。縦横四つずつ、計一六のアイコンが画面に表示されると、有機はその中から六芒星の魔法陣の絵の下に『DKマーケット』と書かれたアイコンを指で触れた。画面がさらに切り替わりトップページに新着アプリがずらりと表示される。
そこから検索アイコンをタップして画面上で『駐車場』と入力し、確定ボタンを押す。検索に引っかかったアプリが表示されると、そこから五つ星判定でもっとも評価の高いアプリの詳細を確認した。
「一〇ポイント。維持コストは月三ポイントか……。確かにこの手の魔法の中じゃお買い得すぎる安さだな」
アプリは種類も豊富で、同じ効果の魔法でも複数のアプリが存在する。中には欠陥品もあり、手を出す側も充分に気をつけなければならない。使った人間の評価によって星がつき、五つ星評価を受けているアプリは信頼性が高いといえる。
「めずらしいね、欲しいアプリでもあるの?」
有機が画面から顔をあげると、横から画面を覗きこむ美少女の姿があった。
――黒輪絵依。
親どうしの仲が良く、有機とは幼少時からの付き合いだ。二人が同じ学校に通うのは高校からである。
母方の祖父がアメリカ人で、その日本人離れした容姿に金髪と蒼い瞳の相性が良い。さらに黒のニーハイとチェックのスカートが織りなす絶対領域からのぞく白い太ももがまた何とも言えない。極めつけとして絵に描いたような努力家であることも周囲の評価をあげている要因の一つだろう。
彼女の人気はファンクラブが創られるほど高い。
「いや、青木のやつが良いアプリがあるっていうからさ。どんなのか見てたんだよ。確かに良さそうなアプリだけど、俺には必要ないかな」
「あ、パーキングのアプリ。今、流行ってるよね。私も取ろうかな。でも、有機の通学は自転車でしょ? 必要ないってことはないんじゃないの?」
「俺は黒輪みたいに『私も取ろうかな』って言えるほどポイントに余裕がないもんでね」
有機は溜息混じりに肩を落とす。天才の有機は努力家の絵依と違って所持しているポイントが多くはない。言葉も自然と嫌味なものになってしまう。
「なによ、嫌な言い方ね。私は真面目に自分の為すべきことをしているだけよ。ポイントはそこについてきただけ」
「……で? 始業式が終わって早々、俺に何の用だよ。新学期の挨拶に来ただけか?」
有機は話題を変えた。これ以上この話をしていても互いに不快感が募る一方だし、絵依も本来の用事があったため、それ以上の口論にはならなかった。
「挨拶、それもあるけど……。明日から宿題テストでしょ? 勉強教えて欲しいの」
「宿題テスト? それって宿題を真面目にやってれば出来るもんだろ? まさかズルでもしたのか? 黒輪にかぎってそんなこと――いたっ! いてて! なにすんだよ!」
ズババッ!
突如、有機の頭上へ高速の平手打ちが五月雨のように降り注ぐ。
その横に立つ絵依の鬼のような形相を有機の視界が捉えた。
「私がそんなことするはずないじゃない! 聖央学園の宿題テストはね、そんな簡単に点数が取れるような生易しいものじゃないのよ!」
「そうなのか? てか、叩くことないだろ……」
「有機が私のプライドを激しく傷つけたからよ。今に見てなさい! 卒業までには有機を実力で倒すんだからね!」
「勉強で俺を? 倒すべき相手に勉強教えてもらうのか?」
「うっ……。そ、そうよ悪い? 弟子は師を超えるものなんだから!」
「俺って黒輪の勉強の師匠だったのか……。初めて知ったよ」
腕を組んで考え込むようなそぶりを見せる有機に対して、絵依の顔が今まさに燃え盛らんとばかりに紅潮する。有機が絵依をからかっているのは明確だった。
その結果、さらなる平手が有機を容赦なく襲う。ひとしきり叩き終えた絵依は机に突っ伏した有機を一瞥し、踵を返して自分の席へ戻っていく。彼女の席は中央の列の一番前だった。去り際、絵依は有機に対して捨て台詞を吐いた。
「とにかく! 今日は放課後、勉強の相手してもらうからね!」
「(もう、わけがわからないよ……)」
机につっぷしながらそんなことを考える有機だった。