解けない女装
はじめに有機に生まれたのは「なぜ?」という疑問だった。
連絡先を交換してから一度も表示されることのなかった「黄崎徹」の名は有機に言いようのない不安感を与えた。
「……無灯かい?」
「お久しぶりです。どうかしたんですか? 生徒会長」
有機にとって黄崎は理想であり油断のならない相手。
言葉には細心の注意を払ったつもりだった。しかし、それはたった一言で覆されてしまう。
「黒輪君がさらわれた」
「……は?」
「いや、今のは少し語弊があった。正確には黒輪君がさらわれるところを見たわけじゃない。ただ状況からみて、そう考えるのが自然な流れになっている」
「あんた何言ってんだ? わかるように話せよ!」
「そう声を荒げるな。僕がわざわざ君に電話をしている。そのことをよく考えてくれ。とにかく時間が無い。君は今どこにいる?」
「……聖央大学病院だ」
「そうか、なら大至急高等部の生徒会室へ来てくれ。僕はそこにいる。無事にたどり着けたらだけど」
「あんたが無事にとは随分大袈裟だな」
「まあ、ね……。僕がこんな状態でなければ、君に頼むことも、黒輪君をみすみすさらわれることもなかったんだ。本当にすまない」
後悔にも似た懺悔の念が含まれていることを察した有機だが、気にしている時間はないし、黄崎もそれは望んでいないだろうことはわかる。有機は淡々と事務的に話を進めた。
「……とにかく俺は学園に向かう。それでいいんだな?」
「ああ急いでくれ。事態は一刻を争うかもしれない」
(絵依が……どうして……)
電話を切った有機の頭によぎったのはそんな些細な疑問だった。
そして、ふと紫丈邸での武者小路の言葉が脳裏をよぎった。
――ウチの推測が正しければ、今回、狙われているのは超のつく努力家たちや――
話など上の空だったはずなのにしっかりと記憶として焼きついていた。
言いようのない不安が現実味を帯び始め、気がつけば有機の足は全力で地面を蹴りだしていた。
◇◆◇◆◇
「なるほど……そういうことやったんやな」
寮の自室でデスクトップパソコンのモニターを見つめる武者小路。
そこに映るのは彼女の見知った顔だった。
「あのさ……」と騎衛瑠。
「私が手に入れた『レパード』の幹部リスト。あなたに見せて正解だったわ」
モニターの右上には小さなウィンドウが開かれ、そこには大臣室にいる瑠華とテレビ電話の回線が繋がっている。
「ねえ、聞いてる?」とさらに騎衛瑠。
「しかし権藤が黒幕か……。あのお堅い教師が天才だったことを隠していたとは知らんかったな」
「権藤の経歴を探ってみた結果だけど、彼は元々、教師ではなくて某有名企業の研究室にいた様ね。革命以前はそこでプロジェクトのリーダーをやっていたようよ」
「調べるの速いな! で、関わっていたプロジェクトってどんなものなんのや?」
モニターに映る瑠華は手元の別のパソコンや資料に目を通しながら時折武者小路と言葉を交わした。
通信省は日本の情報を司る省である。
その膨大な情報量の中から短時間でたった一人の人物を調べ上げるとなると、その情報処理能力は並大抵では意味をなさない。瑠華の力はまさに通信省トップとして君臨するに足るものだった。
「もしもーし。二人とも僕の話も聞いてよー」さらに投げかける騎衛瑠。
「プロジェクトの名前は『レゾナンス』。共鳴や共振という意味だけど、プロジェクトでは、いわゆる音の作用についての研究をしていたみたい」
「音の作用?」
「そうね、例えば、水とかにきれいな言葉をかけると、そこからできる氷の結晶が美しい形になるとかっていう話、聞いたことない?」
「ああ、なんか昔流行ったらしいな。でもあれって科学的根拠はなかったやろ?」
「ええ。でもそれを科学的根拠に基づいて実現させようとしたプロジェクトがあったの。人の話す言葉だけじゃない、超音波やありとあらゆる様々な音の力を使って別の現象へアプローチする方法を模索する。それがレゾナンスプロジェクト」
「っ! もしかして今回の事故も!」
「さすが武者小路さん。私もそんな気がしているの。理解が早くて助かるわ。あとはお願いしてもいいかしら?」
「ふっ! 随分と他人任せやな。まあ、ウチはかまへんけど。だとするとウチの今までの仮説に色々と訂正を加えなあかんな……」
「ねえ!」騎衛瑠がついに吠えた。
武者小路は流石に無視できなくなって寮の中で大声を上げる馬鹿男子に呆れかえって睨みつけた。
「アホ! お前死にたいんか? 白手先生にバレたらどうなることか……」
「ばれるわけないよ……」
騎衛瑠のその言葉からは絶対の自信とそこから湧き出る深い悲しみが伝わってくる。
「? どういうことや?」
「さっきから魔法が解けないんだよ。もうとっくにリミットの三分は経ってるのに……」
武者小路は騎衛瑠を頭の先からつま先までを一通り見た。テレビ電話の先に居る瑠華も「あら、結構可愛いじゃない」と自分の弟の女装を素直に褒めている。
つまり魔法は解けていなかった。
「……その女装魔法って系統的には黒に属するんやったっけ?」
「ああ……そうだよ。僕がダウンロードした、いや、させられたんだ間違いない。女子寮に潜入したら解除するはずだったのに……」
嫌味や皮肉をこめて言いなおすも、武者小路の心にはまるで響いていないようで、
「なら、きっとアプリの暴走やな。それで魔法が解けなくなったんや」
と、武者小路はさも当たり前のことのようにさらっと言ってのける。
だが、騎衛瑠はその顔に驚愕を張り付けていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! じゃあ僕はどうすればいいんだよ!」
「そうやなぁ。あんたハードバンクやろ? ウチはビーユーで無灯はイツモの管理者やからな。ウチらの権限じゃ中森の時のようにアプリを隔離することも無理やし、どうすることもできひんな」
「そんなぁ!」
「あんたの選択肢は二つや」
「二つ?」
「どこにいるかわからんハードバンクの管理者を今から探すか、同じく居場所のわからん事件の犯人を見つけ出してなんとかさせるか。ウチのお薦めは後者やけど、どうする?」
「……どうやって捕まえるんだよ」
「ふん。レパードのやり口は大体見当がついた。これ以上あいつらの好きにはさせへんわ。くくくっ! くっくっくっくっ……」
「…………」
「…………」
武者小路はこみ上げる笑いを必死に堪える。
それが余計に妖しくて恐ろしくもあり、魔女の存在を認めざるをえないような、そんな存在感を放っていた。




