四月一九日④
夕陽の差し込む二階の廊下。
まるで酔っ払いのようにフラフラと足元のおぼつかない少年が一人。
――生徒会長・黄崎徹、その人である。
「そろそろ黒輪君が部活から戻ってくる時間だ。早く生徒会室に戻らないと。――うぷっ」
右手で口を押さえる。喋るだけで胃の中に確かに存在する緑の悪魔が黄崎を容赦なく襲う。
――今朝のことである。寮で大将と呼ばれる給仕の女性にキュウリの試食を頼まれた。
そして大嫌いなキュウリを食べた黄崎はその場で卒倒し、午前の授業を全て欠席することになる。
昼。寮のベッドで目覚めると、黄崎は意を決して大将にこう願い出た。
――お詫びにもう一本食べさせて下さい。
黄崎は我ながら馬鹿だな、と自分自身に呆れた。
それでも、せっかくの料理を食べて卒倒するなど、黄崎にとって、あり得ないことだった。
今度はなんとか意識を保ったままキュウリを食べきった黄崎だったが、その反動か、体はキュウリを中々消化せず、放課後の今も黄崎の胃の中で猛威を奮っている。
「(厄日だ……)」
うなだれる黄崎の虹色の髪も今日ばかりはその輝きに陰りがあるように見える。
「あなたたち、そこをどきなさい」
「フン! どけと言われてどく奴がいるかよ! 邪魔してんのがわからないのか?」
「……」
(おや? あれは黒輪君じゃないか。男子二人に絡まれているようだな)
黄崎が声のする方へやってくると、部室棟と校舎を繋ぐ二階の渡り廊下で絵依が長身と小太りの二人組と相対しているところだった。
どうやら男子の方は絵依に好意的な感情を持っているわけではないようだった。学園内に一〇〇人はいるとされる黒輪絵依のファンクラブの会員でもなさそうだし、告白をするような独特の緊張感もない。
「あなたたち、見たところ一年生よね。私が誰かも分からずに邪魔をしているのかしら?」
絵依は二人の足元、上履きに引かれた深緑のラインを見てそう問いかけた。
間違えましたと言えば、この場で笑って許すつもりだった。だが……。
「フン、あんたが誰かはもちろん知っているよ。生徒会副会長の黒輪絵依様だろ?」
「……」
隣の小森は一向に口を開かない。実際会話は大森がしているので、話すことが無いのは事実だが、それ以前に小森があまり乗り気ではないことに起因していた。
「そう……。私を誰だかわかっていて通行の邪魔をしていると……。それなら、手加減の必要もないわね?」
(お? これは久し振りに黒輪君の雄姿が見られるな!)
体調のすぐれない黄崎もこの状況には心をときめかせた。
二対一。
傍から見れば劣勢の絵依に加勢すべきではあるが、黄崎はそれをせず渡り廊下の角で身を潜めている。
それは、絵依の実力を知っているから。
学園で最も権力を持つ組織、生徒会の副会長。
学園ナンバー2の彼女が弱いはずがなかった。
そして、黄崎はそんな生徒会執行部黒輪絵依副会長のファンクラブ『会員番号0000』の名誉会長でもある。
「フーン! やってみろよ副会長様!」
大森はその長身から見下すように黒輪をあざ笑う。
途端に絵依の目つきが変わった。
ブレザーから最新型のスマートフォンを取り出す。
小森と大森も携帯を構える。
【通信番号0626 魔法『正義の鎖』を起動します】
大森は笑う。ほくそ笑むという表現が正しいだろう。
「フン! 0007 アクアブレード『改』」
「……0002 サンダ―キック『改』……ぶぅ」
青と黄が渦巻く激しい閃光。
渡り廊下は一瞬にしてその姿を変え、黄崎の視界を蹂躙した。
◇◆◇◆◇
同時刻、女子寮前。
「どうして僕がこんなことしなくちゃならないんだよ!」
「そんなのさっき自分で言ってたやないか。大臣から連絡があったんやろ?」
「それとこの格好にどんな関係があるんだよ!」
二人がいるのは女子寮手前の雑木林。林の中からは寮へ戻る女子生徒の姿を確認できるが、外から中の二人を確認することは難しい。
「アホか! これから行くところは男子禁制や。『女装』はあたりまえやろ」
「……」
風になびくのは淡い紫のロングストレートの髪と学園指定のチェックのミニスカート。
そこから覗く白磁のように透きとおる肌はとても男子のものとは思えない脚線美。
完璧な美少女へと変貌を遂げた紫丈騎衛瑠が声を荒げてもたいした迫力はない。
「じゃ、じゃあ! どうして女子寮へ行かなきゃならないんだよ」
「それは大臣がウチに見せたいものがあるからやろ? あんたの携帯のデザリング機能を使ってウチのパソコンを大臣との直通回線に繋がなあかんねん」
「なら、僕の携帯だけ持って行けばいいじゃないか」
「アホか! 指紋認証があるから本人がその場にいないと使用できへんやろ。男の癖にグチグチ言うなや。あ、今は女子か」
「うぅ……。大体この女装の魔法だって結構ポイント使ったんだぞ……」
「そのかわり可愛く仕上がったやないか。男だって知れたらみんな悔しがる出来栄えやで?」
「どうして僕がこんな目に……」
うなだれる騎衛瑠の肩にまるで犯人を追いつめた刑事のように武者小路は手を置く。
「いこか」
「はい……」
雑木林を抜け、寮への視界が開けると思い出したように武者小路が口を開いた。
「そうや、くれぐれも女装の持続時間には注意せえよ? もし女子寮に男子が紛れこんでることがばれたら……地獄を見るで?」
「なっ! ここまで来てビビらすのやめてよ!」
騎衛瑠はその言葉におもわずへたり込んだ。今にも泣きそうな顔はどこからどうみても可憐な少女そのものである。だが武者小路はそんなこともお構いなしに騎衛瑠のブレザーの襟首を掴むとそのまま引きずるように寮へと進む。
(なんか、つい最近もこんなことがあったような……)
茜色に染まる空を眺めながら騎衛瑠は物思いにふける。
「ちなみに女子寮の寮長は白手先生やからな。気をつけや?」
桜並木を眼鏡の教師に引きずられ、今も眼鏡の女子生徒にいいようにされている。
(眼鏡との相性が悪いのかな……)
さらに遠い目をする騎衛瑠に武者小路は溜息をつきながら、
「男やろ? いい加減に覚悟を決めろや。あ、今は女子か、くっくっ!」
武者小路の顔にうっすらと笑みが浮かび、騎衛瑠はガックリと肩を落とした。




