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ジーニアス ―白銀のガントレット―  作者: 出金伝票
第三章 天才至上主義者『ドラゴンライダー』
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後悔

 去りゆくあいつにかける言葉が出てこなかった。


 そして俺は翌日、そのことを激しく後悔することになる。


 ――あれはそう、赤い髪の少女が魔法の暴走に巻き込まれ、騎衛瑠に襲撃された日のことだ。

 生徒指導室を出た俺と騎衛瑠はその足で撫子がいるであろう部室へ向かった。

 そこには撫子の他に絵依と梓部長もいた。絵依は俺と騎衛瑠の制服が汚れているのを訝しんでいたが、桜並木の遊歩道を転がったり、桜の木にぶつかったりしたことを細かに説明するのもめんどうで俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。


 梓部長は「二人ともやんちゃだな! 若いのは良い! あっはっはっは!」と両手を腰に当てていつものように快活に笑っていた。それを見た騎衛瑠が心なしか胸を撫で下ろしているように見えたのはなぜだろうか。もしかしたら俺の知らないところで二人のやり取りがあったのかもしれない。

 梓部長の笑い声に目を覚ました撫子が眉間にしわを寄せながら机から顔を上げる。その時の撫子は眼鏡をかけてはいなかった。眼鏡ひとつでこんなにも印象が変わるものなのか、と目の前の美人を前に俺は思わず言葉を失った。撫子の眼鏡を外した素顔を見るのはこれで二度目のことだ。いまだに慣れない。


「さっきはごめんなさい……」


 騎衛瑠が頭を下げる。撫子が俺をみつめてきたので苦笑してみせた。撫子はそれで全部わかったかのように深くため息をつき、隣に置いてある丸眼鏡をかける。


「文句は今度にするわ……今日は疲れた」


 鋭くて冷たいいつもの口調だった。撫子は鞄を持って部室を出て行く。窓側の掛け時計を見るとすでに五時を回っていた。空が赤みを帯びるのも無理はない。部室に残された俺たちは片づけを始め、すぐに部室を出た。梓部長は鍵を返しに行き、絵依は生徒会室へ向かう。残された騎衛瑠も「じゃあ、また明日。今日は本当にごめん」と言って、俺から逃げるようにその場を離れた。壮大な勘違いから時間もそんなに経っていないこともあって、俺と一緒にいるのは居心地が悪そうだった。


 俺は部室棟を出て桜並木へ向かった。俺がぶつかった桜の木はその傷跡が跡形もなく消えていた。撫子が帰りに立ち寄ったのだろう。あいつの使う再生魔法は大地に根付く物にしか作用しない。人間が作り上げた人口の歩道は戦いの傷跡をそのまま残していた。


 桜並木から見えるグラウンドには白線が引かれていて、トラックを青い髪を揺らしながら青木が走っている。俺はあいつがパーキングの魔法を使っていることを思い出した。つい数時間前にアプリの暴走を目の当たりにしていたこともあって俺は焦っていたのかもしれない。青木が事故に巻き込まれたら……と居ても立ってもいられなくなった俺は、まだ部活中の青木の元へ走った。

 少しの間、グラウンドの外で待っていると青木が水飲み場へやってきた。

 青木の顔は険しかった。

 俺はそこで青木の違和感に気がつくべきだったのかもしれない。


「よお、おつかれ! 練習に精がでるな。大会近いんだっけ?」

「急にどうしたんだよ……。陸上部に興味でも沸いたのか?」


 青木の声のトーンは普段より低くて俺は疲れているんだろうと思った。


「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。青木は相変わらず速いんだな。さすがだよ」

「お前の方が速いだろ……」

「え?」


 その時の青木の言葉はあまりのも小さくて俺には聞こえなかった。俺に伝える気もなかったんだと思う。青木は蛇口を捻り、水を顔に浴びると首にかけたタオルを使って顔を拭く。


「それで何の用だよ。俺に用か?」

「あ、ああ。実は今日、校内でアプリの暴走事故があったらしいんだ。それがパーキングの魔法だったらしくてさ。青木もパーキング使ってただろ? だからしばらくは使わない方が良いんじゃないかと思ってさ。それを伝えに来たんだ」


 あくまで他人事のように話した。

 すべてを話すには時間が足りなかったし、自分が管理者の一人であることを隠しながら話すのは色々とつじつまの合わなくなるところが出てくるからだ。管理者という立場を隠すのは、携帯電話と魔法を使う者たちにとって、その存在が極めて重要なものだから。管理者の持つ七つの権限はその存在を隠さなければならないほどに強力なのだ。

 本来、管理者であるという素性を話すことは禁止されている。例外的に騎衛瑠に話したのはそれが大臣からすでにもたらされているはずの情報であり、今後の協力体制を敷く上で、話さなければいけないことだったから。


「ふーん、そんなこと言う為にわざわざ来たのかよ。暇人だな」


 青木の吐き捨てるようなセリフに、本気で心配をしていた俺はカチンときた。


「なっ! 暇人てなんだよ! 俺はお前が心配で――」

「お前に心配してもらう必要はない」

「……え?」

「目障りなんだよ。天才……。そんなこと言いに来たのは口実で、本当はタイムの伸びない俺を嘲笑いに来たんだろ? ちょっと練習さえすれば俺なんかより簡単に速くなるって思ってるんだろ? どうせ、効率の悪い練習してるんだなって見下してるんだ。やめてくれよな……努力もしない人間が俺に指図なんかするなよ!」

「どうしたんだよ急に。そんなわけないだろ……俺にそんなつもりは……」

「第一、今日だって朝パーキングのアプリは使ってるんだよ。あのアプリを取得してからもう一ヶ月も経つ。いまさら気をつけろなんて遅すぎるだろ。違うか? わざわざ言いにくるようなことじゃないだろ」

「それは……」


 暴走したアプリに関してはこれから解析するところだ。

 説明することなんてできないし、まして、わかっていたとしても、それを俺の口から言うこともできない。それは自分がこの件に深く関わっていることを教えるようなものだからだ。


「わかったらさ……しばらくは話しかけないでくれよ。目障りなんだ……」


 そう言ってグラウンドへ戻っていく青木の背中に俺はかける言葉が見つからなかった。



◇◆◇◆◇



「くそっ!」


 青木は自分自身に腹を立てていた。

 タイムが伸びない苛立ちを友達にぶつけている自分。

 そんなことをしても青木のもやもやとした心は晴れはしない。

 八つ当たりだということは青木自身が一番わかっていた。

 また会えばこじつけのような理由で青木は有機を責める。

 それがわかっていたから青木は必要以上にきつい言葉を浴びせた。

 話さなければ、これ以上有機を傷つける必要もない。


 青木は練習中に計測係の顔色が優れないことにすぐに気がついた。それは青木のタイムが伸び悩んでいることに対して、なんて言葉をかけて良いのかわからないからで、先輩たちが青木に声をかけないのは部内で一番速い自分の不調にかける言葉がないから。と考えていた。

 だか、実際は青木の被害妄想にすぎず、計測係の顔色が悪いのは単に体調がすぐれなかっただけで、先輩たちも最後の春季大会に向けて自分自身を追い込むのに必死だったからだ。


「自分が部活を引っ張っていく」

 という強い責任感が青木の心を支えると同時に自由を奪う足枷にもなっていた。


 ――部活の帰り道、すっかり暗くなった欅並木で青木は携帯電話を開く。


「何をいまさら……」


 有機の言葉が青木の脳裏をよぎる。

 だが、それは魔法の起動への抑止力とはならない。

 青木は携帯を操作し、いつものようにパーキングの魔法を起動した。そして……。


「な、なんだよ……これ……」


 ――闇に溶け込む自転車のオブジェクト。

 それは中森を襲ったものと同様、意志を持っているかのように肥大化を続ける。

 少年のクロスバイクが増殖を続け、立ち尽くす青木に迫る。


「う、うわあぁぁぁぁぁ!」


 夜の帳が下りた欅並木に少年の悲鳴が空しく木霊した。


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