廊下。そして食堂にて
「どうして助けてくれたんだ? 勘違いして襲ったのは僕の方だ……。悪者は本当に僕だった」
不意に騎衛瑠が口を開く。
白手から解放された二人は窓から夕陽の差し込む廊下を当てもなく歩いていた。
「言ったろ? 善悪は視点によって変わるもんだって。お前は自分の正義のために戦ったんだ。それでいいじゃないか。これからはお互いに協力していかなきゃいけない。仲たがいしていたって意味がない。そうだろ?」
「……いいなぁ、そういう主人公っぽい台詞。ずるい」
「バカ言ってんじゃねえよ」
有機は呆れたようにため息をつく。だが、騎衛瑠がその隣をついてくる気配がない。不思議に思った有機は後ろを振り向いた。そこには真っすぐな眼差しを向ける騎衛瑠の姿。
「なあ、結局、無灯達って何者なんだ? ただ者じゃないのはわかってる。さっきの暴走も無灯が止めたのなら、単に天才だからとかじゃ説明がつかない」
「なんだ、知らないのか?」
「いじわる言うなよ、さっきの姉さんとの会話で僕が事前の説明をちゃんと聞いてなかったことは知ってるだろ……」
それを聞いた有機は周囲を見回し、人がいないことを確認する。
「俺と撫子は『管理者』なんだ」
「管理者?」
「そう。三つのキャリアは普段はそれぞれ三機のスーパーコンピューターによって制御されているんだけど、メンテナンスを含めて人の手が必要になるときがあるだろ? そういったイレギュラーに対応するのが仕事。各キャリアに二名ずつと政府専用回線を担当する一人の合計七人。俺はイツモの管理者で、撫子はビーユーの管理者。日本の通信回線を管理統括する七人の一人、それが俺や撫子の正体さ。まあ、雇われの身だから偉いわけじゃないんだけどな」
「管理者……。名前は知ってたけど初めて会ったよ」
唖然とする騎衛瑠に有機は笑いかけ、肩を組む。
「さて……それじゃあ、もう一人の管理者のところに謝りにでも行くか。あいつは俺のように優しくはないけどな」
◇◆◇◆◇
四月一六日。一階食堂。
窓際の席を陣取った肥満児の少年はカレーを夢中で頬張っていた。
すると、少年の向かいの席に眼鏡をかけた優等生風の男が許可もなく腰を掛ける。
「大森が食堂に来るなんてめずらしいぶぅ」
「フン! 実はちょっとお前に相談があるんだ」
「いったい、どうしたぶぅ?」
大森の眼鏡越しに放つ真剣な眼差しに、小森はカレーをすくう手を止めた。
「フン。実は中森さんの様子がおかしいんだ……」
「おかしい……ぶぅ?」
「ああ、俺が中森さんと同じクラスなのはお前も知ってるだろ? 朝、教室で中森さんに声をかけようとしたら、なんかずっと遠くを眺めるようにボーっとしていて、たまに頬を赤らめると『違う……そんなんじゃない……』とかうわ言のように呟くんだ……」
「ふーん、それってまるで――」
「フーン! 言うな! 中森さんに限ってそんなこと、あるわけがない! どこかの誰かに恋するなんてありえない!」
「自分で言っているぶぅ」
「くっ!」
「中森さんも年頃の女の子ぶぅ。恋の一つや二つするのが当たり前ぶぅ。この前ドラマで言っていたぶぅ」
「フン! ドラマかよ! 小森は気にならないのか? 中森さんが誰を好きになったのか……もしかしたらどこの馬の骨かもわからない奴に中森さんを取られるかもしれないんだぞ?」
「そりゃあ……ぶぅ……」
「フン、昨日、何かあったんだ……。俺たちが実力テストをサボったりしなきゃ……」
「補講を受けることもなかったぶぅ……」
一年生は宿題テストがない代わりに実力テストを行う。二人はそれをサボったがために、補講を受ける羽目になった。
ちなみに有機は一年前にその実力テストを頑張りすぎて、自分が天才であることを周囲に知らしめた。結果的に大森と小森の先輩であるチーム『山』の三人組に目をつけられることになり、彼らに絡まれている最中、東宝院梓に出逢うのだが、それはまた別の話である。
昨日、校内で発生した『二つ』のアプリの暴走事故のことを二人はまだ知らない。すでに生徒の間ではその話題で持ちきりだったが、大森はリーダーの中森のことしか頭になかったし、小森はカレーのことしか考えていなかった。まさか事故に巻き込まれた内の一人が中森だとは夢にも思っていない。事故に巻き込まれたもう一人の生徒はかなりの大怪我をしたという話も食堂の別の席で話題に持ち上がっていたが、二人には届かなかった。
二人が向かい合って意気消沈していると、そこへ新たな人影が近づく。
「お前たち、ちょっと話がある」
「フン、俺たちの方は貴様に話などな――」
振り向いた大森の顔が凍りついた。
彼の後ろに立っていたのは聖央学園高等部・生徒指導担当――権藤虎児。
権藤の巨体が大森に近づき、その顔に影を落とす。
その様子を伺う小森もワナワナと手を震わせていた。
二人は中等部から上がってきているため、先に高等部に上がった先輩たちから権藤の名声は数えきれないほど聞いていた。彼らの親しかった先輩たちは基本的にやんちゃな人間が多かったこともあり、二人の耳に届く話も先輩たちが痛い目にあったという恐怖体験が大半を占めている。
「そんなにビビることもないだろう? それとも私に指導を受けなきゃならないほどのことをお前たちはしたのか?」
「「いいえ! していません!」」
二人が口をそろえる。
もはやそこに個性などはない。蛇に睨まれたカエルのように微動だにせず、口だけを動かす。
「そうか……なら少し私の話を聞いていけ」
権藤はそう言うと大森の横に座った。小森は一瞬、目の前へ視線を落とす。先ほどまで湯気の立ち込めていたカレーが徐々に温かみを失っていく。小森はそれがとても悲しかった。




