報告
「はぁ……はぁ……」
武者小路は勢い良く文芸部の扉を開く。いつぞやの有機に対する自分の言動などすっかり忘れた行為だ。中にはいつも通り梓と絵依がいた。二人の視線が武者小路に集まる。
「どうしたんだい? そんなに慌てて。いつも冷静な撫子とはえらい違いだね」
「じゅ、充電……」
「充電? なんだい、あんたの携帯は電池ぎれかい? ますます珍しいね」
「はやく……しないと……」
「撫子さん、まずは落ち着いてください。何かあったんですか?」
扉の側で膝をつく武者小路に絵依が寄り添い肩を貸す。なんとか武者小路を椅子に座らせると、絵依は冷蔵庫から冷えたお茶を取り出して机の上に置いた。
武者小路は疲れ切っていた。弓による集中力の酷使。それに加え普段あまり運動をしないにもかかわらず部室まで全力疾走をした所為でスタミナの少ない武者小路の体力は既に限界に達していた。
「まあまあ、とりあえずアンタは休みな。そんなんじゃ何も出来やしないよ。それに、もう全部終わったみたいだ」
絵依の問い掛けに反応しない武者小路へ窓の外を眺めながら梓は騒動の終わりを告げる。
武者小路は力なく顔を上げる。
「部長はん、まさか……」
「え? なんのことですか? 終わったって、何が?」
「音がやんだ。きっと白手先生に捕まっているんだろう」
(音だけでそんなことまで……。やっぱり、この人には敵わんな……)
直後、安心したのか武者小路はその場で机に突っ伏した。
絵依は一人取り残されたように武者小路と梓を交互に見やる。
「え? 何? 私に説明は?」
「なんだ絵依。一人取り残された感じか? 気にするな、お前だけじゃない。アタイも取り残された一人だ。あっはっはっは!」
すると梓の携帯にメールの着信が入る。梓は中身を確認し自然と口元が緩んだ。
「梓さんどうかしたんですか?」
「表裏が帰って来たらしい。ふっ! 実に愉快だな!」
◇◆◇◆◇
校舎二階。生徒指導室。
生徒会室と職員室に挟まれた小さな部屋の中は応接セットが一組あるだけ。それ以外には何もなく、初めてこの部屋に入る人間は生徒とただ話すためだけに設けられた部屋だという印象を強く持つことになる。
「さて、訳を聞きましょうか」
ソファーに並んで座る有機と騎衛瑠の前に白手が腕を組み二人を見据える。その所作には一分の隙もない。
「実は先生、無灯君は――」
「先生! 俺たち仲直りがしたいんです!」
騎衛瑠の言葉に有機が割って入った。騎衛瑠の思い込みを他の人にまで植え付けられたら困る。と有機はとっさに口走った。
「私は一人しかいないんだから同時に話さないでもらえるかしら。どちらの言い分も私はちゃんと聞くわよ」
「もちろん聞いてもらいたいんですけど、その前に二人で仲直りしてすっきりしてからが良いんです。それじゃ駄目でしょうか」
「それが出来ないから喧嘩したのでしょ?」
「そうなんですけど……。先生に間に入っていただいて、俺も少し落ち着きました。今なら大丈夫だと思うんです。だから……」
「だから?」
「一度、二人っきりにさせてもらえませんか? その……先生のいる前で仲直りなんて恥ずかしいじゃないですか」
有機は少しばかり演技も混ぜながら話を進めていく。過剰な演出は白手に勘づかれる可能性もある。だが、白手はこの程度の演技なら信じてくれるようだった。
「……わかったわ。五分だけ外に出ています。それまでにすませなさい。逃げたらどうなるか、わかっているわね?」
「もちろんです!」
白手が部屋を出ると口火を切ったのは騎衛瑠の方だった。
「どういうつもりだよ。今更、時間稼ぎしたところで罪は軽くならないよ? 往生際が悪いんじゃない?」
「かもな……。でも先生は無関係だ。だからここで決着をつけよう」
「決着? どうやって? 仲直りとかそういう問題じゃないと思うんだけど」
「それはわかってる。そこで一つ提案なんだが、今ここで君の姉さん、紫丈大臣に連絡を取らないか? 『犯人を捕まえました!』って伝えるんだ。先生に話すにしても大臣の許可を取ってからの方が良いんじゃないか? 一応、極秘の任務なんだろ?」
「……なるほど。確かにその通りだ」騎衛瑠は手を顎に当てうんうんと唸る。
「あ、電話の際はいきなり捕まえたって言ったら駄目だ。最初は犯人ぽい奴がいるんだよねーみたいな感じにして、大臣がすごいわね! 良く見つけたわね! って感心してきたところで実は捕まえちゃいました! って言うんだ。そうすることで大臣の驚きは倍! せっかくだから大臣を驚かせてやるといい」
「ふむふむ……。よし! 早速かけよう!」
その気になってきた騎衛瑠はさっそく携帯を操作し、姉との直通回線に繋ぐ。すぐに電話越しに瑠華の声が流れてきた。
「あ、もしもし? 姉さん? 僕だよ、僕。え? 違うよ『ボクボク詐欺』なんかじゃないってば! 騎衛瑠だよ。姉さんの可愛い弟じゃないか! ちょっと! ごめん切らないで! 僕の悪ふざけが過ぎたよ……。まったく……姉さんはすぐ怒るんだから」
一体何の話をしてるんだこの姉弟は、と思いつつ有機はその動向を細かく観察する。
まずは騎衛瑠が話を切り出した。
「実はさ、気になる奴がいるんだよ」
「学園に? 怪しいの?」
「そりゃあ、もう! 怪しいなんてもんじゃないよ」
「素性は? 名前はわかるかしら? それがわかればこちらでも調べようがあるのだけれど」
「ははっ! もちろん! 無灯有機と武者小路撫子っていう二人組さ!」
「……本当に?」
「ほんとさ! もしかして姉さんも目をつけてた? 流石だなぁ姉さんは!」
「…………」
「あれ? どうしたの? 姉さん?」
「……その二人はこちら側の人、味方よ。あなた私の説明聞いてなかったの? 学園で今回の事件を知る、白手以外の唯一の協力者。今回の事件を分析し、レポートにまとめ上げてくれたのは、その武者小路さんよ。彼女のお陰で通信省の官僚たちは重い腰を上げたんだから」
「…………」
騎衛瑠は後悔した。確かにゲームをやるときは説明書を読まない派だが、麗しい姉の声には耳を傾けるべきだった。
(あれはちょうど新作ゲームの発売日で、説明書を読まなかったから四苦八苦していて、姉さんの言葉に空返事をしていたような……。そういえばムトウユウキだとかムシャノコウジナデシコだとかアニメか漫画のキャラみたいな名前を言っていたような……)
終わったな……。騎衛瑠の顔から血の気が引いていくのが隣にいる有機には手に取るようにわかる。結局こうするしかないと有機は戦いの最中から考えていた。この騎衛瑠という、見るからに姉を溺愛している少年を黙らせるには、その姉の言葉が一番だと。
「まさか……襲って捕まえてなんていないわよね?」
騎衛瑠はもはや放心状態で携帯を持つ手にも力が入っていない。ちょっと触れば落としてしまいそうだった。
「貸せ」
「え?」
有機はここぞとばかりに騎衛瑠から携帯を奪い取る。音声認証や指紋認証が存在するため、他人の携帯を使うことには制約が多いが、既に通話中であるならば問題は少ない。
「お久しぶりです。瑠華さん」
「あら? 無灯君? 弟と一緒にいるの? 今の弟の話はどういうことかしら」
「実は瑠華さんに報告することがあって電話したんですが、せっかくだからドッキリを仕掛けようってことになって……。すいません悪ふざけが過ぎちゃいました。あはは」
「ドッキリとはあまり感心しないわね。無灯君らしくないわよ。それで? 報告ってなにかしら?」
「はい、先ほど校内で暴走事故があったんです。そこに『たまたま』居合わせた弟さんと協力して事態を鎮圧したところなんです」
「暴走事故? まさか、アプリの?」
「そうです。しかも今回は暴走したアプリの隔離に成功しました。今は俺のタブレットに保管してあります。これまでは暴走後は携帯を破壊することでしか事態を収められませんでしたから、貴重なデータだと思いますよ」
「確かにそうね。よくやったわ無灯君。引き続き解析の方もお願いしていいかしら?」
「はい、武者小路の力も借りてみます。じゃあ、弟さんにかわりますね」
有機はまるでいじめっ子のようなうすら笑いを浮かべて騎衛瑠に携帯を返す。それを騎衛瑠は恐る恐る耳にあてる。
「騎衛瑠? 今度からはこういうドッキリはやめなさい。でもまあ、よくやったわね。さすがよ」
「あは、あはははは……」
狭い生徒指導室に騎衛瑠の引きつった笑い声が響いた。




