有機VS騎衛瑠 後編
それはある種の決意表明だった。
総合力で騎衛瑠に劣っていると判断した有機は、携帯側面のショートカットキーを押し、入力画面で『♯♯♯♯』と入力する。それは『音声認証モード』へ移行するための手続き。
左手の携帯を口に寄せると、有機は静かに言葉を紡ぎだした。
『その光、約定を束ねる絆の光。悔恨を照らす救済の光――』
「ん? おいおい……なんだよ。いきなりおかしくなっちゃった? 打ち所が悪かったのかな」
『汝、我が内に秘めたる想い。今、常闇を照らす希望となりて我が右手に集え――』
「いや違う……これは? ……ま、まさか……詠唱補助……だと?」
騎衛瑠の顔から笑顔が消える。
まるで信じられない。ありえない物を見るような目で有機を見る。
騎衛瑠は動かない。いや、動けなかった。
『我は許可する! その楔を絶ち切り顕現せよ! 閃光の右腕・強化版(トゥウィンクル・ライト・リバイスドエディション)!』
有機の右手が再び光に包まれる。
その光は有機自身をも覆い隠し、あまりの眩しさに騎衛瑠は思わず両目をその腕で覆う。
だが、それが失敗だった。
光の中から白銀の燐光を纏った有機が現れると、目にもとまらぬ速さで騎衛瑠の顔面へ拳を叩き込む。
今度は騎衛瑠が宙を舞い、滑るように遊歩道を転がる。
しかし、殴られた直後に衝撃を逃がしていたのかダメージは思いのほか軽く、すぐさまガエボルグを支えに騎衛瑠は立ち上がった。切れた口を右手で拭う騎衛瑠の顔には複雑な感情の混ざりあった苦々しげな笑みが浮かんでいた。
「……人の発する言葉は周囲のパテーマ粒子に干渉することが出来る。そして携帯の行う粒子情報操作を言葉によってサポートし、魔法効果を一時的に飛躍させる『詠唱補助』。詠唱中に邪魔が入りやすいこともあって実戦向きじゃないと思ってた。一部の厨二病患者を喜ばせるだけのお遊びシステムだと思っていたんだけどね」
「どうだ? そういうお遊びに殴られた気分は」
「うーん、それが思いのほか清々しいんだよね。だってさ、魔法の呪文とか、まるで」
「「九〇年代のアニメみたいじゃないか」」
同じ穴のムジナ。二人の声がシンクロする。
「なんだ、無灯も好きなのか?」
「嫌いだと言った覚えはないな。第一、お前とそんな話をしたことないだろ?」
「確かに……。けど残念だな。なおさら無灯とは友達になりたかった」
「今からでも遅くないと思うけどな」
「だから、無灯がそういうこと言うのはおかしいだろ。それは僕の台詞だ」
「……どうして俺と撫子が犯人なんだ?」
「君たちは天才だろ? こんな大掛かりな事件は天才にしか出来ない。それにさっきここで起こったことが動かぬ証拠だ」
「どうしてさっきのを見てそうなるんだよ」
「あの赤い髪の女の子はこの前、無灯を襲った三人組の一人だ。有機には襲う理由があっても、助ける理由はない」
君たちは天才。
その言葉はここ数日で騎衛瑠が二人について調べた結果から発せられたものだ。
騎衛瑠が二人を意識したのは始業式の日に起こった裏庭での喧嘩。
疑いの目で見ていれば数分前のアプリの暴走が有機と撫子の仕業に見えたのかもしれない。
それも騎衛瑠のいた場所からでは彼らの行動が全て見えていたわけではないのだから。
有機の想いに呼応するように、ガントレットが一層強い光を放ち、ガチャガチャと音を鳴らす。
天才というだけで目をつけられる。
騎衛瑠がどうこうという訳じゃない。
そういう考え方を押しつける、この世界そのものに有機は苛立ちを覚えていた。
「わかった。そこまで言うなら俺がお前の天才への偏見を正してやるよ、転校生!」
「やれるもんならやってみろ! 天才!」
二人が同時に地面を蹴りだす。
だが……、
「二人とも、いい加減にしなさい……」
有機と騎衛瑠の衝突を遮ったのは双璧の盾。――と美しい女性の声。
気品と気高さを併せ持った黄金色の盾はまさに荘厳の一言に尽きる。
それは、とある女教師の両手から出現していた。
「バカな……ガエボルグの一撃を防ぐなんて……」
「やば……」
二人の視線を集めるのは一人の英語教師。
黒いタイトスーツはまるで闇を纏うようであり、そこからのぞく純白のブラウスとのコントラストはまさに対極的な光と闇。艶のある銀色の髪は妖艶な魅力を秘め、女神を彷彿させる麗しさと生まれ持った高貴さはとどまることを知らない。
黄金の盾の所有者である彼女の名は、白手麗叉。
またの名を『学園の堕天使』という。
「あなた達を隣の席にしたのは喧嘩をさせるためじゃないのよ?」
白手の眉間に青筋が引かれている。有機は直後に理解する。
「これはやばい」と。
対する騎衛瑠は絶対の自信を持っていたガエボルグを防がれたことに困惑していた。
「先生、どうしてここに?」
有機が恐る恐る問いかけた。その額を冷たい汗が流れる。
「職員会議を終えて廊下を歩いていたら、甲高い金属音が聞こえてね。ちょうど窓からあなた達が見えたのよ。一体何が原因で喧嘩したの?」
「それは……」
「先生、邪魔しないでくれるかな。僕は今、無灯に用があるんだ」
騎衛瑠は一度距離をとると、瞬時に有機の背後に回り込み、有機に向かって再度ガエボルグによる突進を試みた。
「よせ! やめろ!」
制止を促す有機の叫びにはこれ以上白手を怒らせるなという意味が多分に込められている。
だが、時すでに遅かった。
「なっ! ……え? うそだろ……」
「紫丈君……、私は聞き分けのない子は嫌いなの。私はあなたにも喧嘩の理由を聞いているのだけど?」
そこには歩道にうつぶせになった騎衛瑠の腕をからめ捕り、その動きを制した白手の姿があった。
あまりにも一瞬の出来事。
騎衛瑠はいまだに状況が飲み込めていない。
有機が入学してからの一年間で学んだことの一つに『白手麗叉に逆らってはいけない』というものがある。それを守らない者にはこの現状が待っているのだ。白手は騎衛瑠を地面から引きずり上げると眼鏡越しに怜悧な目を騎衛瑠に向ける。
「ひっ(ね、姉さんと同じくらい恐い!)」
「無灯君。あなたは私の手を煩わせたりはしないわよね?」
「は、はい!」
騎衛瑠に向けられたのと同じ目を向けられ、有機は思わず直立不動で答えた。
「権藤先生、生徒指導室をお借りしますね」
「ええ、かまいませんよ」
白手が騎衛瑠の首根っこを掴み、引きずる先には権藤教師の姿があった。元々生徒指導は彼の管轄であるため白手についてきたのあろう。白手が最初にすれ違い、その後ろを有機が小走りで追う。遅れでもしてこれ以上白手の逆鱗に触れるわけにはいかない。
すれ違いざま、権藤は有機を視線で追った。
その右手には解除し忘れた白銀のガントレットが存在し続けている。
「無灯有機……」
三人を見送る権藤が何を考えているかなど、今は誰も知る由もなかった。




