天才と価値観
四月一五日。放課後。
「なんなんだ。お前は」
「なんなんだと言われても……」
権藤教諭は職員室に無灯有機を呼び出し、有機の宿題テストの成績が書かれた一枚の用紙をデスクに叩きつける。有機はそれを見せつけられると髪をかきながら苦笑した。
職員室前の廊下には今回の宿題テストの結果が張り出されている。二学年の高得点者の一番上には無灯有機の名前が慎ましく掲載されている。横に記載された一科目二〇〇点の五科目合計九九二点という数字は二位以下を大きく突き放す堂々たるものだ。
だが……。
「お前、やる気あるのか?」
権藤教諭の顔は険しい。仮にも三年生の担当教師が二年生の有機に対してこのように呼び出しを行うのは極めて異例だ。そういった中で権藤に呼び出されるというのは有機がある意味で問題児だということに他ならない。
張り出された宿題テストの順位表の横には『努力成績表』なるものが掲載されている。これは一度目のテストの後、全く同じ試験を行い復習という努力の結果、点数がどれだけ上昇したかを順位にしたものだ。再試験制度と呼ばれるこのシステムは点数の上昇率を見るため、試験一つ一つの問題量が多いのも特徴の一つである。言ってしまえば試験時間一時間のところを問題量は三時間かける物量が用意される。一回目で問五まで出来た者が次の時には問八まで進めれば、それは評価の対象になる。もちろん回答が正しいことが大前提ではあるが。
宿題テストに限らず、高校入試、大学入試を含むほとんどの試験は世界的にこの再試験制度を導入している。入試や定期考査に限らず、こういった努力や根性を図る制度は就職試験にも採用され、とある上場企業は軽装での富士山の登頂を題材にしている。無謀と根性をはき違えた試験に苦渋を飲む者も少なくない。
有機は一回目の宿題テストで九九四点という高得点を出した。必要以上に勉強したわけではなかったが、きちんと宿題をこなしたこととテスト前日に絵依に勉強を教えたのも大きい。教えながら自然と有機の頭にもインプットされたのだ。
そして二回目の復習テストで有機がとった点数は九九二点。有機は点数を上げなければいけない復習テストで点数を下げてしまったのだ。一科目平均のミスは二点にも満たない。しかも細かいことを言えば四科目は二〇〇点満点で古典の分野で解答欄を逆に書いてしまい、四点の配点問題を二つ落としてしまっていた。いわゆるケアレスミスである。最高得点をはじき出していても、この再試験制度では点数が下がるというのは大問題だった。
周りの人間は口々に有機にこう言った。
「少しは加減というものを知らないのか?」と。
一回目のテストで低い点数を取り、二回目のテストで高得点を取る。一回目が低すぎても問題はあるが、平均点程度に抑えれば問題はない。本当に『頭のいい』奴はそうしていると。
そもそも、一回目から普通に解けば三時間かかるテストを一時間で全て解き、九九パーセントの正解率で終わらせてしまえば、周囲から化物と思われても仕方がないだろう。
――ドレイクの変革は価値観の変化。
例えば、殺人犯が悪だという一般的解釈と同様に天才も悪意の対象になってしまった。
もちろん、法を犯しているわけではないし、捕まることもない。だが、同様の嫌悪感は持たれてしまう。
ただ、裏を返せば、周囲に自分が天才だと気づかれなければ、そういった嫌悪感を向けられることは無い。
つまり、天才であることを偽ればいいのだ。
しかし、有機はそれをしなかった。
――否、すでにしていた。
有機は聖央学園高等部の入試で周りのいう『頭のいい』ことをした。有機にとってそれは自分に嘘をつくことでもあり、れっきとしたズルだった。自分の実力を偽って一次試験で合格ラインギリギリの点数をとり、二次試験で過去最高得点を叩きだした。その点数の上昇率は努力の結果だと、今生のなせる技だと、もちろんこう評価を受け、見事に聖央学園へ入学を果たした。
有機はどうしても聖央学園に入りたかった。
そこには家族以外で初めて自分を認めてくれた人がいたから。
でも、認めてくれた人は有機のこの行動をどう思うだろうか……。
有機の葛藤は続き、そして、ある誓いを立てた。
――もう自分を偽らない。天才としてこの世界を生きていく――
「やる気はありますけどね。まあ、下がっちゃったもんはしょうがないと思いません?」
へへへ、と引きつった笑いを浮かべて権藤教諭に頭を下げた。権藤の教える古典の問題を間違えたのも失敗だったなと思いつつも、別にわざと間違えたわけではないのだから仕方がない。
「はぁ……。お前は不器用だな……。わざと周りから嫌われるようなことをして、そんな生き方で楽しいか?」
権藤も一握りの天才たちが隠れてズルをしていることは知っている。また、そういう人間がいるのは仕方がないことでもあると思っていた。
誰だって天才という嫌われ者にはなりたくないのだから。
正統な評価もされず疎まれるとあって、天才たちが表舞台に立つことは減り、その才能を隠す者も多い。あくまで天才と疑われない程度にしか実力を出さないためにせっかくの才能も腐らせていく。逆に才能を発揮すればその他大勢の人間に好き勝手に使われてしまうのが彼らの現状だ。
「すいません。でも、他の誰に嫌われようと一人だけ嫌われたくない奴がいるんです。あいつと今まで通り接するためには、俺はこの生き方をするしかないんです」
「……とにかく、今回、点数が下がった罰として桜並木の清掃を言い渡す。せいぜいがんばれ。根性を見せることだな」
「はい。わかりました」
有機はもう一度頭を下げると、椅子から立ち上がった権藤に見送られて職員室を後にした。
◇◆◇◆◇
「白手せんせーい、紫丈君の親御さんからお電話ですよー」
白手が権藤の前に立つ有機を見守っていると、彼女よりも若いジャージ姿の女教師が受話器を振り回していた。歳が近いこともあって二人の仲はきわめて良好である。
「あ、はい。ありがとうございます」
机に置かれた固定電話の受話器を取る。
「もしもし、お電話かわりました」
「お久し振り」
聞こえてきたのは滑舌の良い綺麗な日本語を使う若い女の声。
通信省大臣紫丈瑠華。
白手は左手を受話器に添え、自然と小声になる。
「学校に直接電話をかけてくるなんてどういう神経してるのよ」
「別に構わないじゃない。私は学園に通う生徒の姉よ。何の問題もないわ」
「学園が政府関係者に厳しいのは知っているでしょ? まさか自分の仕事が何かわかってないわけじゃないでしょうね」
「わかっているわよ。だからあなたに転入手続きを手伝ってもらったんじゃない。で、そんなことより騎衛瑠はどんな感じ? 迷惑はかけていないかしら?」
「そんなことよりって……。そうね、最初に始業式をすっぽかしたくらいであとは特に問題ないわ。クラスでも人気者みたいだし。放課後はまあ……こそこそやってるみたいね。さっき桜並木の方へ向ってるのを見たわ」
「始業式? 初耳ね……やはり第三者の意見は大事だわ」
「まさか、そんなことで電話をかけてきたの?」
「…………」
「ほんとにブラコンね。昔から変わらないわ。あのチビッ子がもう高校生なんて驚きだけど」
「う、うるさいわね! 姉が弟の心配したって別に良いじゃない!」
「ところで、本当にこの学園に何かあるっていうの? 私も見回っているけど、怪しいところなんてどこにもないわよ?」
白手は騎衛瑠の入学手続きを手伝った経緯から簡単に事情を聞いていた。だが、犯人がどこに潜んでいるとも限らない状態であるし、無論、白手は外部の人間であるため瑠華としては白手に詳しい情報を与えるわけにはいかず、曖昧な説明になっていた。
「聖央学園以外は全て調査済みなのよ。聖央学園は敷地も広いし、あなた一人で調べるなんて無理よ。それにあまり余計なことはしないで。騎衛瑠を入学させてくれただけで感謝しているの。この件に首をつっこむとあなたも危険な目にあうかもしれない」
「あら、心配してくれるの? 嬉しいわ」
「そういうことを言っているんじゃ――」
「あ、職員会議が始まりそうだから切るわね。それじゃ」
白手は受話器を置くと書類を片手に小走りで会議室へ向かう。




