生徒会長の朝
生徒会長、黄崎徹の朝は早い。
寮生活をしている黄崎の朝は虹色の髪をセットすることから始まる。
次にするのは給仕の女性たちと共に大勢の朝食の用意をすること。自分の昼食用の弁当もついでに作り、その後は寮の仲間とは食事をせずに一足先に学園へ向かう。
学園ではまず、校内を簡単に見回り、生徒会室で雑務をこなす。それが彼の朝の日課だ。
生徒自治を掲げる聖央学園では生徒会はお飾りではなく相応の仕事が存在する。特に四月は新学期の始まりということもあって仕事は山のようにある。現在、彼らを悩ませているのは各部活への予算配分だ。
魔法の発展と共にそれを取り入れたいくつかの部が誕生し、特に格闘系の部活が隆盛を極めている。
大小合計三〇の部活の予算配分は毎年最初の課題だ。
「おはよう黒輪君。今日は早いんだね」
「あ、会長。おはようございます。朝の見回りお疲れ様です」
黄崎が七時半に生徒会室へやってくると、すでに絵依が自分の席で書類を書いていた。
生徒会室には席が五つ。手前に四つのオフィス用のデスクが向かい合うように並べられ、その奥の窓際に会長席が堂々と構えている。いわゆる誰もが想像するテンプレート的な生徒会室である。部屋の脇の事務用の棚には会報や書類が揃い、天井近くの高い位置には地域貢献の証である賞状や感謝状がズラリと並べられている。
普段この時間に黄崎以外のメンバーが生徒会室にいることは少ない。それでも朝に関して言えば絵依の出席率は高い方だ。放課後を部活に費やしている絵依は溜まった仕事をまとめて朝に片づける傾向がある。黄崎は絵依の後ろに回り込むと書類の中身を確認して声をかけた。絵依が振り向き、黄崎に書類を渡す。
「部活予算の書類か」
「どうでしょうか……西条先輩が作成したものをちょっとだけ手直ししただけなのですが」
「うん、魔法系の部活は全体的に縮小傾向だね。彼らの批判を買いかねないけど、概ね良いと思うよ。文芸部に対する贔屓もないみたいだしね。むしろ厳しいくらいの金額だ。東宝院さんはこの金額で納得するの?」
「しないと思いますけど、梓さんはあれば使っちゃう人なので……。西条先輩はもう少し多めにしてくれてたんですが、私が減らしておきました」
俯く絵依の気苦労を察し、黄崎は同情するように絵依の肩をポンと叩いた。そうしてから書類を絵依の机に戻し、会長席へと歩を進める。席に着くと思い出したかのように黄崎が口を開いた。
「そういえば、宿題テストはどうだった? 頑張ったんだろ? 権藤先生から聞いたよ」
「え? あ、はい……。最終成績は三番でした」
「三番かぁ! 凄いじゃないか! 僕はあの手のテストがどうも苦手でね。尊敬するよ。生徒会の副会長として恥ずかしくない成績だね」
「ありがとうございます」
黄崎は絵依を称賛すると同時に成績の良くない自分と彼女を心の中で比べてしまう。会長である自分の不甲斐なさから、その言葉と表情には気恥ずかしさのような苦い笑みが含まれていた。
椅子を回転させ、二階にある生徒会室の窓から外を眺めると大会の近い陸上部が朝練を始める準備をしていた。
「君は部活をやめるつもりはないの?」
「え?」
黄崎の問いに絵依は思わず聞き返した。
「メンバーで部活と両立させているのは君だけだ。他の学校なら可能かもしれないが、ウチはこの通り仕事も多い」
「……会長は私に部活をやめろとおっしゃっているのですか? 私はみんなに迷惑をかけているのでしょうか……」
絵依は机から向き直ると黄崎の正面に立ち、真っすぐな目で見つめる。黄崎もそれを感じて窓から向きを正面へ戻す。二人の視線が交錯する。
「誤解しないでくれ。別に部活をやめることを強制しているわけじゃないんだ。だけど、こうして朝早くに来て仕事をし、授業の後には部活へ行く。行事の際は生徒会の仕事も増えるし副会長としてやるべきことも多いだろう。僕はただ、君が心配なだけだよ。いつかパンクして倒れてしまうんじゃないかってね」
「それなら御心配にはおよびません! 根性で乗り切りますから!」
「そうか……。いらぬ心配だったか」
「はい! それだけが取り柄のようなものですから!」
絵依は笑顔で両手を胸元でぐっと握った。窓から差し込む朝日が絵依の黄金色の髪にあたり、その眩しさから黄崎は目を細めた。
「じゃあ、私は教室に戻って授業の予習をしますので会長はごゆっくり」
「ここでやっていけばいいじゃないか」
「それだと会長のお仕事の邪魔になりますから。――会長も私や他の人の心配ばかりしないで自分のこと、もっと大事にしてくださいね」
言うと絵依はそそくさと自分の荷物をまとめて小走りで教室へと向かった。副会長が走ってどうする。と今度注意しなければならないなと考えながら、黄崎は絵依の最後の言葉を心の中で反芻した。
――他の人の心配ばかりしないで
「しかたがないさ。そういう性分なんだ……」
黄崎は自ら放った独り言に呆れるようにため息をつき、机の引出しを開ける。
そこには『魔法の暴走による事故について』と表題のついたレポート。
黄崎は一瞬の間、逡巡したのちレポートの下から校内の美化運動についての資料を取り出すと作業するために机に置いた。
◇◆◇◆◇
無灯有機は悩んでいた。
「うーん……、どっちにすべきか……」
朝食が並べられるはずの食卓には五枚の青いバンダナが並べられている。どれも同じように見えるが、有機は右手を顎にあてて真剣な眼差しを送っていた。
「また事故のニュース。最近多いわね……。って、あんた、またやってるの?」
リビングのテレビには事故現場から詳細を語るアナウンサーが映っている。時折、黒いトラックが通ってはノイズが走り、「トラックのラジオの音でも拾ったんじゃないか?」などと生放送裏でスタッフたちがトラブルと格闘している声が漏れ聞こえていた。
優理はその垂れ流し状態のニュースを聞きながらキッチンからバナナを持ってやってくる。彼女の今の流行りはバナナなのである。以前はコーンフレークが彼女の中でブームとなり、約一年朝食にコーンフレークが置かれた。
「またってなんだよ。だったら母さんが選んでくれよ」
「私から見て手前から二枚目」
優理は自分の服選びには恐ろしいほどの時間とこだわりをかけるが、どうでもいいことへの決断はとにかく速い。
「やけに即答じゃん。根拠は?」
「ないわよそんなもの。どれも一緒でしょ」
言いながら優理はグラスに牛乳を注いでいく。
「一緒じゃねえ! 俺の唯一のオリジナリティなんだからもっと真剣にやってくれ!」
「じゃあ、女の勘よ。――バンダナがオリジナリティって、どうなのよ……」
「女の勘……か」
取ってつけたような優理の根拠に有機は納得したのか、小声で「わかった」と了承の意を表すると優理の指示したバンダナを頭に巻く。跳ねあがっていた有機の黒々とした髪が落ち着き、まとめられていく。
有機は鞄と紺のブレザーを掴むと玄関へと向かうが、そこを不意に優理に呼び止められる。
その内容は有機を震撼させるほどのものだった。
「そういえば、あんたのクラスに可愛い感じの転校生が入ったでしょ? もう少し優しくしてあげなさいよ。せっかく隣の席になったんだから。あんた友達いないんだし」
「! どうしてそんなこと知ってんだよ……。転校生の話なんて一度もしてないだろ。てか友達いないは余計だろ!」
「ふふっ! 町内会の情報網を甘くみないことね!」
実年齢に似つかわしくない愛らしい笑顔を浮かべながら、元モデルの母親は息子に手を振って見送る。
そして、もう一つ大事な伝言があることを思い出した。
「あ、そういえばお父さんが帰ってくること言うの忘れちゃったわ……。まぁ、いっか!」




