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ジーニアス ―白銀のガントレット―  作者: 出金伝票
第2章 学園に忍び寄る影
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朝練

「はっ……はっ……はっ……はっ……」


 早朝の井の頭公園。

白い上下のジャージに身を包んだ一人の少年が日課のランニングに勤しんでいる。少し肌寒いくらいの気温だが、走りっぱなしの青木にはさほど影響はなく、むしろ走りやすいくらいだった。


 青木海人は焦っていた。春季大会が迫る中、思うようにタイムの伸びない彼はいわゆるスランプに陥っていたのだ。部内では上級生を含めて青木よりも速い人間はいない。しかも青木が気丈に振る舞い、周りに悟られないように努めていたこともあって彼の不調に気付いた者はいなかった。

 平日は学校で朝錬もあるというのにランニングの周回数を昨日から増やしていた。とにかく今はがむしゃらに走るしかない。焦りや憤りを振り払う為に青木は走り続けるしかなかった。


 朝の公園には色々な人がいる。

 これから家路に着く者。

 ベンチで眠りにつく者。

 通勤に向かう者。

 酔っぱらっている者。

 犬の散歩をしている者。

 青木と同じように朝のジョギングをしている者。


 そして、――武芸に勤しむ者。


 井の頭公園駅は公園の端に位置しているが、その端の部分は大きな広場になっていて、何処にも名前の由来になるような三角な部分はないのになぜか通称「三角広場」と呼ばれている。休日は子供連れの家族などで賑わう原っぱである。

 青木はそこで武芸の特訓をしている二人組を最近よく見かけた。細かく言えば二日前のことだ。

 今日で三日目。

 彼らの稽古は今日の朝も続けられていた。遠くからではよく見えないが、白い巻髪の男はその顔立ちから日本人でないことがわかる。青木は世界史等の知識に疎かったが、きっとヨーロッパのどこかの人かな、くらいに思っていた。

 白い髪の男は細見ではあるものの、しなやかな筋肉の鎧を纏っていることがアスリートの青木にはよくわかる。この男は見かけるたびに違う武器を持っていたのが印象的だった。

 その西洋人と向かい合うもう一人の男。こちらは自分と歳の変わらない学生だなと青木は見当をつけていた。髪留めの代わりに青いバンダナを使って量の多い黒髪をまとめているその横顔はどこか見覚えのあるものに似ている。


「まさかね……」


 ただ、すぐに他人の空似だと考え直す。

 あの男は天才だ。こんな早朝から武芸の稽古などするわけがない、と。


◇◆◇◆◇


「イヤー、ユウキはよく頑張るネー。これで槍への対処もあらかた片付いタネ」

「はぁ……はぁ……」


 有機は原っぱに横たわったまま息を整える。なぜ、有機が早朝の公園にいるのか。

 それは三日前に遡る。




 ――四月一二日。

 四日間に及ぶ宿題テストが終わり文芸部の部室に呼び出された有機を待っていたのは、ささやかな誕生パーティーだった。武者小路は相変わらずうるさいから静かにしろと小言をいい、梓はいつものように明るく、うるさく、絵依は少し気恥ずかしそうにしていた。

 そこに広がるのはいつもの部活の風景。

 最終下校時刻ギリギリまで盛り上がると有機は普段通り帰路に着く。


 家で優理と夕食を囲むと、食後の運動に有機は外へ出た。ひたすらに見慣れた街並みを歩いていると、気がつけば有機は井の頭公園まで来ていた。


「久しぶりだな、いつ振りだろう」


 と思いつつ足を踏み出す。すると、原っぱ既にに一人の男が寝転がっていた。もちろん有機に声をかける意思はなかった。常闇の支配する公園で街灯の灯りはひどく弱々しい。常識のある少年なら真夜中に原っぱで寝そべっている不審者に声などかけるはずもない。

 ただ、有機はその男が異国の人間であることに驚いて独り言のように呟いたしまった。


「フランス人? なんでこんなところに?」

「わぉ! ワタシを見て一目でフランス人とわかる君は何者デスカ?」

「うわっ!」


 白い巻き髪のフランス人がいきなり上体を起こして話し出したので有機は慌てて後ろに退いて尻もちをついた。二人の視線が同じ高さになる。原っぱに寝そべっていた所為でフランス人の身を包む白いスーツはあちこちが汚れていた。それに対して有機はティーシャツに黒いパーカーを羽織り、下は白のジャージというほとんど寝巻のような格好である。


「アナタはこの辺りに住んでいる人デスカ?」

「そうだけど……」


 気品ある声によって紡がれる流暢な日本語。有機は自然と男の言葉に返事をしていた。あきらかに場違いなフランス人の男は見るからに人が良さそうで、怪しさというものが感じられない。そこが逆に怪しいと言えばそうなのだが、そのときの有機はそこまで考えられず、直感的にこの男を受け入れていた。


「この辺りに強い人イマスカ?」

「は?」

「むしろアナタ強いデスカ?」

「何の話だ?」

「ちょっと手合せしてもらえマスカ?」

「だから何の話だよ!」


 会話にならない会話を始めた白人の男は、おもむろに立ち上がると胸ポケットからスライド式の携帯電話を取り出す。流暢なフランス語による電子音声に続き、画面が赤く発光するとそこから炎の大剣が出現した。それを片手で軽く振り、その感覚を確かめると有機へ視線を向けた。


「いや、え? 何これ……」

 

 有機から見ても明らかに好戦的な眼差し。


「ちょ、いきなりなんなんだよ!」

「安心してくだサイ。あなたの力が見たいだけデス。殺しはしませんカラ」


 異国の男が剣を構えて有機へと迫る。

 それが三日前の出来事。




「どうしたのデスカ?」

「いや、シャルと出会った時のことを思い出してたんだ」

「そんな昔話のように言わないでくだサイ。まだ三日前のことじゃないデスカ」


 シャルと呼ばれた白人の男はやれやれと横たわる有機を見下ろす。


「けど、あれは実際驚いたよ。いきなり切りかかってくるんだから」

「すみまセン。正直、日本へ来たばかりで日本人との接し方がよくわからなかったのデス」

「何処の国でもあの接し方はなしだと思うけど……」

「日本人は内向的だと聞いたので、自分からガンガン行った方が良いと思ったのデス。結果的にユウキとは仲良くなれたから良しとしマス」


 突然切りかかったことに対する罪悪感など微塵も感じさせない柔和な笑みをたたえると、シャルはその手に持っていた槍を携帯電話へ戻した。


「なんか、結局、俺がシャルに修行をつけてもらうような感じになっちゃったな」

「いえいえ、ユウキは充分に強かったデス。いずれあなたの力を借りることがあるかもしれまセン。そのときに力を貸してくれれば、今回の特訓はワタシにとっても価値のあるものになりマス」

「そっか。ならいいんだけど」

「……ユウキはワタシが何者か、気にならないのデスカ?」

「ん? ああ、そりゃあ武器系のアプリ持ちすぎだし、しかもどれでも使いこなすあたりが、ただの武器マニアじゃないとは思うけど、聞いたら教えてくれるのか?」

「んー、言えまセン。ハハ……」

「なら、答えの出ないことを考えていてもしょうがないだろ」

「そうデスネ……でも、ユウキがこんなに努力家だとは思いませんデシタ。ちゃんと修行風景でも録画しておけば通信省へポイントの申請も出来たのに……よかったのデスカ?」

「俺が三日間やったことは努力でも何でもないよ」


 有機は寂しそうに顔を俯かせる。シャルは意味が分からずただ首をかしげた。


「シャルは『天才とは応用力である』って言葉は知ってる?」

「えっと、たしか二一世紀、最初の天才と呼ばれるドレイク・ドラゴンの言葉でしタッケ?」

「そう。努力っていうのは反復練習による積み重ねを言うんだ。俺がやったのは個々の武器への対処法を学んだだけ。何度も練習して身につけたものじゃない。だからこれは努力じゃないんだ。基本を理解し、応用する俺のような人間は努力なんてものをしないのさ。仮に録画して物を持って行ったところで正当な評価が受けられるとも限らないしね」

「んー、難しい日本語はよくわからないデス」

「そっか……ならしょうがないな。それに実際、俺のことは通信省には知られてしまっているし、ポイントの付与は難しいよ」


 一五年前に変革を遂げた世界。

 魔法を生み出すと同時に世界はドレイクによる洗脳を受けた。


 ドレイク以外の天才を認めない世界。

 有名な美術館からは多くの作品が取り外され、残されたのはその逸話から努力というものが認められたもののみ。

 天才だと思われてしまえば最後、正当な評価を受けることの難しい世界。


 有機はこの世界で今年、一七度目の誕生日を迎えた。


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