待ち伏せ
「おまちかねよン! 無灯有機ン!」
「……………………」
高等部校舎裏。または文化部部室棟前。
二つの建物に挟まれたそこは裏庭として利用されている。色彩豊かな草花が生い茂り、いくつものベンチが設置されているため、昼時は学生たちが集う人気スポットだ。先ほどの粘着質な男もそれに困っていた少女の姿も今はもうない。
裏庭にいるのは有機を含めて四人だけ。
とある三人組は校舎と部室棟を繋ぐ渡り廊下の真下に影のように身を潜めていた。彼らは教室で鞄を回収した有機が現れると、そこから飛び出し、現在に至る。
「フン! 黙っていないで何とか言ったらどうなんだ?」
「きっと、声にもならないほど怯えているぶぅ。ぷぷっ!」
赤髪の少女、中森の両脇に控える優等生風な長身痩躯の眼鏡男子、大森と小柄な肥満児、小森が後に続いた。
「(待て待て待て待て! 目の前の女、リボンの色が深緑ってことは今年の一年生か? 同級生や先輩に絡まれるならまだしも後輩にまで喧嘩を売られるなんて……。いや、でも! まだ理由を聞いてない。待ち伏せていたのはもしかしたら俺のファンとか、もしかしたら……)」
あからさまに敵意をむき出しにした三人を前に有機は思考の海に溺れた。有機は考えれば考えるほど自分が絡まれたんだという事実を受け入れることになる。今までも天才であるがゆえに誹謗中傷を浴びたりいじめの渦中にいたケースは数えきれない。だが、愛の告白をされたり賞賛の渦中にいたことは一度もなかった。よくて友達。それも複数いる友人の一人に数えられる程度。それが有機の宿命だった。
「なんか、すでに戦意喪失してるン?」
「……俺に何の用? 後輩さん」
「あんたをボッコボコにしに来たのよン!」
少女は有機を指さし、満面の笑みで答えた。有機はがっくりと肩を落とす。
「俺、君達に絡まれるようなこと、したかな?」
「そうねぇン、いちおう私たちの先輩があんたに去年やられてんのよねン。今回はその仇討ちってとこねン」
「フン! だが、仇討ちなど本当はどうでもいいんだ。だって貴様は天才だろ?」
「天才は悪ぶぅ。ぷぷぷっ!」
――天才は悪。
その言葉はいまだに有機を傷つける。いつまでも慣れることなどできない。それでも有機は無理やり納得する。今回は自分が過去に三人組の先輩を叩きのめしたからだと。それが、いわれなき暴力に対する正当防衛だったとしても。
復讐されるのは――。
「今回はまあ、仕方ないか……」
彼らの先輩、チーム『山』が有機に絡んだ理由は単なる天才に対する憂さ晴らしだったのだが、それを言ってしまったら結局理不尽さに押し潰されてしまう。だから有機はそのことは考えないようにした。
「じゃあ、始めましょうかン!」
中森の顔が愉悦に歪み、三人組の狂気が有機に牙を剥く。
「行くわよン! 0003『炎の爪』」
「フン! 0007『水の刀』」
「0002『雷の脚』ぶぅ」
三者三様の魔法の起動。
中森はその両手の指先に切っ先鋭い炎を宿し、大森は空気中から木刀に似た水の刀を作りだした。肥満児の小森は両脚の膝から下、学園指定の灰色のズボンを黄金に輝かせ、足の周囲を取り巻く青白い静電気が時折バチッと音を立てている。
それに対し有機も鞄を置き、携帯電話を構える。
「音声認証モードか……戦い慣れているみたいだな」
魔法の起動には手入力と音声入力の二通りがある。音声認証は両手が自由に使えるとあって極めて実戦向きだ。しかし、誤作動を防ぐために正確な発音が必要で、ある程度の練習は必要である。
先手は赤髪の少女。
素早く有機に身を寄せると、十連の爪が紅蓮の一撃となって有機の胸を狙う。
有機は上体を逸らしてそれをヒラリとかわす。
「ちっ!」
中森が勢いあまって地面に手をつく。
しかし、相手は三人。
続く第二撃。大森が振りかぶり、水の凶刃が迫る。
だが――、
その瞬間、有機はすでに魔法を起動していた。
【通信番号0412 魔法『閃光の右腕』を起動します】
「フン! な、なんだ?」
少女の電子音声とともに有機の携帯の液晶が白く発光する。
そのあまりの眩しさに大森の動きが止まった。
白く輝く光の粒子は大気を埋め尽くすパテーマ粒子。
有機の周囲を包むその純白の燐光はやがて右腕に収束し、その形を確かなものへと変質させる。
それは――白銀のガントレット。
右腕の指先から肘までを覆い尽くす光沢の眩しい銀色の甲冑。この世の構成材質が放つとは思えないほどの光を宿し、極め細やかな装飾と相まって神話の中にのみ存在する伝説の武具を想起させる。
「俺が使えるのは右腕だけ。それ以上はポイントが足りない。でも、君達の相手はこの右腕で充分だ」
有機は右手を開閉させ、その感触を確かめる。魔法の起動に問題はない。
「フーン! 減らず口を!」
有機の魔法の美しさに目を奪われていた大森だが、鼻息荒く振りかぶったままの水刀を全力で振り下ろす。直後、鈍い金属音が校舎に響いた。
それは有機の右腕。魔法のガントレットが大森の水刀を受け止めた衝撃音。
大森の動きは止まった。だが、有機の動きはそこで終わらない。
「――ぶほぁっ!」
刹那、大森は自分の鼻の通りを気にする間もなく遥か後方へ殴り飛ばされる。
大森の水刀を振り払い、頬に渾身の右の鉄拳。
それをたった一瞬。光の速さで行使する力。
それが有機の魔法トゥウィンクル・ライト、『閃光』の威力だった。
「な、何が起きたのよン!」
中森が叫ぶ。目の前で起きたことなのにまるで理解が追いついていない。
「光の速さの前には全てが無力。例え右腕だけだとしても、君達じゃ俺に敵わない」
「じゃあ、僕が相手だぶぅ」
肥満児の小森がその体型からは想像もつかない速度で有機に迫った。
「!」
辛うじて小森の右蹴りをガントレットで防御するが、小森は軽い身のこなしで体を捻り、地についていたはずの左足で有機の後頭部を狙う。その速度は恐ろしく速い。
「(ローリングソバット……だと?)」
そう思考した直後、有機は後頭部に痺れるような痛みを感じながら花壇に埋もれていた。
――見誤った。
有機は花のクッションに身を委ねながら自分の浅はかさを嘆いた。
有機の母親の教えは「人を見かけで判断するな。お父さんのような人もいるのよ」である。
小さいころから耳がタコになるほど聞かされた。ただのノロケかと呆れていたが、こうして実感することになると素直に反省せざるをえない。まさか、三人の中で一番の使い手が肥満児だとは思っていなかった。
「おしまいぶぅ? 天才って根性ないぶぅ」
勝ち誇った顔をした小太りの少年は腕を組み、有機を見下ろす。
「根性? はっ! こんなことで根性を評価されるなら俺は何度だって立ち上がるさ」
有機は自虐の言葉を吐きながら花壇に埋もれていた体を起こす。小森はそれを黙って見ていた。まるで何度立ち上がろうと無意味だと言わんばかりに。
だが、小森は後悔しなければならなかった。
有機に一撃を当てたことに慢心せず、
逆に有機が相手の力を見誤った隙を突いて畳みかけるべきだった。
なぜなら、
――天才は同じ過ちを繰り返さないのだから。
「起き上がっても無駄ぶぅ。もう一度、花にその身を埋めるぶぅ!」
小森の高速移動。それは彼の魔法サンダーキックの効果の一端。
攻撃的性質の魔法であってもその力は稲妻。有機と同じ光の一種である。
速度は互角。しかし、小森の稲妻の蹴りは有機には当たらない。
「な、なんで、ぶぅ!」
超至近距離での交錯。
有機は最小限の動きで小森の蹴りをかわす。小森の蹴りは僅かに有機の肩をかすめブレザーが破れたが、それだけだった。宙に浮いた小森の無防備な腹に有機の銀甲冑の腕が光の速さで打ち降ろされる。
「ぶひっ!」
小さな悲鳴。重量感のある低音に大地が揺れ、小森は花壇から続くレンガ調の地面に横たえた。
「さて、と」
「ヒッン!」
三人組のリーダーである中森は酷く怯えた眼差しで有機を見つめていた。その眼を見てしまうとこれ以上どうしようかという気に有機はなれなかった。売られたケンカを買ったところまでは正当防衛だとしても、怯える相手に手を出すのは弱い者いじめと同じだ。その辛さは自分がよく知っている。
「もう、俺には関わらないと誓ってくれ。それが君たちのためでもある。天才なんてのは天災と同じ。近寄らないに越したことはないんだから……」
腰を抜かし、コクコク頷く中森に最後は微笑みかけ、それでも最後は自分の言った言葉に少し切なさを覚えつつ、有機は再び帰路についた。
「天災か……こんなギャグ笑えないな」




