文芸部、部室②――文芸部員と騎衛瑠
有機は文芸部部室の扉の前で踏みとどまった。
彼の心の中では、いまだに葛藤が続いている。
「いまさら遅いと思うよ?」
そんな有機の心の中を見透かすように右隣の騎衛瑠が駄目押しの一言を放つ。
中から漏れ聞こえるのは東宝院梓の快活な笑い声。
そもそも、騎衛瑠にばれたくなかったのは青いバンダナを巻いた自分のような容姿の人間が、文芸部員だというギャップが恥ずかしくてたまらなかったからだ。すでに文芸部という文字が刻まれた扉の前でだだをこねても手遅れなのは有機もわかっている。
「ちっ、こうなったらやけくそだな」
「いいね! そうこなくちゃ!」
木製の扉が白壁にぶつかる打撃音とともに有機の視界は室内へと行き渡り、部室には三人の少女がいた。
「おお! おお! 今日は随分と威勢が良いじゃないか! 元気で結構! あっはっはっは!」
「そないに勢いよう開けて、誰かが扉の前にいたらどうするつもりや? いっぺん死ね」
「……遅いわよ。バカ……」
梓は窓から向きを変え軽やかに、武者小路は一瞬有機へ振り向けた視線を本に戻してあくまで冷やかに、そして、絵依は素直になれない恋する乙女のように言葉を発した。
「(三人もいる……でも、一人少なくて良かった……かな)」
と、おもわず溜息が漏れる。
全員揃わなかったことに安堵していると、有機の背後にスッポリ収まっていた騎衛瑠がひょっこり前へ飛び出した。
「? アンタ誰だい?」
梓が首をかしげる。その言葉に武者小路が反応し、顔を上げた。
「転校生の……紫丈……君?」
続いたのは絵依だった。朝の一度きりの自己紹介では名前を間違えてしまうかもしれないと思ったのか、確認するように言葉を発している。
「はい! ただいまご紹介にあずかりました紫丈騎衛瑠です。好きなものは激辛せんべいです」
それを聞いた梓の顔が楽しげに緩む。さほど緊迫した状況ではなかったが、それでも梓が笑うことで確実に室内の空気に変化があった。
「ほお! 転校生か! で、有機はこの文芸部に案内してやったということか。新入部員の勧誘とは、お前にしては感心な心がけだな!」
「いや、こいつが勝手についてきただ――」
「そーうなんですよー! 無灯『君』がどうしても皆さんを紹介したいってきかなくて」
「こいつ!」
「そうかそうか! アタイは三年の東宝院梓。この文化芸術部、略して文芸部の部長だ!」
「勝手に名前を変えへんでもらえますか?」
「そしてこのエセ関西弁が武者小路撫子。二年生だ」
「勝手に紹介するのもやめてください。それにエセも余計や」
そして騎衛瑠の視線は絵依の方へと移っていく。
「私は黒輪絵依。さっき自己紹介したけど、あなたと同じクラスよ。よろしくね」
「ほお? 同じクラスか! どうして絵依が連れてこなかったんだい?」
「それは……有機と一緒にクラスの女子に囲まれていたから……」
「俺は巻き添えを食らっただけだ!」
「なるほど……それで『あんなこと言っちゃうんだろ』か。納得した!」
梓は左手を顎に当てうんうんと唸る。
「あの……一体何に納得したんです?」と有機。
「ということは三人とも同じクラスということだな! うむ、実に愉快だ!」
「俺の質問はスルーですか! さっきからまるで会話に入れてないんだが」
「アホらし……あんさんたちみんな読書の邪魔や」
「そう言うなよ、撫子。友達の少ない有機がせっかく友人を連れてきたんだ。赤飯くらい炊いてやらなきゃだろ! あっはっはっは!」
「梓部長は完全に俺のことを馬鹿にしてますよね」
「そんなことはないぞ? アタイは心底お前に惚れている」
一瞬、風の流れが止まった、様な気がした。
「梓部長……またそれですか……」
「またとはなんだ! これでもアタイは三年の中じゃ人気のあるほうなんだぞ? 見ろ! このボンッキュッボンッの見事なスタイル! 濃紺の髪と白い肌の美しいコントラスト! 顔もどちらかと言えば美人! ほら! 今にも胸の圧力に負けてワイシャツがはち切れそうじゃないか!」
梓は胸を必要以上に張り、したり顔だ。紺のブレザーはパイプ椅子に掛けられているためワイシャツに三年生を表すワインレッドのリボンのみ。暑くもないのに肘まで袖をまくっている。他の二人はブレザーを着たままなので、細かいプロポーションは判断しかねるな。と、騎衛瑠の視線から有機は少年の心の内を冷静に分析してみる。
「自分の容姿を実況解説しないで下さいよ……目の前にいるんだからわかります」
「そうか? まあいい。この話はまた今度にしようじゃないか。ほら紫丈君も座りなさい。有機、椅子を。絵依は冷蔵庫からお茶を持ってきなさい」
二人は指示されたまま体を動かすと、騎衛瑠に冷たいペットボトルのお茶とパイプ椅子が用意され、部室にいる五人はようやく全員腰を落ち着けた。
「あっ! そういえばお茶にピッタリのお菓子を持ってますよ!」
「ほう! 紫丈君は気が利くじゃないか!」
騎衛瑠が学園指定のグレーの学生鞄から取り出したのは、『過激で苛烈で刺激的! 魂を燃やせ! バーニングせんべい 草加風』というものだった。
見るからに刺激物の体に悪そうな色をしている。騎衛瑠は袋から一枚取り出し、安全性を保障するように自ら一枚口にした。
「部長さんもお一ついかがです?」
「ふむ、アタイも辛いものは嫌いじゃない。それに中々愉快な名前だ。一枚いただこうじゃないか!」
――部室にしばしの静寂が訪れた。
もともと口数が多いのは梓であり、彼女が喋らなくなると部室も自然と静かになるのは必然だった。
どす赤いという言葉はないが、決して健康的ではない赤黒いせんべいを口にした梓は無言のまま立ち上がり冷蔵庫を開いた。だが、お茶は騎衛瑠の物が最後だったらしく、何もない冷蔵庫の中を虚ろな瞳で眺めたのち、席に戻って俯いたまま動かなくなった。
この人は負けず嫌いだからな……本当は悶えるほどの辛さに耐えているんだろう。有機は自分へ向けられた濃紺の髪の頭頂部を眺めながらそんなことを考える。
「私、ちょっと下でお茶買ってきますね」
有機と同じことを考えていた絵依が自販機に向かう為に席を立つ。
「え……い……」
かろうじて認識できるようなかすれた呻き声。まるで生けるゾンビである。
「なんですか? 梓さん」
「とびきり冷たいのを……頼む……」




