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   4話 竜の呪(前編)


 意識がぼんやりと覚醒を始めた瞬間から、呼吸が乱れないように気をつける。

 それから自分の姿勢が仰向けになっている事に気づき、背中の柔らかい感触、肩の辺りから足先までを覆う布を認識する。


 目を閉じたまま、視覚以外の情報を探る。

 風はない。おそらく屋内。そして知らない誰かが呼吸する気配。


 全身に意識を向けると、恐ろしいほどの疲労。気を抜けば簡単に眠りに入れそうだった。

 ほんの少しだけ指先を動かすと、それだけで痛みが走る。足の先も同様だった。


「ああ、なんだ起きていましたか。目を開けませんか?」


 丁寧な女性の声だった。

 寝たふりを諦めて、ジャックが目を開く。


 木製の天井。宿屋らしき部屋。窓の先には昼ごろの明るさ。

 そして、見た覚えのない女性が椅子に座っていた。


 赤橙色の髪に、同色の鋭い瞳。居住まいには隙がなく、一流の前衛ということが見ただけで分かる。


「へえ、一端いっぱしの目つきですね」


 女性が笑みを向けた。

 見下すような微笑みだった。


「どうも、キヨナ・リウェン」


 ジャックの言葉に女性の、キヨナの目が少しだけ大きく開く。


「会ったことはないはずですよね。どこかで見かけられました?」

「それ、軌跡閃くアイペロスだろ」


 キヨナの腰元にある剣に目をやってジャックが言った。

 名匠アイペロスの鍛えた、大陸有数の剣の銘だった。


「詳しいですね」

「有名な武具と、それを持つ冒険者は覚えているから」


 話しながらジャックは自分の装備を確認する。

 短剣や、ポーチ、投剣を仕込んだベルトなどめぼしいものは全て外されている。

 歯の裏に隠した小型のヤスリくらいが武器になるものだった。


「そう警戒されても落ち着きませんね。装備は全部そこの籠にありますが」


 キヨナはベッドの横に置かれた蔓籠を指さす。

 ジャックが体を起こそうとして、すぐに脱力する。


「そう、動けないですよね」


 キヨナが苦笑する。


 ジャックは黙って痛みを分析していた。

 竜から受けた傷もあるが、それ以上に内部がぼろぼろになっている。

 ツェルドーグの呪いと、数年ぶりに魔力経絡を働かせた反動だった。


「寝たままでいいです。冒険者らしく、手短に状況を説明しますね」


 冒険者らしからぬ丁寧な態度だった。


「お願いするよ」

「と言っても、私もよく把握してないんですけどね。ああ、リアさんは無事なので安心してください、今は別の部屋で寝ています」


 キヨナの言葉に、ジャックが息を吐く。一番大事な情報だった。


「知っているみたいですが、私はキヨナ・リウェンといいます。

 西方戦線を中心に活動しています。一度所用で王都の方に戻っていまして、その帰り道で、死にかけのリアさんと、本当に死の一歩手前だったあなたを見つけました。

 見殺すのも忍びないので、霊薬と延命の魔術符を使って簡単な手当もしました。それからあなたを担いで、リアさんと一緒にこの街に来ました。この街というのは、前線都市ラクアレキのことです。

 それから宿屋を借りて、貴方は丸一日寝ていました。

 リアさんはずっと付きっきりで、さきほど力尽きて寝てしまったので、隣の部屋に寝かせました」

「ずいぶん迷惑をかけてしまったようで」

「霊薬と魔術符代はいつでもいいから返してもらいます。手間賃はとらないので安心してください」


 キヨナの言葉に、ジャックは頭が上がらない。

 霊薬は入手が安定しない貴重なものであるし、魔術符も馬鹿にならない値段をする。それを使っておいて、元値をそのうち返してくれれば良いというのは冒険者としては異常な対応だ。返せ、というのも、貸しを作らないための方便に思えた。


 キヨナが同情するように言う。


「災難でしたね、竜の襲来とは」

「まったくね。大外れを引いた」

「それに……」


 キヨナの瞳が冷たさを帯びる。


「竜の呪を受けていますね?」


 誤魔化す言葉を探し、意味が無いことを悟ったジャックが薄く笑った。


「そうか、見られたかな」

「街に着く頃には、鱗は取れてましたよ。あなたを診せた治療士の方も気づいていないようでした」


 ジャックを生かすのに間に合うタイミングで現れたのなら、指先の方から鱗に覆われている姿を見ていたはずだ。

 キヨナ・リウェンは有名な一等階級の冒険者であり、竜の呪についてもおそらくは知っていて、気づかない可能性は低かった。

 キヨナの瞳は冷たい。それは、同情や哀れみや、余計な感情が動かさないための冷たさだった。


「どこまで進行していますか?」


 冷たさを装った声音でキヨナが言った。


「さあ、けっこう抑え込んでるとは思うけど。今度のは、成っても不思議じゃなかった」

「解呪士を紹介しましょうか?」

「無理だよ。呪が同化しすぎてる。それはとっくに諦めてるんだ」


 ジャックは険の抜けた顔で呟いた。


「最後に、あの子の力になれたらそれでいい」


 一瞬だけ憐れむような表情を浮かべたキヨナは、立ち上がって棚の上に置いてある水差しに手を伸ばす。

 水の注がれた銅製のコップをジャックの口元に近づけて、反対の手でジャックの体を起こした。


「ゆっくりと、急がずに、です」


 一日以上ぶりの水分補給を行わせて、コップをサイドテーブルに置くと、再びジャックをベッドに寝かす。


 それに並行した動作で、キヨナの剣がジャックの喉元に添えられていた。

 銘をつけられたアイペロスの傑作が、刀身を冷たく光らせる。


「さて、ジャックさん」


 キヨナが言った。刃の冷たさを帯びた声だった。


「話は変わりますが、自由を旨とする冒険者ギルドが、こっそり一等冒険者に課す義務があります。何か知っていますか?」


 唐突な質問だった。

 ジャックは乾いた瞳で喉に向けられた剣を眺めて、薄く笑いながら返す。


「生憎、二等階級なんで」

「放置すると二等以下では対応できなくなる案件の事前処理です。成就直前の竜の呪もそれに当たります」


 ジャックの本能が危険を告げる。

 気づかないうちに満ちる潮のように、自然な変化で殺気が溢れていた。


 ジャックは気づくことが遅れた事実に驚く。洞察力だけが彼を二等階級の位置に保つ武器だったからだ。

 今となっては唯一の取り柄が、役に立たなかった。

 似たようなことをジャックもできるが、それは相手の意識の隙を突いた一種の奇術であり、キヨナのような滑らかな気配操作によるものではない。


「処理というのも分かりますね、あなたの生命活動を停止させて、竜の呪を強制的に消滅させます」


 動かない体では抵抗する術がない。


「遺言はありますか?」

「あんた、意外と冗談が好きなんだね」


 ジャックがつまらなそうに言った。


「冗談だと思いますか?」

「一等冒険者なら問答をする間もなく殺す。万が一にも竜の呪を成就させたら、どんな被害が出るか分からないからね。

 悠長に話していいのは三流か天元級の化け物くらいで、あんたはどちらでもない。ならこれは冗談でしかない」

「半分は、です」


 キヨナが豹のような目を好戦的に光らせて微笑む。


「私は天元級の連中に負けるつもりで剣士をやっていませんし、彼らにできることならやってみせる気概です。あなたの呪が少しでも反応したら、心臓と脳を即座に破壊します」


 警告に怯まずに、ジャックは軽い口調で尋ねる。


「そしたら、半分の冗談ってのはどういう内容かな」

「呪を抑えられるという、根拠を提示してください」


 キヨナの声は冷たく事務的だった。


「しばらくの会話で、あなたが正気を保っていることも、呪の扱いに慣れている事も分かります。では、あなたが呪を受ける経緯。そして、なぜそこまで呪を抑えていられるのか。その具体的な理由があれば、あなたを見逃すには充分です」


 刃は喉元から動かない。綺麗な静止だった。

 キヨナの呼吸は緩やかで読み辛い。何の布石もなしに隙を突くのは難しそうだ、とジャックが判断する。


「呪を抑えられる根拠なんてないよ。自信もない」


 ジャックが投げやりに言った。


「けど、そうだな、見逃してもらえるかもしれないなら、話した方がいいか」


 軽口を叩いてみるが、キヨナの表情に変化はかった。

 ジャックが尋ねる。


「地神教の排異派って分かるかな?」

「地神教自体は分かりますが、細かい教派は知りませんね」

「排他性が強くてね、異端・異教殺しのための騎士団を持ってるんだ。

 ラビアルの軍事力もずいぶん兼任するような、大きな騎士団」


 統一戦争を生き残り、王国に吸収されなかった国家は少ない。

 大陸南西部の砂漠に位置するラビアル共和国は、その少ない国の一つだった。


「そこの謀殺部隊に所属していた」


 キヨナの表情は動かない。

 剣を握る手に、わずかに力が入るのは観察できた。


「一度、依頼の関係でやりあったことがありますね。練度の高さを覚えています」


 キヨナの言葉に、ジャックは古巣を思い出す。


「冒険者風に言えば、最低でも二等階級以上の精鋭が、来る日も来る日も連携の訓練をしているからね。個で抗えるのは、一等階級でも戦闘特化の冒険者か、武勇で英雄と呼ばれるような軍人、あるいは竜のような最高位の魔物くらいで」


 ジャックの脳裏に、過去が想起される。


 青白い月の下、どこまでも続く砂漠。

 そこに埋め尽くされる人の死体。

 その中央に座す巨大な体躯。


「三年前ラビアルを襲ったのは、ツェルドーグと呼ばれる竜だった」




 * *




 耐寒・耐熱の加護を付与された外套が、風圧になびく。

 月の青白く冷たい光に照らされる砂漠には、君臨する竜が一頭と、数百の死体。

 昼の猛暑が嘘のように冷たい風が、耐寒の加護を超えて体力を奪っていく。


「うえ、酷い戦場だ」


 当時十三歳のジャックが、当時ハテッドという名前だった少年が呟く。

 その横で、年上の男が冷静な瞳で戦場を観察していた。


「討伐部隊が二個中隊ほど、暗殺部隊が六個小隊、憲兵隊が一個中隊強すでに死んでいるな。竜の損傷は軽微。この場に留めているだけでそれだけの犠牲がでているということか」

「命の大安売りだね。俺たちもすぐに売られるわけだ」

「実際良くない戦況だな。打開策はあるのか」


 男が左方向、総指揮官のいる方向を眺めた。新たに増援された小隊・中隊長が数十人集められている。

 ハテッド達の小隊長も召集されて指示を仰いでいるはずだった。


 夜の砂漠に、瞬間的に真昼のような光量。遅れて紅の炎色、さらに遅れて爆音と豪風が吹き抜ける。


 ハテッドは防塵の魔術を眼前に展開して、押し寄せる砂から視界を守った。年上の男も同じように視界を守りながら爆発の中心、竜の方を見ていた。


「クウィル、何か感想を言ってよ。俺、魔物はあんまり詳しくないんだけど」

「後悔するなよ」


 年上の男は、クウィルはそう忠告してから己の感想を告げる。


「体躯の巨大さ、今の竜魔術の発動時間と威力、修復力。総合して、古代種かそれに準じるほどには古い竜だ。我らがラビアルの双勇や、王・帝国の天元級冒険者、英雄と称される連中でも単独討伐は難しいだろう。単純な戦力の計算でいうなら、ラビアル騎士団の一個連隊は必要だ」

「よし、もう今日は暗いし帰ろう」

「今の戦況では冗談に取られないから気をつけろ。……くそ、俺も帰りてえ」

「みんな! 今こいつが敵前逃亡をほのめかした!」

「この緊迫した時によくふざけられるな」


 二人のおちゃらけたやりとりに口をはさむ小隊員はいなかった。

 二人ともがこの謀殺実行小隊におけるエースと呼べる腕利きであったし、何よりこのふざけた言い合いはよくあることだった。

 天才児と呼ばれて異例の十一歳から部隊入りしたハテッドの面倒を見たのがクウィルで、その大らかな人柄を、ハテッドは兄のように慕っていた。


「おい馬鹿二人黙れ。今から作戦を説明する」


 やがて小隊長が戻り、総指揮官からの命令を伝えた。

 一発逆転の秘策、と小隊長は笑った。もちろん馬鹿にした笑みだった。


 クウィルが唸る。


「それが通るのであれば、確かに話が早いですが」

「竜に毒ねえ。本当に効くの?」 ハテッドは疑わしい瞳を向けた。


 毒殺。


 正攻法では圧倒的に戦力が足りない竜を相手に、総指揮官が下していた判断だった。


 竜魔術や、ラビアル騎士団の攻撃の騒音が砂漠を抜けていく。

 交戦する部隊は次々に死に、次々に投入されていく。


 その音を背にして小隊長が言った。


「ブダルレンドの怨毒と言ってな、謀殺技術部で開発された特殊な毒物だ。えぐいぞ」


 それは二種類の毒物による合わせ技のようなものだった。


 一つ目の毒は生命活動には全くの無害。一般的な解毒魔術の効果をすり抜けて体全体に浸透するだけで、それだけでは一切の効果がない。

 二つ目の毒が起爆剤となり、体のどこかで一つ目の毒と反応すると、瞬時に体中に浸透していた一つ目の毒が連鎖的に反応する。

 毒は体組織を溶解させ、一つの生物を、同じ成分の液体へと変質させる。


 事前に毒物を体全体に浸透させておくことで、解毒魔術を間に合わせないようにする狙いの猛毒だった。


「趣味が悪いな」 クウィルが呟く。

「使いどころが限定される毒だね」 ハテッドも肩をすくめた。「しかも、竜に効く保証は結局ない」

「だがやるしかない。命令だ」


 小隊長が厳しい口調でそう言った。小隊長自身、手塩に育てた部下たちが無駄死にするかもしれない命令に歯がゆい思いがあった。


 だが、歯がゆいだけ。

 命令には従うのが地神教徒で、ラビアル騎士団で、謀殺部隊の人間だった。


「指揮官様は無能ではないらしく、すでに一つ目の毒の投入は済んでいるらしい」


 小隊長の言葉に、ハテッドは鼻で笑う。

 すでに竜との交戦は三日目に突入している。そんな毒があるなら二つともとっくに効かせていてもらいたいものだった。


「先ほども述べたように、残存小隊の内、空間跳躍魔術の使用者を抱える小隊が毒の投入部隊となる。良かったな、我が小隊はハテッドのお陰で投入部隊だ。最前線に立たなくていい分、死亡率は低い。ハテッド以外はな」

「士気を削いでくれてありがとう」


 ハテッドが小隊長を睨む。

 冗談めかした口調には真剣味がない。


 いつ死ぬか分からず、いつ死んでも構わない。

 謀殺部隊に編入されるような人間は、多かれ少なかれそんな心境の者が多い。


 兵士になるために幼少時から訓練漬けで、死ぬのが惜しい人生など持つはずもない。


 小隊員達が小さく笑って、作戦行動の詳細を詰める。

 そして最後に小隊長が笑った。


「投入部隊の数は六つ。一小隊でも成功すれば勝利、となるらしいぞ、やったな。方針も決まった。クウィル、しっかり補佐しろよ。それ以外は確実にハテッドを守れ。質問は、ないな? よし、行くぞ」


 小隊長の言葉に、全員が立ち上がった。


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