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   1話 夢は遠きが故に(前編)

 返り血の熱さとぬめりを頬に感じて、少年は苛立ち気に手の甲で拭った。

 その手に握られる短剣は肘から指先ほどの少し長い刀身に赤い雫を滑らせている。


 深く息を吸って、吐いて、少年が気持ちを鎮める。それから後ろへ首を回した。


「リア、怪我はない?」


 そう呼ばれた少女は、街道に設けられた簡素な休憩所のベンチに座ったままだった。


 少女の身を包む麻の修道衣には赤い血がいくつも跳ねている。

 血の赤よりは茶色に近い赤毛の下の顔は、対照的に青白く血の気が引いていた。


 呼吸の荒い少女の足元には、二人の男の死体が倒れていた。体の下から溢れ出てくる血の水たまりはかさを増し続けて、鉄と死の匂いが湯気と共に少女の鼻に届く。


 少女の体が折れまがり、(うつむ)く先の血だまりに少女の嘔吐物が跳ねた。


「おーい、怪我はないかって聞いてるんだけど?」


 端切れで短剣に付着した血や脂を拭いながら、少年が軽い口調で催促する。


 少女は俯いたまま、懐から取り出した金物の棒をベンチの角に三度ぶつけた。

 棒は中が空洞になっており、グォングォングォンと金属音を充分に響かせて少年に音を届ける。


「ないならいいけどさ、あんまり吐いていると体力なくなるよ」


 少年は既に短剣を腰元の鞘に収めて、周囲に転がっている死体の懐を探っていた。

 死体の数は八つ。貧相な見た目の通りに、少年の求めるような金目の物は持っておらず、全員分を合わせても小遣い程度にしかならなかった。


 ぴちゃぴちゃと足元の血を踏みつけて、少年がベンチへ近づく。

 少女の隣に置いていた旅のリュックへ野盗達の遺品をしまいながら、少年がため息をついた。


「八人とも素人の動きだったけど、本当にただの食い詰め者だったみたいだね。金も持ってないし、襲われ損だ」


 少年はリュックを背負い、少女の手を取って立ち上がらせる。

 胃液の糸を口の端に垂らした少女が、潤む瞳を少年に向けた。


「いや、そんな目で見られても。殺さずに済ませるほど俺は強くないし」


 肩をすくめた少年がおどけたように言った。


「こんなくらいで参ってるようじゃ、この先は厳しいんじゃない?」


 少年の言葉に、少女が息を飲んだ。目元をゴシゴシと拭い、それから口元も拭う。


「やめるなら今のうちだけど、どうす――」


 少年の口を止めさせた金属音が、その余韻を響かせる。少女の右手が金属の棒を思い切りベンチに振り下ろした音だった。

 睨みつけるように少年を見上げる少女に、少年は肩をすくめた。


「分かった分かった。それじゃ、セルクドまでは後少しだから、せいぜい頑張って歩いてくれよ?」


 血の足跡を残して少年と少女が街道を進んでいく。道の先、地平の向こうに中級都市セルクドの影がかすかに見える。


 少年の名はジャック。大陸にありふれた名の少年は、同じくありふれた中堅どころの冒険者。

 少女の名はリア。少年への依頼は西のある街へ行くことで、彼女は言葉を喋れない修道女。


 依頼者と、それを請けた冒険者という関係だった。




 * *




「確かに確認しました」


 分厚い都市門の内部で門衛の一人がそう言って、ジャックとリアが都市に入ることを許可した。


 ジャックが胸元にしまう剣翼を模したペンダントは、冒険者ギルドが保証する身分証である。

 そういう物がなければ、血まみれの二人がすんなりと都市に入ることは難しかっただろう。


「それで、盗賊の死体はどこが処理をするのかな。ギルドの方に言った方がいいかい?」

「いえ、休憩所は我々都市兵の管轄ですので大丈夫です。冒険者ギルドまでの道を説明しましょうか?」

「ありがとう、頼むよ」


 門衛が丁寧な態度でギルドへの道と、都市の概要を簡単に説明する。

 ジャックは門衛よりもずいぶん年下だが、そんな態度を慣れた様子で受け入れていた。


 冒険者としての等級が二等階級のジャックは、地方の中級都市では腕利きの部類に入る。無用なトラブルを避けるために丁寧な態度をとられるのはよくあることだった。

 説明を聞き終えたジャックが頷く。


「よく分かったよ、ありがとう」

「いえ、職務ですので。ようこそセルクドへ」


 門衛の言葉を背に、ジャックは都市の内へ歩き出す。

 その後ろをリアが小走りで追いかけた。


 暗い門を抜けると、まず眩しい光が二人を照らした。太陽が空の頂上を下り始めたばかりの時間帯で、道行く人々も忙しそうだった。


「お兄さん方、道案内はいらないかい?」


 貧しい身なりの子供が声をかけるがジャックは無視して進む。その後ろでリアが申し訳なさそうに頭を下げた。


 都市門の前から真っ直ぐに続く道は、セルクドの大路の一つで、大広場へ続いている。

 酒場や宿屋の多いその道を進み、一際大きな武具屋の角を曲がってしばらく進むと、門衛に教えられた通り冒険者ギルドにたどり着いた。


 周囲の建物に比べて数倍は大きい三階建てのギルドは、その証である剣翼の看板を掲げていた。

 開け放たれた入り口では冒険者風の出で立ちの者が何人も出入りしている。見るからに荒くれ者、といった風体にリアが怯えたように足をすくめる。


「ほら、行くよ」


 足音が着いてこないことに振り向いたジャックが、リアの手を取って進む。


 ギルドに入った瞬間に、たくさんの視線が二人に刺さった。

 乱雑に置かれた丸卓や椅子に座っている冒険者達の視線だった。

 見慣れない姿というだけでなく、若い男女、少女の方は修道女となるとその姿は異質だったのだろう。加えて二人共に返り血に汚れている。


 ジャックの見かけも十六歳という年齢通り、冒険者としてはずいぶん若く目立つ。

 死の香りを匂わすような荒んだ目つきでなければ、冒険者としては舐められる要素にもなりかねない。


 軽く周囲を見回したジャックは、リアの手を引いたままギルドの奥へ進む。

 虚をついたタイミングで歩き始めた二人に、ちょっかいをかけようとしていた粗暴で有名な男も二人を黙って見送った。


 奥のカウンターについたジャックは、胸元からギルド証を引き出す。


「ジャック・フロットアップ。依頼のための滞在で、宿の紹介を頼みたいんだけど」


 カウンターに座る無愛想な男が、ギルド証とジャックの顔をしばらく見比べて、頷いた。


「二等階級が王都からご苦労様だな」


 男の言葉にジャックは肩をすくめてみせる。


 ギルド証には、ギルドによっていくつもの情報が魔術的に詰め込まれているという話だが、その読み方はジャックには見当もつかなかった。

 銀でできた飾りのどこに情報が詰め込まれているというのか。


「《大賢者の宿》が提携宿屋の中ではオススメだ。一日で三〇〇〇フィア、飯は別だ。もっと安い宿もあるが、三等階級以下でも紹介するような質だな」

「宿はそれでいいや。紹介を頼むよ」


 男は引き出しから木片を取り出してジャックに渡した。

 宿の名前とギルドのサインが彫り込まれている。これを見せれば、紹介による特別料金で泊まれる仕組みだった。


「用は他にあるか?」

「冒険者の仲介を頼みたいんだ」


 ジャックの言葉に、男は別のカウンターを顎で指した。


「依頼ならあちらで受注している」

「時間をかけたくないんだ。条件で何人か見繕ってくれないかな」

「依頼の仲介料よりも金がかかるが?」

「知ってるよ。払うから」


 ジャックは銀貨を一枚渡して、条件を告げた。

 その言葉を聞いた男は眉間に皺を寄せて鼻を鳴らす。


「名簿を調べなおすが、記憶の限りでは一人しかいないな」

「それで構わない。さっきのお釣りを手付とするから、話がしたいと伝えておいて」


 それから細かい条件のやり取りをして、ジャックはリアの手を引いてギルドを出た。

 明るい外に出たはずが、ジャックとリアには影がかかる。


 二人が見上げる先、大きな体躯の男が見下ろしていた。

 恵まれた体格を誇示するように半裸の男の胸元には三等階級を示すギルド証、腰元には無骨で大きな剣。


「あの、邪魔なんだけど」


 ジャックの言葉に大男はにんまりと威嚇するように歯をむき出して笑った。


「こいつが二等級だって!? 王都ってのはずいぶんとぬるい基準でやってるんだな!」


 ギルドの事務員の言葉を聞いていたのか、とジャックは内心でため息を吐く。

 大男が雑魚と呼べるような相手ではないことが事態の面倒さに拍車をかける。


 道行く人々が、大きな声に足を止めて怯えたように距離をとっていた。おそらく、この辺りでは有名な暴れ者なのだろう。

 そして、勝ってきた。そういう自信のある表情をしている。

 それくらいの実力はありそうだ、とジャックが体格と身のこなしを見て評価した。


「まあ、そう思うなら王都に行けば?」


 そっとリアを後ろに下げながらジャックが軽口で応じる。

 瞳は動かさないで、男の装備や姿勢、周囲の人間や地形、逃げ道を淡々と探る。


「もっと手っ取り早い方法があるだろう?」


 男が興奮したように息を吸いながら剣の柄に手をかける。道の誰かが小さく悲鳴をあげた。

 自由を掲げる冒険者ギルドは、ギルド員同士の私闘を禁止していない。大男の手慣れた態度からすると、今までに何度も似たようなことがあったのだろうと予想できる。


 対して、ジャックは荒んだ目の温度をさらに下げて大男を観察していた。

 大男自身も自覚しているだろうが、膂力(りょりょく)は大男の方が(まさ)っている。氣術も魔術も使わないジャックの筋力は見た目通りでしかなく、前衛系の冒険者としては平均以下であることはジャックが一番知っていた。


 打ち合えば勝てる、そんな余裕を見せつけるように大男が嘲笑する。


「どうした、抜かないのか? 負けを認めるなら半殺しで許してやるぞ?」

「どうしようか。あんたは確かに三等階級にしては強いのは分かるけど、負けを認めるほどじゃないかな」


 ジャックの余裕ぶった態度に、大男はジャックの期待通りに苛立つ。

 片腕でも奪えば充分だろう、そう決断した大男は残酷な笑みを浮かべた。


 隠す気のない興奮した呼吸が、大男の胸を膨らませる。

 それがしぼむ前に大男の呼吸が止まった。見開いた目の間、鼻の軟骨に剣の切先が浅く刺さっていた。


「見えなかったかな?」


 長めの短剣の柄を握るのはジャックの右手。右足を踏み込んだ体勢は、大男から見た面積が小さくなるようにほとんど真横。軽く曲がった右腕は、伸ばせばさらに切っ先を潜り込ませることができることを示していた。


「目を突けば失明、喉を突いていれば死んでいるね。そうしなかったのは優しさじゃないよ、もう今日は返り血を浴びたくないからだ」


 そう語るジャックの、ぞっとさせるような冷たい視線から逃げるように大男は後ろへ尻餅をつく。

 鼻根から垂れる赤い血が、大男の鼻の輪郭をなぞった。


「腕力が強いのは分かるよ。それは生まれつきだけじゃない、鍛錬した成果の体格だ。度胸もある。魔物や盗賊相手には困ることはないだろうけど、やっぱりそれじゃ三等階級止まりだ」


 切っ先についた血を端切れで拭き取りながら、ジャックが大男に告げる。


「二等階級っていうのはね、あんたみたいな三級冒険者を、確実に倒せる実力がまず必須の条件なんだからね」


 短剣を鞘に収めたジャックがリアの方を振り向く。


「それじゃあ行こうか。もう歩き疲れたでしょ」


 さっさと歩いていくジャックとその背中を追いかけるリアの姿を、周囲の人間は唖然として見送った。




 * *




 口笛の音が賛美歌を奏でる。

 ジャックが音の発生源を見ると、ベッドの上でリアがぱたぱたと足を上下に動かしていた。


「ご機嫌だね、リア」


 ジャックが声をかけると、交互にベッドを叩いていた足が一度止まり、両足を同時に三回振り下ろした。三度は肯定の合図だということは、ここまでの旅路でジャックはすでに把握している。


「三〇〇〇フィアでこれは確かにずいぶんいい宿だ。湯浴みもできたしね」


 再びリアの足がベッドを三度叩く。埃がほとんど舞わないのは、よく手入れが行き届いている証拠だった。

 このところは野宿ばかりで、水浴びも満足にできなかったのだから、湯浴みは嬉しかったのだろう。

 柔らかいベッドに全身の疲れが溶け出しているかのように、リアの表情はとろけてだらしがない。


「飯は少し割高だったな。明日からはどこか食堂を探すとして」


 ジャックは剣や手甲についた血糊を丁寧に落としている最中だった。

 布製のものは洗濯屋に渡したが、こうしたいくつかの武具は自分で処理しなければならない。

 打粉をまぶして端切れで拭き取る作業を繰り返していたジャックは、手を止めずに言葉を続けた。


「やめるなら今のうちだ。新しく冒険者を雇ってしまったら、簡単に中止はできない。できなくはないんだけど、ずいぶんと違約金を払わないといけない。今なら、ほとんど手付かずのまま金を残せなくはないよ。俺はそこまで違約金を取るつもりはないから」


 ジャックはどちらでも良かった。

 どちらにせよメリットは存在するし、最悪死ぬことになっても構わないという諦念もあった。

 だからこその選択肢を委ねる言葉だった。


 リアの出してきた依頼は難易度は高く、ジャックの腕では確実に安全と言えるものではない。

 冒険者ではないリアは、命を大事にした方がいいのではないかというお節介だ。


「……!」


 リアは口笛を止めて体を起こすと、むっとした表情の顔を横に振った。

 その様子を見て、ジャックはごめんごめんと謝る。


「道中何度も聞いたけどね、これが最後だ。それじゃあ、早く寝ちゃいな」


 手入れを終えた武具を枕元に置いて、ジャックもベッドに横になった。

 隣のベッドに寝転んでいたリアが、慌ててシーツの下に潜り込む。


「はい消すよー、三、二、一、」


 ふっ、と息を吐くとサイドテーブルの上に置いていたランプの火が消えた。

 あっという間に暗くなった部屋で、百を数える間もなくリアの寝息が聞こえた。


 よっぽど疲れていたんだな、とジャックが思う。


 ギルドから仲介された依頼を受けて一ヶ月近く歩き詰めで、道中の出来事はほとんどリアに馴染みのないものだったのだろう。



 「この子に代わって、僕が依頼を説明しよう」



 王都のギルド事務員のストーリンの言葉が、ジャックの脳裏によぎる。

 丸い眼鏡が特徴のストーリンは高難度や複雑な事情の依頼を担当することが多く、その時点で嫌な予感がしていた。


 その後ろで、隠れるようにジャックを(うかが)っていた赤毛の修道女は、すがるような瞳をジャックに向けていた。

 顔見知りの少女が、何故そこにいるのか分からない。


「非人同盟領にあるモニテリという街。そこまでこの子を送ることが依頼さ」


 王国と非人同盟は百年近くの間戦争を続けている。

 細かい進退はあれど、おおむね膠着状態を維持し続ける西方戦線。非人同盟領へ密入国するなら、その戦争の最前線を抜ける必要がある。


 考えるまでもなく難しいことだ。

 仮にできたとして、非人同盟領で活動する難しさもある。


 王国で亜人や獣人が活動するのがほぼ不可能のように、非人同盟領で敵対人種が行動すれば殺されるか捕らわれるのが当然。


 ジャックが隣のベッドに顔を向ける。

 窓から漏れる月明かりに照らされるのは、まだあどけない少女の、疲れきった寝顔だった。


「その小さい体で、お前は何がしたいんだ?」


 開いたカーテンが夜風に揺れる。


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