エピローグ 終わりに語り部は語る
陽は沈み、赤橙色に焼けていた空には夜の帳がかけられた。
晴れた夜空は月と星が明るい。
ラクアレキは三番区の広場には、一人の女性が佇んでいる。
長い金髪に、青い瞳。
夜風に髪がさらわれて、亜人の長い耳が露わになる。
ネリアは、じっと空を見つめていた。
彼女が立つのは広場の中央。かつて、非人の処刑が行われていた見世物台。
あの日から、一年以上の歳月が過ぎていた。
その時間に多くの事が変わった。
今や、ラクアレキの人口の三割近くは亜人や獣人が占めている。
王国と同盟の間には停戦条約が結ばれた。
多くの利権が失われるこの条約の締結が断行されたのは、ある竜の存在によることを知るものは少ない。
そして、そのための犠牲となった少女や冒険者のことを知るものは、いくつかの例外を除けばネリアしかいないのだろう。
「こんばんは」
その例外は、予兆も無く姿を現した。
月明かりに照らされる白髪に、夜に溶けるような黒い毛先。
青いローブに身を包んだ、女性の姿を、ネリアは見たことがある。
あの日のホウプ宮殿。
その女性は、リアと短い会話をして消え去った。
「語り部」
ネリアはその名を呟く。
呼ばれた語り部は微笑んでみせた。
「君には名乗った覚えはないけれど」
「教えてもらったから、あなたの存在を」
ネリアの視線が、広場の隅の教会だった建物に向けられる。
今は孤児院として機能しているそこには、変わらずに亡命屋がいる。
ネリアはそこで魔術を習いながら働いていた。
語り部の存在は、あの日に何があったのかを話していた際に、その亡命屋から聞いたことだった。
その記憶か、そのことを思い出したネリアの思考を読んだのか、語り部は頷く。
「そうか、ルルティアから聞いたんだね。青の三角にいたから」
「物語を集めて、物語を語る。そのあなたが、私に何の用なの?」
「ダブラークォンが死んだよ」
語り部が告げた。
静かな声だった。
「ダブラークォン。つまり夢を喰らう竜。君の知るジャックの成れの果て。
リアの夢と命を喰らって、王国と同盟の戦争を終わらせたあの竜が、死んだ」
そういうことか、とネリアは納得する。
妙な胸騒ぎに誘われて夜の散歩をしていたが、その胸騒ぎの原因は。
「それを、何故、私に」
「他に誰が聞くべきだと思う?」
語り部は舞台女優のように両手を広げた。
「長い戦争のひとつが終わった。
人の迫害から始まり、その戦争が産んだ孤児によって続けられて、その戦争が産んだ孤児によって終わりを迎えた。
リアは偉大なことを成した。けれど、それはまだ夢の途中」
「どういう意味?」
「彼女の夢は、戦争の根絶さ。だから、その夢を引き継いだダブラークォンは北方戦線に旅立った。
そして今日殺された。あちらは、ここと違って代理戦争ではない。帝国と王国の威信をかけた戦場だ。
たった一人の夢、たった一頭の力でどうにかできるものではない」
語り部の両手がゆっくりと下ろされる。
ネリアは口を開けない。語り部からは魔力を感じるわけでもないのに、畏怖する感情が確かに立ち上っていた。
「つまり、リアの夢は叶わなかったということ。
彼女の夢は、その途中で果ててしまった」
語り部は微笑む。
人のものとは思えない、幻想的で、無機質な雰囲気。
「リアの夢を知る者に、それを伝えに来ただけよ」
さようなら。
そう告げて、語り部は音もなく消えた。
夜の静寂。
ネリアの舌打ちが、誰もいない広場に響いた。
* *
誰も起こさないように、孤児院の廊下を静かに歩く。
しかし、その途中でネリアの名前が呼びかけられた。
その声は扉の向こうから。
音を立てないようにネリアは扉を開けた。
そこは孤児達の寝室だった。
カーテンのない窓から差し込む月明かりが、子供達の寝顔を優しく照らしていた。
ひとつのベッドに何人もが器用に居場所を確保して、それぞれの手足を枕にしたり、傲慢な態度で人の体に足を乗せたりしていた。
そこには、人間と非人という区別はない。亜人も獣人も一緒くたに、それぞれの寝息を立てている。
「ネリアぁ、見て見て。えへへ、私が作ったの」
それは女の子の寝言で、夢のなかで何かを見せびらかしているのだろう。
お腹のはだけたその子に毛布をかけ直して、ネリアはこっそりと退散した。
獣人や亜人の差別問題は、未だに解決をしたわけではない。
迫害意識も、そのことに対する報復の憎悪も、一年という時間では消え去ることはない。
それでも、契約の魔法によって結ばれた停戦条約には誰も逆らえない。
両国間の緩衝都市として指定されたラクアレキとモニテリには、それぞれ一定数の獣人や亜人、人間の居住権が義務付けられている。
都市に住まう人間の数が限られる以上、人間も亜人や獣人も、互いの手を借りなければ生活ができない。
そこに複雑な感情はあっても、すでに互いの存在を必要とする生活基盤は固まり始めている。
反目する感情よりも、戦争に対する徒労感の方が大きいのか、目立った反対活動も行われなかった。
そして、戦争孤児を救うために、亡命屋は孤児院を開いた。
ネリアもそれを手伝うことにした。様々な理由や感情があったが、表向きには魔術を習うためということにしている。
孤児たちを見ていると、分かることがある。
亜人や獣人と、人間に、決定的な違いなどないのだ。
どれもこれも生意気で、泣き虫で、都合のいい時だけ甘えてくる。
大人の余計な教育さえなければ、どれもこれもすぐに友達になってしまう。
語り部は、リアの夢は途中で果てたと言った。
それは違うとネリアは思う。
あの子供達の安らかな寝顔は、全てリアの夢が生み出したものだ。
彼ら彼女らは、やがて大人になり社会の一因となっていく。
戦争の苦しさを知るあの子達が、いずれ社会を変えていく。
あの子達や、あるいはその子供達が戦争は終わらせるだろう。
いつになるか分からなくても、必ず。
だから、リアの夢はまだ果てていない。
その夢の果ては、その時に初めて訪れるのだから。




