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  10話 人の呪(前編)


 緊迫した声が遠くに響き、時々戦闘の金属音や魔力波動をネリアは感じていた。

 客室の扉がノックの音を立てて、返事を待たずに開かれた。

 武装した獣人の兵士が短く敬礼をした。


「王国軍の奇襲です。ここよりも安全な場所にお連れしますので、同行願います」


 兵士の態度が丁寧なので、自分が諜報員であったことを知らないのだろう。

 狼犬人の司令官はその情報を広めずにいてくれたようだ。


「分かったわ、お願いします」


 ネリアは立ち上がり、ふと強い魔力を感じて窓の外を見た。

 安いガラス窓を通すと外が夜であることをしか分からなかったが、時の進みを早めたように明るくなっていく。

 それが日の出ではなく魔術による攻撃であることは、魔術士であるネリアは考えるまでもなく分かった。

 ぞっと背筋に冷たい物を感じたが、攻撃魔術は少し離れた位置で霧散した。

 小さく建物が振動する。


「大丈夫です」 兵士が言った。「一級戦闘配備時には、拠点全てを30名以上の魔術士と備蓄魔力石で防壁を張っていますから」

「そうよね。軍事拠点だものね」

「おそらく魔力障壁の性質と強度の計測を行っているのでしょう。少数の魔術士で抜けるものではありません」


 兵士は訝しげに窓を睨んだ後、ネリアに先導して廊下を進んだ。

 客間であるその辺りには他に人の姿は無く、しかし建物のあちこちから声の応酬が聞こえていた。

 

「奇襲自体は問題ありませんが、エグザリの本隊との戦いになれば安全は保証できません。

 モニテリへ搬送する余裕が生じ次第、ネリアさんには移動してもらいます」

「分かったけど、その、後回しにしてもらっても大丈夫。私は迷惑をかけてるわけだし」

「いえ、民間人の方を守るために私たちは剣を持ち、魔術を紡ぐのです。どうぞお頼りになってください」


 兵士は真剣な顔でネリアに言った。

 身分を詐称している罪悪感に襲われたが、それよりも深刻な焦りが生じた。


 真剣な兵士の顔の向こうで、音もなく扉が開いていた。

 兵士の誠実そうな瞳とは対照的な、荒んだ灰褐色の瞳がネリアと兵士を順番に見つめた。

 ジャックの手には当然のように短剣が握られる。


「殺すな!」 ネリアが叫ぶ。


 返事は兵士の喉から吹き出した熱い血液だった。


 一声も漏らすことなく兵士の体が脱力し、それを受け止めたジャックは自らが出てきた部屋に兵士を引きずっていく。

 一瞬の出来事だった。


 部屋の中でする物音を、ネリアは立ちつくしたまま聞いていた。

 先程までの兵士の顔が視界に明滅する。


 やがて扉が開いて、出てきたのは予想外にもリアだった。

 悲しそうな顔のリアは何か言いたげに口を開く。


 部屋の入り口の上に足を引っ掛けたジャックが、足を中心に回転するように落ちてきたのはほぼ同時だった。

 勢いのままネリアの首を掴んで地面に押し倒す。左手はネリアの後頭部を保護するように添えられていた。


 勢い良く地面に倒れたネリアが咳き込みながらジャックを見上げる。

 ジャックの右手はネリアの喉を掴み、顔の前には左手に握られた短剣の切っ先が向けられていた。


「乱暴なのは謝るけどね。どうする?

 俺達に協力する気は、まだ残ってるのかな」


 ジャックの瞳が、一切を見逃さないと見開かれてネリアの顔を注視した。

 首に当てられた手は脈動と体温を探り、目の前につきつけられた短剣が精神的な圧力を与えていた。


「恩もあるから協力しなくても殺さない。ただし嘘をつけば殺す。

 即答以外の返事はいらない。三、二、一」

「協力するわよ!」


 ネリアの苦しげな叫びを受けて、ジャックは動かない。

 見開いた目は上下左右に細かく動き、やがてため息に似た息を吐く。

 左手の短剣が振り上げられ、振り下ろされた。


「謝罪と、謝礼は後で納得するだけさせてもらうよ」


 短剣の刃が小さく鳴っている音を左耳にネリアは聞いた。

 床に突き立てられた短剣を腰元の鞘にしまうと、ジャックは立ち上がってネリアに手を差し伸べる。


「本当に容赦の無い人だね」


 軽蔑するようなネリアの言葉にジャックは何も返せない。

 ふらりと目眩を感じながら周囲の状況を見て思考を回す。


「リア、さっきの部屋のシーツで血を拭きとって」


 突然指示されたリアは一瞬間をあけてから頷き、すぐに駆けていく。

 床に溜った兵士の血を見て、ネリアは疑問を口にした。


「拭いたところで、血は目立つよ」

「それは、俺とネリアで魔力灯の魔力石を全部抜き取るって誤魔化す。

 夜が明けるまでは、床の感触に違和感がなければバレることはない」

「それにしたって、戻ってこなければすぐに分かることよ。どうするの?」


 手近な魔力灯から魔力石を抜きながらネリアが尋ねた。


「軍服を盗んだところで、顔を見れば亜人でも獣人でもないことは分かるわ」


 どこで入手したのか、ジャックは同盟軍の軍服を着用していた。

 一般的な剣と、先ほど使用した短剣を腰に下げているが、これもどこからか盗んだのだろう。


 魔力灯が消えるごとに段階的に暗くなる廊下で、ジャックは心臓のあたりの痛みを隠すのに必死だった。

 先ほどの立ち回りが体に負担をかけたせいだった。

 返事がないことにネリアがジャックに振り向いた気配を背中に感じて、平静な声を作る。


「実のところ案が無い。ようやく今の状況を掴んだ所なんだ」

「どうするのよ」

「さて、どうしようか」


 大胆な案をひとつジャックは持っていたが、実行がためらわれた。

 司令官を暗殺して、エグザリ軍に基地を攻略させる。その後、ジャック達の処遇がどうなるかは計算出来ないが、囚われている状況よりはマシだろう。

 ためらわせるのは、司令官の人の良さではなく、実行面での難しさだった。


 軽く振る舞いを見ただけだが、それでも一流の戦士ということくらいは分かる。

 今の体調では分が悪いというのがジャックの結論だった。


「無難なのは、伝達なり負傷兵移送なりに紛れることだろうから、名案が出なければそうする方向で動こう」

「君がさっきの兵士さんを殺さなければ、私の移送に紛れることもできたのに」

「……短慮だったね。俺の不手際だ」


 もちろんその考えに至らなかったわけではなかった。

 しかし、どうにか兵士に気づかれずにネリアの協力を得たとしても、ネリアに主導権を渡す状況をジャックは嫌がった。

 信用出来ないのだ。自分に協力せざるをえない状況に追い込まなければ、人を信用することなどできなかった。


 先ほどの兵士の殺害は、そのためのものでもあった。

 ジャック達の脱走とあわせて考えれば、ネリアの手引と考えるのが自然だ。


 ネリアは長年逃亡者として生きてきた女性だ。自分の置かれた状況には、充分すぎるほど考えが回るだろう。

 言わずとも分かっているはずで、だからこその先ほどの皮肉か、とジャックは納得する。


「けど、それほど心配しなくてもいいさ。平時ならともかく、今は奇襲を受けて、さらに王国軍の本隊との交戦だ。

 逃げ出す隙を見つけられない方が難しい」



  * *



 ネアは最後まで気づくことができずに、ツェルドーグに掴まれて壁際から離させられた。

 高級客員用の部屋は基地の中でも見晴らしの良い高い位置にあったが、そんなことはおかまいなしと、それは現れた。


 石造りの壁に銀色の線が閃き、右回りに正三角形を描く。

 切り取られた三角柱が部屋の内側に蹴り落とされ、作られた窓に足がかかる。

 その足の持ち主はネアとツェルドーグの姿を確認して、優雅に微笑んだ。


「お久しぶりですね、お二方」


 煤に頬を汚して、キヨナがにこやかに言った。


「【狂い人か】」


 ツェルドーグが喉の奥でそんな声を漏らした。

 すでに戦闘のために身構えていて、魔力の循環をキヨナは感じた。


 目立つ赤髪と顔を見て、ネアが思い出した。


「あなた、ゴイド山脈の」

「その節はどうもネアさん。あなたもいるなら、もっと楽しそうですね」


 キヨナの言葉が終わる前にツェルドーグが動いた。

 人の筋力では届かない速度の一撃を、キヨナは抜き打った剣で受け止めて、弾かれる。


 キヨナは当然のように足から天井に着地する。

 それを追って跳躍するツェルドーグを見て微笑んだ。

 擬似的な地対空。動きが制限される分、空中のツェルドーグが不利になる。


 竜人の掴みかかる右腕から逃れるように左へ動き、キヨナの剣は追撃の膝蹴りを撫でるように優しく受け、後ろに流した。伝統ある武術に見られるような柔らかい動作。

 キヨナは剣から受けたわずかな力で上昇し、天井を二歩走ってからネアのいる地面に、跳んだ。


 キヨナの体ごと落ちてくる剣は、ネアの眼前で急停止する。

 強制的に停止させられた剣を握る右手を中心に、キヨナが回転する。

 垂直に近かった勢いを水平に変換して、キヨナの左手がネアの細い首を掴む。


 体当たりを受けたネアがキヨナと共に吹き飛び、動かせない頭部が床に打ち付けられる。

 状況を理解できない魔女は、頭部への衝撃を受けてさらに混乱する。


 首の骨を握りつぶす前に、キヨナは背後へ跳ねる。

 遅れてツェルドーグの腕が空を斬り裂いた。


「駄目じゃないですか、ちゃんと守らないと」


 楽しそうにキヨナが言った。

 ツェルドーグはネアを背後に動けない。


 ふらつきながらネアが立ち上がる。頭部から滲んだ血が耳の辺りから首元に流れていく。


「見抜いていたのね」


 片手で頭部を抑えながらネアが言った。

 不可視の壁の魔法は、エグザリの放った刺客には充分以上に通じていたはずだった。

 それが、初手でここまで攻撃を通されるとは思わなかった。


「さあ? 正解なのかは知りませんが」


 ネアの不可視の壁の魔法。

 武器や魔術の一切を停止させる代わりに、自らは無手の攻撃に一切抵抗しないことだとキヨナはあたりをつけている。

 契約の魔法が等価交換の魔法であるなら、必ず代償となる行為が存在するはず。

 ゴイド山脈での戦いで、武器の一撃を止めた際の気流の動きから、本当に武器のみを止めていることに気づいてからの推測だった。


 しかし、もう意味は無い。

 次はどのような代償で、どのような効果を得るのかは予測できないからだ。


「厄介な魔法ですね」


 戦闘慣れしていない様子なのが救いだった。

 ネアは苦笑を浮かべた。


「所詮、限られた範囲での魔法だけどね」

「みたいですね。ところで右腕と右目は、竜の治療に失ったんですか」


 片目と片腕を失っているネアは答えずに次の魔法のためにキヨナを探る。

 キヨナにとって、何と何が等価であるのか。


 その答えを待たずにツェルドーグが前に出た。

 応えるようにキヨナも前に。


 剣と、固い鱗で武装された四肢と顎が交錯する。

 狭い戦場では竜の魔術は使えない。使おうとしても、キヨナの剣に魔術式が砕かれる。

 それでも筋力と硬度で遥かに竜が種族として優れるが、近接戦には技術で種族差を埋める要素が多い。


 捌き。

 腕の長さほどの鉱物の振るい方ひとつで、戦力が大きく異なることの証明のような、両者の均衡だった。


 ややキヨナが有利、と自覚していた。

 しかしそれでは間に合わない。ネアの魔法がどのタイミングで使われるから分からないうえに、これほど物音をたてていれば兵が来てしまう。


 一度引いた瞬間、わずかな余裕ができた。ネアを背後に守るツェルドーグが追撃を躊躇ったからだ。


 キヨナは視界全体を捉えながら、ネアの辺りへと意識の濃度を高くする。

 ネアは口元を抑えてキヨナを見つめていた。

 予想外の反応にキヨナはさらに下がる。ツェルドーグは追わずにネアの前で構えた。


「顔を見られてその反応は初めてですね。比較的優れた容姿のはずなんですが」


 他人事のような口調で言いながらキヨナはネアの方へ顔を向ける。


 ネアの口元を抑えた手からは、胃液が垂れていた。

 凄惨な虐殺現場を見る修道女のように嫌悪と恐怖が混ざった瞳が、キヨナを見ながら瞳孔を開かせる。


「貴女は、何なの?」


 ネアが疑問を口にする。

 魔女らしくもなく、余裕のない態度だった。


 キヨナは納得したように頷く。


「ああ、なるほど、そうですよね。契約の魔女であるなら、相手が何にどのくらいの価値を感じるのか読めるわけですね。

 価値観は、人の本質とほとんど同義ですからね。覗かれて、あまり気分のいいものではありませんが」

「何故、貴女はそこまで歪んで、正気でいられるの?」


 ゴイド山脈でちらりと見た時は偏った精神としか思わなかった。

 しかし、深く探れば探るほど、キヨナの価値観は人間として、生物として異形なほど歪んでいた。


 戦う事以外の全てが、等しく無価値。


「教育、いえ、調教の結果でしょうね。

 剣に囚われた男が人の父になるものではないといういい実例でしょう。

 最も、失敗作ですけどね」


 キヨナが微笑む。


「では、続けましょう」

「いいえ、続けないわ」


 口元を拭いながら、ネアがはっきりと言った。


「契約はいかが? キヨナ」


 それは魔性の魅力を持った言葉だった。

 キヨナは笑顔のまま固まる。剣を持った手がかすかに震えていた。


 ここで魔女が提案してくる契約内容は予測できる。

 自分の価値観が戦う一点にしかないことは、魔女が保証しているのだ。


 柔い快感がキヨナの背中をなぞった。

 期待している自覚があった。


「どのような?」

「魔女の力で、あなたの望む戦いをさせてあげる。

 だから私の下につきなさい、キヨナ」

「下、というのは気に食わないですね。契約は対等であるべきです」


 それは承諾の意を込めた返答だった。

 ネアが微笑む。


「互いの望みを叶え合いましょう、キヨナ」

「しかたありませんね」


 少しもしかたなくないように楽しそうな笑顔で、キヨナは頷く。



  * *



 その日、エグザリの胸を、アイベロスの傑作が貫いた。



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