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   7話 全て転じて(前編)


 竜の魔術式が開いた口の中で輝く。


 魔術式に注がれた魔力は変質し、圧縮され打ち出される。

 射出されたのは糸のような細さの輝く熱線。


 効果範囲の狭さを見て笑うことなどできない。

 竜の膨大な魔力が圧縮されたその細い線は、全てを焼き切る刃と同義。


 射出角がわずかに変わるだけで、熱線の刃はキヨナの立つ大地を高速で走る。

 熱戦の通過した地面が沸騰する。液状化した大地が噴き出し薄膜のようにキヨナの視界を塞いだ。


 液化した高温の地面の飛沫しぶきを避けるために、キヨナが大きく下がる。

 キヨナが装備するのは高価な加護付きの防具だが、その飛沫を何度も耐えうるほどではない。加えて、キヨナの握る剣に刻まれた魔術式が破損してしまえば、その瞬間にキヨナの勝ちの目はついえる。


 仕方なく下がるしか無いが、距離を取れば取るほどに不利。

 射出点との距離に比例して熱線が横切る速度が増し、かわすことが難しくなる。


 射出点をわずかにぶれさせるだけで、熱線はキヨナの周囲を縦横に走る。


 点在する岩の陰に逃げこんでも熱線を防ぐことができるのは瞬きほどの時間。

 瞬時に岩を貫通する熱線をかわして、岩陰を飛び出す。


 熱線が止む。

 竜といえど魔術を放ち続けることは不可能であり、その隙間の時間にキヨナが竜との距離を詰める。


 周囲に散らばった竜の魔力を、キヨナの軌跡閃くアイベロスが吸収する。

 充分な量が溜まったことを確認したキヨナが、踏み込んだ足で地面を削り減速、鋭く剣が振られる。

 刻まれた魔術式が魔力を変質させ、空を裂いた剣の切っ先を辿って、切断の力場が形成、射出される。


 追撃のための魔術を形成していた竜が魔術式を破棄。

 魔力障壁を生成するための魔術式を構築、発動し、竜の眼前に展開した障壁とキヨナの一撃が激突し、互いに消滅。


 その間にもキヨナは前に詰める。


 キヨナに傷は少ない。

 一度熱線を避け損ねた際に、左肩の端を切断された箇所のみ。止血は済ませているが肩の骨を半分ほど削られて動作が鈍い。


 傷の少なさはキヨナの優勢を示すものではない。

 竜の攻撃が致命的であり、傷を負えるほど攻め切れない状況を示すものであった。


 対して、竜は攻め切れないわけではない。

 キヨナの奇襲に近い攻撃によって切断された右の翼が修復されるのを待っている。キヨナへの攻撃と並行して紡がれる治癒魔術は刻一刻と翼を再生させる。


 白い煙を上げながら新しい翼が再生されていく。

 羨ましい魔術ですね、とキヨナが心中で呟いた。

 人には扱えない高度な治癒魔術だ。欠損した部位の再生など、人間の魔術ではまだ不可能な域。


 翼の回復までの時間が、残された時間。

 状況は絶望的だが、キヨナの顔は幸せそうにとろけていた。


「【何故退かぬ】」


 竜が問う。

 上位種の問いを無視して、キヨナはさらに前進。


 キヨナは、自分の実力ではこの竜には勝てないという計算をすでに終えている。

 退かない合理的な理由など無い。頭の冷静な部分が、無残に死ぬしかない自分の未来を予測していた。


 けれど、退く選択肢など無かった。

 剣に囚われるとは、そういうこと。


「【何故笑う】」


 気狂いのような笑みを浮かべたキヨナが、剣を握り直す。駆ける足は止まらない。

 竜の口腔に浮かぶ魔術式と相似形の巨大な魔術式が、キヨナの足元に転写されて光る。


 効果範囲から逃げ出すには十数歩はかかる。

 即座にキヨナは最も近い魔術式の端へと逃げる。無駄と知りつつ、少しでも威力の低い方へ。


 恐怖はない。ただ最善へ向かう意志。


 竜が悟る。

 これが語り部の言う、本能を超えるということか、と悟る。

 意義があるかは分からないが、確かに希少価値はありそうだ。


 魔術式に瀑布ばくふのように魔力が注がれ。

 竜が告げる。


「【狂ったまま逝け】」


 大地を吹き飛ばす巨大な爆発の轟音が、ゴイド山脈に低く響いた。



  * *



 低い地響きは背後から。

 間違いなくキヨナと竜との戦闘だろうとジャックが判断する。


 すでに走るほどの余裕はない。


 体力ではなく、周囲の環境に。


 怯えるリアも懸命に自制してジャックにしがみつくことを抑えていた。

 ジャックの左手はリアの後ろ襟を掴み、右手は周囲を警戒するように短剣が握られている。


 ジャックの装備は血に濡れてまだら。用意してきた止血の魔術符で出血こそ止まっているが、失われた血はすぐには戻らない。


 微かな物音に、ジャックがリアを掴む左手を引いた。

 後ろに傾くリアの頭部があった場所を、毒蜘蛛が通り抜けていく。


 素通りした蜘蛛の着地点から逃げるように、たくさんの蜥蜴とかげ型がうごめく。

 押し出された蜥蜴型とジャックが、蜥蜴型の定めている距離よりも近づく。


 途端に跳ね上がった蜥蜴型の大きく開いた口を、ジャックの短剣が出迎えた。

 下顎を地面に縫い付けるのと同時に短剣を取り出し、頭部に突き刺して脳を破壊する。


「これ、どうやって抜けるんだよ」


 ジャックが愚痴る。


 視界にはびっちりと絨毯のように地に伏せる蜥蜴型の群れ。

 両側の切り立った崖に挟まれた自然の回廊に、竜から逃げていた蜥蜴型が集まっていた。


 牙は鋭く、防ぎ損ねれば防刃の加護を超えて肉を裂く。すでに何度もその牙に体が貫かれていた。

 一定の距離より近づいた途端好戦的になる蜥蜴型の群れの中を突っ切れる実力はジャックには無かった。


 もともとジャックが得意なのは対人戦であり、それも奇襲の類にこそ真価がある。

 正面からの制圧力はB級冒険者の水準には届かない。


 ジャックが舌打ち。

 同時にリアをしゃがませて、その上を飛来してきた蜘蛛を剣で弾く。


 ふたりに進みたい方向に弾かれた蜘蛛から、蜥蜴型が逃げる。

 空いたスペースにジャックとリアが逃げこむ。先程から、このようにしか移動できなかった。


 蜘蛛を捕まえられたら話が早いが、毒蜘蛛は素早く地面に潜っていく。

 一度地面を掘ってみたが、深く逃げこんだようで捕まえられなかった。

 そもそもあの速度で跳ねる蜘蛛を捕まえようとすれば、噛まれる危険がある。

 

 不意にジャックが気配を感じた。

 魔界特有の存在が押しつぶされそうになる圧力をけて、存在を誇示するような威圧的な気配。


 蜥蜴型のように気配を隠さない。

 竜にも通じるその特徴は、圧倒的に強者の立場であることの証明。


 逃げるために隠れる。


 襲うためにひそむ。


 そのような工夫がなくとも生存してきた強者。


 遅れて、蜥蜴型が顔を上げる。気配に気づいたようだった。

 ほぼ同時に崖の上に姿を現したそれは、ずるりと力なく落下する。


 蜥蜴型が散乱して逃げる。

 落下点はジャック達の前方、生物の内臓を叩き付けたように水気のある重い音をたてた。


 ように、ではない。

 形容するなら、それは巨大な内臓であった。


 濃い桃色の肉の塊に青い静脈が網のように走り、それより少ない数の太く赤い動脈が脈拍を打っている。

 落下の衝撃で平たく潰れた楕円の形は、潰れていても見上げる程の大きさ。


 ジャックの横でリアが掠れた息を漏らし、体を震わせた。

 足元を逃げていく蜥蜴型は、ジャック達に噛みつく余裕もない。


 ぐちゅりと音がして、蜥蜴型が貫かれるのをジャックが視界の端に捉えた。

 貫いたのは正面の内臓と同じような見た目の、鋭利な三角錐。底面に繋がる触手は地面から生えていた。


 ジャックはリアを抱き寄せて後ろに跳ねる。靴の縁を削った触手が虚空を貫いた。


「しがみついてて」


 何でもないようにジャックが落ち着いて言った。

 窮地に比例するように冷静なのは、過去の訓練によるものだった。


 感情を殺さなければ冷静でいられない程度には、すでに苦境。


 進むべき道に背を向けて駆けた一歩目で左に跳ねる。

 飛び出した触手が短剣を握る右の二の腕を掠めて、肉がえぐられる。


 それでは足りぬとばかりに触手がひるがえり、ジャックの打ち払う剣と衝突。

 柔らかい内臓の見た目に反し、岩を打ったような手応えと音。斬り抜けず、進路の逸れた触手がジャックの右の太ももを掠める。


 怯えるリアの視界に映るのは、虐殺の光景だった。

 蜥蜴型が次々に触手に串刺され、本体の巨大な内臓に運ばれる。


 内臓にはひだの付いた穴があり、蜥蜴型の刺さる触手が飲み込まれ、触手だけが抜け出る。


 胃だ、とリアが直観した。

 これは胃の化け物なのだ、と。


 地面から飛び出る触手に、ジャックは3歩以上直進できない。

 触手は少しずつ体を掠めて肉をえぐりとっていく。


 毒があればすでに死んでいるな、とわずかな幸運を実感した。


 その幸運は、現状にはささいなもの過ぎた。


 ジャックが首を横に傾けて、正面から飛んできた触手が耳の横を突き抜ける。

 何故正面から、と考える間もなく二の槍三の槍が正面から飛来する。


 避けて、避けて、その触手が繋がる先をジャックが認識した。

 驚愕と絶望を殺して、ジャックが平静を保つ。


 触手の繋がる先は、先ほどの内臓よりも巨大な人型。

 手と足のようなものが、肘や膝らしき場所を直角に曲げて地面をついて地面に這う。

 皮膚はなく、内臓と同じ質感の体組織で構成されていた。


 先ほどの胃のような内臓の本体か、とジャックが察する。

 腹部から伸びるへその緒のようなものは、先ほどの胃の化け物からも伸びていた。

 繋がっているのだろう。


 頭部の代わりに首の断面からはおびただしい数の触手が生え、太さを保ったまま分かれ、地面へもぐりこんでいた。

 一部の触手は、直接ジャックを狙って空を走る。


 その異形の人型が占有するのは、崖に挟まれた回廊の出口。大きく迂回して逃げる道など無い。

 串刺しにされた大量の蜥蜴型が先ほどの内臓の下に運ばれて、川のように地面を流れていく。


 その川に合流することは避けたかったが、抜ける糸口はない。


 触手が走る。

 蜥蜴型を獲りつくした触手達が、ジャック達に向かう。


 思考が静かに冷える。

 処理すべき触手が多すぎて、数秒後までの逃げ道を計算することが限界。


 右に跳ね、下がり、さらに右に。

 崖際に追い込まれる前に左へ転進しようとした無理を、触手が責めた。


 右肩が貫かれ体勢を崩す。

 それが契機。

 行動を制限されたジャックの腹部に三本、足に二本突き立った触手が体を崖に縫い付ける。


 リアを離し、短剣を左手に持ち替えてリアに向かう触手を弾く。

 それが最後。左腕を触手が貫いて、身動きが取れなくなる。


 リアへの庇護が消失した、


 崖に体を固定されたジャックの横で、リアは怯えて頭を庇う。

 そこに触手が襲い掛かるのを、見ることしかできない。



  * *



「なんですかね、今の音」


 亡命屋の女性が不思議そうに振り返った。

 ネリアもその視線を追って振り返る。岩だらけの山道の先から、低い地鳴りが聞こえた。


 予定ではジャック達が追いかけて来ているはずだが、今の音に何か関係があるのかとネリアは心配する。

 亡命屋は単純に聞きなれない音が気になるようだった。


 ネリアが亡命屋の隙を見て、赤く塗った小石を落とす。

 何度か繰り返したジャック達への目印だ。


「そろそろ聞きたいんだけど、なんでこんなに魔物に出会わないの?」


 ネリアが尋ねる。

 大陸最難関と言われる魔界にしては、これまで魔物に出会わな過ぎた。


「探査魔術にコツがあるんですよ」


 亡命屋がさらりと言った。

 探査魔術を使っていたことに気づかなかったネリアが驚く。


「いつ使ってたの?」

「五〇歩に一度くらいを目安にですね。

 特殊な形式です、ちょうど今使いますよ」


 ネリアが集中して亡命屋を見ると、指先から細い魔術式の線が落ちて、地面を這っていく。

 隠蔽いんぺい性が高く、言われて集中しなければ気付けなかった。

 線は二つに分かれて左右に広がっていく。行先は見通せない。


「少し精度は落ちますが、遠隔で魔術を発動させます。

 生態系の変化が激しい山脈ですが、魔術に反応する種類は大抵いますからね。周囲に自分の存在を喧伝するような探索魔術には注意が必要です」


 魔力長波を照射してその反射波を解析する一般的な探索魔術は、魔力感知のできるものに居場所を知らせてしまう欠点がある。

 照射地点を実際の二人の場所よりもずらすことで、その欠点を誤魔化すという理屈は分かるが、ネリアにはとても再現できそうにない。


 ネリアに可能な遠隔魔術は、せいぜい距離は十歩ほど。

 亡命屋のように見えなくなるほど遠い距離の遠隔魔術など、可能かどうかを想定したこともない。


 何も言わないところを言うと、ジャック達は探索範囲に入っていないようだ。

 五〇歩に一度のペースで行わなければいけないということは、それなりに狭い範囲しか探索していないのだろう。

 それも、広範囲から魔物を引き寄せないためか。


「生息する魔物は変化しますからね、個々への対処よりは、出会わない工夫が大事です」

「あなたは何度渡っているの?」

「一〇〇は超えていますが、五〇〇には達していないですね」

「あなた、本当に何者?」


 予想よりもはるかに多い桁だった。

 ネリアの疑念に、亡命屋が静かに首を振る。


「公式にはゼゼ・スンリだけですが、非公式に踏破している人は結構いるんですよ。

 ここの踏破は、王国か同盟への密入国と同義ですからね。公式記録には載らないんです」

「言われると、確かにそうね」

「王国の諜報員も何度かここから同盟に密入したようです。死亡率の高さから最近は取りやめたようですが。

 冒険者でも一等階級の資格があるなら踏破の可能性は充分にありますね。数の優位が効かないので、少数精鋭に限る話ですが」

「二等では?」


 ネリアの質問に、亡命屋は口元に手をやって黙り込む。

 しばらく考えて首を振った。


「奇跡が二度重なれば、可能性が見えてこないこともないです、かね」

「不可能ってことね」


 ネリアはもう一度後ろを振り返る。

 低い地響きはまだ続いていた。



  * *



 空だ。


 空が見えて、その視界が流れて今度は大地を見る。

 ゴイド山脈は植物が一切生えずに、岩肌だけを露出させている。


 横を見れば現在の高度は山脈の中腹よりも遥かに下。

 せいぜいがそれくらいの高さ。


 その高度で、キヨナが笑う。


 眼下には土砂の煙と、そこから体を覗かせる夢喰らう竜。

 竜自身の強力な爆裂魔術で真上に吹き飛んだキヨナの姿を追えていない。


 キヨナの慣性に任せた上昇が止まる。


 後は落ちるだけ。


 剣は左腰の鞘に納められる。


 鞘に飾られたいくつもの魔力石の宝玉が、輝きの喪失を代償に魔力を剣に送り込む。


 鞘を握る左手が、親指でつばを押し上げる。


 頭から落下。


 加速。


 髪を置いていくキヨナの顔は、うっとりと微笑むまま。


 鞘の鯉口から漏れる魔力に、竜が上空の異変に気づく。


 互いの視線が交わる。


 驚愕と、陶酔。


 竜は魔力障壁を幾重に展開する。


 キヨナは右手で柔らかく柄を握る。


 剣は抜かれない。


 加速。


 交差。


 魔力障壁にぶつかる直前に、剣が引き抜かれ、


 刻まれた魔術式が魔力を変質させ、


 剣が研ぎ澄まされた軌道を描き、


 その軌跡を追って、斬撃の力場が閃く。


 魔力障壁が斬り裂かれ、


 閃いた軌跡が、竜の鱗に届く。


 微笑むキヨナの瞳に、竜の爬虫類の瞳が映る。


 硝子ガラスが割れるような魔力障壁の破砕音が遅れて聞こえ、


 鈍い音を立ててキヨナが落下した。


 爆裂魔術による粉塵は晴れずに、キヨナから竜を確認できない。

 剣からは充分な手応え。数か月鞘に貯めていた魔力を解き放った一撃だった。


 山風が吹き降りる。


 粉塵が晴れていき、竜の姿が露わになる。


 悠然と座したまま。

 首元から胸部、腹部まで深く斬り込まれていた。


 竜の青い血が大量に流れて、


 その傷を修復する竜の魔術式が輝いていた。


 竜の瞳が緩やかに動き、キヨナを捉えた。

 竜の喉が、緩慢さを感じる速度で空気が震わせた。


「【死を、覚悟した。誇るがいい、お前は竜殺しの直前にまで踏み込んでいた】」


 キヨナの瞳から戦意は消えていない。微笑みも絶えていない。

 しかし、両の脚の骨は全て砕け、人体にありえない曲線で地面に転がっていた。

 脚甲は消失して、傷だらけの皮膚が露わになっている。


 その傍らに一枚の魔術符が落下した。

 魔力障壁を構築する希少な魔術符だ。


 さきほど、竜の爆裂魔術が発動する直前に、キヨナは足元に魔力障壁を展開した。

 その障壁で爆裂の力を受け止めて、上昇力へと変換したのだった。

 しかし、その力を受け止めた両脚に極度の負荷がかかった。


 砕けた骨が皮膚を突き出して、岩に群集する白い貝のような見た目になっている。

 その全てから血が流れ、赤と骨の白との対照が痛々しい。キヨナが視界の端にその現状を捉えて、わずかに気分が悪くなる。


「過去形で語るには、私の死が足りませんね」


 微笑むキヨナは左手をついて体を起こしている。

 剣は握られたまま、いつでも振れるように緩やかに関節を曲げて。


「【それはすぐに満たされる】」


 勝利の道を探してキヨナの思考が巡り、瞳は周囲を探る。


 すでに確信している竜と、諦めない剣士との差が、気付きの差になった。


「おい、ふざけるな」


 キヨナが呟く。

 竜が理解できずに疑問を抱き、その眼球に槍が突き刺さった。


 空気から溶け出すように現れたのは十人以上の冒険者達。

 見覚えのある者達の先頭に立つのは、この前に話したばかりの古豪のA級冒険者。


 他にも顔見知りの一等冒険者が七人。他の冒険者達も洗練された立ち回りで竜を包囲する。

 後衛が魔術式をそれぞれに展開し、前衛が油断なく構える。


 万全の状態ならともかく、瀕死の竜に抗える状況ではなかった。

 勝つための手段を数瞬の時間検討して竜が敗北を悟る。


「【これが我の最期となるか。剣士よ、良い記念となった】」


 竜がキヨナを見据えて言った。


 いくつもの魔術式が竜を捉える。

 歴戦の槍士が手を振り下ろし、多種多様の魔術が竜を攻撃する。


 燃焼し、凍結し、切断され、爆裂し、掘削された。

 一流の前衛による強力な打撃が後を詰めて襲う。


 修復魔術から魔力を外すわけにはいかない竜が、なすすべもなくその全てを受け止めて。

 力尽き、ゆっくりと倒れた。


「キヨナさん、大丈夫ですか」

「近づくな!」


 キヨナと顔見知りの魔術士が近寄るのを、槍士が止めた。

 竜の頭部から槍を引き抜いて無造作にキヨナに近づく。


 キヨナの剣が跳ね上がって槍士の首を狙い、槍士がそれを受け流す。

 流れるように回転した槍の石突きがキヨナの右手首を打って剣を手放させた。


 低い声がキヨナをなだめる。


「落ち着け、キヨナ」

「うるさい! 殺してやろうか、この無粋者ども!」


 剣を失った右手が懐から魔術符を取り出して、発動する前にキヨナの右手を槍士が踏みつけた。

 槍が体を支える左腕を払って、石突きが左肩を押さえて固定した。

 それだけでキヨナは首を回すことしかできなくなる。


「おい、治療だ」


 槍士の言葉に、治癒魔術を使える魔術士が群がり、魔術と霊薬を惜しみなく使い始めた。

 全身の出血箇所を塞いで、下半身の感覚を麻痺させる。

 両脚の損傷は彼らには手が付けられない。専業の医術士でないと治療できないだろう。


「くそ、最悪です。こんなに気分の悪い日はありません。ふざけやがって」

「頭は冷えたなキヨナ。今更誰かを殺しても事態は何も好転しない」


 横目で槍士を睨むキヨナが舌打ちをする。


「ああ、もう、本当に最悪。ええ、もう落ち着きましたよ」


 興奮が覚めたせいで、両脚の痛みが走り始める。


「くそ、ああ、そうですね。おかげで助かりましたよ、命は」

「こちらも充分に利用させてもらった」


 槍士の言葉にキヨナがもう一度舌打ちをした。

 タイミング良く彼らが到着したというのは、偶然にしてもできすぎだろう。

 キヨナとの戦いの後の疲弊を突くために潜伏していたはず。


 キヨナが視線を回して周囲を観察する。

 顔見知りの一等階級が並び、何人かの知らない顔も噂で聞く新進気鋭の二等階級の風体と一致する。

 ラクアレキの冒険者の精鋭が選抜されたメンバー。


「エグザリからの依頼とやらですか」


 軍事拠点のひとつくらいなら容易く落とせそうな人員構成は、それ以外に考えられない。

 確信を込めた問いに槍士が口の端をわずかに曲げた。


「精鋭を揃えてゼゼ・スンリの真似事だ。大胆な依頼だよ」

「わざわざ密入国して、誰か要人の暗殺ですか?」

「さあな」


 要点は答えられない。

 キヨナは槍士を睨んでから息を吐いた。


 全身の出血は抑えられ、霊薬によって生命力もずいぶん回復した。

 麻痺の魔術が切れたら両脚から激痛が生じることは考えないようにする。


「それで、何故お前はこんなところで竜と戦っていたんだ?」

「不思議なことを聞きますね。竜と戦うために来て、竜と戦うために戦っていたのですが」

「何故竜がここにいると?」

「さあ、どこで聞いたんでしたっけ」


 互いに探る瞳。

 微笑みを作りながら、キヨナはジャック達の話をすべきか悩んだ。


 彼らに保護されれば格段に安全に山脈を越えられるだろう。

 しかし、おそらく行動の自由は無い。竜の呪が知られれば即座に処理されるだろう。この槍士はそういう冒険者だ。

 ネリアが見つかれば捕まえられ、亡命屋と共に拷問、処刑される。


 過程はどうあれ、キヨナはジャックとの契約通り竜と戦うことができた。

 不愉快な結果だったが、契約は果たされたのだ。


 キヨナにはジャック達の依頼に協力する義務がある。

 けれど、その履行はキヨナの意志次第。ジャック達を売ったところで、不都合は存在しない。

 背景の無い契約は、互いの事情と倫理のみが根拠となる。


 結論は、契約の履行だった。


「どこかの酒場だったのは覚えてますが、もう相手は忘れましたね」

「そうか」


 追及は不要と、槍士はあっさりと退いた。


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