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告白

作者: ムライリカ

 もしかしたらあの時、死んでいたのかもしれない。


 何を馬鹿な事をと思いつつ、私は携帯電話を耳元に押し付けていた。一瞬自分の心音まで聞こえてしまうのではないかと錯覚を起こす。右耳は過去の後遺症のせいか、少し聞こえが悪いようだった。そろそろ持ち手も痺れてきていたので、息継ぎをするタイミングで左手に持ち変える。


「とにかく今から話す事は、私の独り言だと思って聞いて欲しい。嘘だと思ってくれて構わない。私も実際、この身に起こる前まで、そう言った類は一切信じてこなかったから」


 少し強めの口調で言い退けた後、私は静かに語りだした。


「初めて奴を感じたのは、中学3年生の時だった。それは日曜日で、昼寝をしていた時だった。突然、誰かに抱きつかれて私は目を覚ましたの。半分寝ぼけていたので最初、犬かと思った。でも家はアパートで、犬なんて飼っていないし、飼ったこともなかった。その次に弟だと思った。しかし弟は当時小学六年生で、私に抱きついてくるような年頃ではない。あれ?誰だろうと寝ぼけ眼で起き上がろうとした時、一気に物凄い力で身体を押さえつけられた。私はパニックになった。よく分からない何者かが私を締め上げている。何とかその呪縛から逃れようともがくが、身体は金縛りにあったかのように動かない。その間にもありえない力で圧迫される。私は助けを呼ぼうとドアに目を向けた。ドアは何故か少し開いていて、リビングから光が漏れ出していた。良かった、お母さんがいたんだと思い、私は声を上げた。でも、声は不思議と音にはならなかった。自分でも変な事を言っているのは分かっている。でも、本当に声が出なかった、出せなかったんだ。喉に何かが詰まっているような感覚で、口だけを魚のようにパクパクとさせるしかなかった。勿論その間にも容赦ない締め付け行われていた。私はその時生まれて初めて死を予感した。殺されると思った。膝に何かがぶつかる。直感的に足だと思った。お願い、許して。私は訳のわからない拘束から逃れたくて許しを請うた。声にはならないので必死に祈った。その祈りが通じたのか、暫くして急に身体が軽くなった。私は今の内だと思い切って布団を捲り上げた。勿論そこには誰もいなかった」


 自分でも語りながら当時の事を思い出す。ドアの隙間から垣間見えたかすかな希望、不可解な恐怖。夢だと思われるかもしれないが、自分が確かに経験した事実なのだった。


 そしてこの日を境に、私は目に見えぬ何者かに襲われるようになった。


「私は今起きた出来事をお母さんに話した。お母さんは怪訝そうな顔をした後、一緒に私の部屋に来て話を聞いてくれた。私は小さい子供に抱きつかれたと訴えた。そうとしか思えなかったが、力はそれ以上の物を感じて恐れた。何より布団をめくっても誰もいない。こんな不思議な事ってないよ。お母さんが一緒に寝てあげようかと提案してくれたが、私は恥ずかしさからつい断ってしまった。幼稚園の頃から一人で寝ていたので、今更怖がって一緒に寝られるかとも思った。恐怖心より羞恥心の方が強かったなぁ」


 母の顔を思い出す。あの頃から既にショートカットだった。母は私が小学4年生の頃に、眼の奥に出来た腫瘍を取る為手術を行った。長い髪を切り坊主になった。一時期カツラを愛用していて、一度忘れて外出しそうになった時など弟と一緒に笑ったものだ。あの頃が一番平和だった気がする。母が手術を受ける前に寄越した手紙は、今でも大切に保管してある。思い返すと母は強い女だった。


「それから奴は頻繁に現れるようになった。毎回締め付けるようになったの。胸から背中、頭に乗っかられた時は、流石に重いから勘弁してくれと心の中で訴えた。それでも奴は現れ続けた。私は恐怖より怒りを覚えるようになっていた。この不可解な現象にも慣れてきたのよ。やってくる度に、締め付けられる度に、私は訴え続けた。何が目的なの?一体私にどうして欲しいと言うの?お願いだから止めてよ。勿論止めてくれる筈もない。実害は締め付けてくる以外、特に見受けられなかったけど、こう何度も続くと流石に滅入る。仮にも受験生なのよ。ただでさえ夫婦の大掛かりな喧嘩があって、家庭内がギグシャク、いや、沈黙の共同生活状態だったのに、この仕打ち。私は奴と戦う事にした。無視を決め込んで眠り続ける事にした。そうしたら、次はどうなったと思う?今度は違う奴が現れるようになったのよ」


 最低でも4つは出会した。その内の1つは干支でもある蛇だった。


「私の部屋で踊った奴。こいつは音でしか判断出来なかったけど、何だかスケート靴で滑るような音が直ぐ側で聞こえた。それと脳内で直接歌われた子守唄。とても低い男性の声で、こんな歌で眠れるかと心底思った覚えがある。後は大正時代が何かの、少し古い日本語で話しかけられた事があった。こっちは早口の女でやかましかった。昭和歌謡曲のような音声で、脳内に直接語りかけてくるの。私にはその言葉も意味も理解出来ないから、とにかく寝かせて下さいと訴えかけた。どうでもいい自慢話を延々と聞かされた気分で参ったよ。まぁ、こいつらは一度しか現れなかった分、まだましかな。不可解な現象に襲われても、圧迫とか雑音めいた感覚だけで直接姿を見たことはなかったの。視覚ではっきりと捕らえたのは今まで2回だけ。その内の1つが蛇だった」


 私はあの時見た、蛇の悲しそうな表情を思い返す。あの蛇は何を訴えていたのだろうか。今となっては知る余地もないのだが、胸を突き刺すような悲しみが広がったのを覚えている。共鳴。あの時、私と蛇は悲しみを共有し合ったのだった。


「蛇は真夜中に来た。突然右耳に衝撃が走り、私は金縛りにあった。それも右半身だけ。ふとベッドの右側を見ると、小さな蛇が頭を起こしてこちらを見ている。何かを訴えているように見えたが、それを理解する術がない。唐突に悲しみだけが胸いっぱいに広がり、私はひたすら謝った。ごめんなさい、何も出来ないんです。分かってあげられなくてごめんなさい。蛇はその内ふっと姿を消した。同時に金縛りも解けていた」


 蛇の死体なら昔、小学校の遠足の時に見たことがあった。大きさも丁度あれくらいだった。


「え?その後蛇を見たことは一度もないよ。それより、次に見てしまったのが一番やばかった。その後急いでお寺にお払いしてもらったからね。まぁ、気休め程度にしかならなかったけど。あの時も確か日曜日で、それも朝の7時くらいだった。突然目を覚ました私は、休みも手伝ってもう少し寝ようと思った。二度寝。うつ伏せで顔を右に向けて、もう一度眠りに落ちようと瞼を閉じた時だった。暗闇から突然赤ん坊の手が現れた。その瞬間、顔を物凄い力で引っ張られて、頭を左側へ向けようとした。うつ伏せで右を向いて寝ていたんだ、当然左側へ持っていこうとすれば首が千切れてしまう。あれが一番命の危険を感じたよ。思い出しただけでもゾッとする」


 暗闇から突然現れた赤ん坊の手。そいつが、今まで私を圧迫し続けてきた犯人だったのだろう。お寺の住職に身内で死産された方はいませんか?と聞かれ、父親の姉が死産でしたと母が告げた。もしかしたらそのお姉さんが私に憑いていたのかもしれない。真相は定かではないが。


「お払いした後は半年程、現れなかったよ。その内弟も頭のないセーラー服姿の子を見るようになって、流石に引っ越す事になったんだ。それと同時にお父さんと別居。それが高校2年生の秋の事だね。お母さんの首を絞めつけて以来、我が家はバラバラになってしまった。いや、最初から家族なんて構成出来ちゃいなかったんだ。物心ついた時から自分達はデキ婚だったと聞かされ、弟と一緒に父を蔑んできたからね。少し閉じ篭り気味だった頃なんか、陰で失敗作呼ばわりだよ。だったら同情なんかで生んで欲しくなかった。好きであんたらの子供になった訳じゃない。未だに親を信用出来ないのはそのせいだね」


 私は持て余すように右手で髪を弄った。育ててもらった感謝はしているが、母に同情する気など1ミリもない。親不孝な娘かもしれない。高校を卒業して家を出る時、今まで自分を育てるのに幾らかかったと家計簿を見せられた。早く自立したかった。金のかかる進学に興味を持てなかった。勉強自体向いていなかった気もするが。


「あ、話が逸れちゃったけどさ、とにかく引っ越してからは現れなくなった訳。前に住んでいた家が国道線に近くて、尚且つ3階だったからかな。新しく引っ越した所も結局3階だったけど。その頃にはもう、気配は分かるようになっていたのよ。分かると言っても、流石に触れてくれないと分からないけど」


 たまに身体の一部にじんわりと違う存在を感じる事があった。特に来るのが左足だ。ジリジリと螺旋を描くように上って来る様は、あの時の蛇ではないかと思っている。


「ここからは家族の誰にも言っていないんだけどさ。私、京都に来てからは何度か身体に入られた事があるのよ。金縛りとかじゃなくて、歩いていたらふっと身体に衝突が来る感じ。心臓を後ろから鷲掴みされた事もあった。うーん……自分の中にもう一人いる感じ?突然思ってもみない感情が湧いてくる事もあったし、いきなり視覚で見ているのとは違う映像が脳裏に写し出された事もあったし……あ、いよいよ変な奴だと思ってない?まぁ、戯言だと思って聞いてよ。特に驚いたのが、東日本大震災の10日前。その日私は仕事で13時から施術に入っていて、1時間コースの終わりかけだから、14時くらいかな?突然物凄く嫌な胸騒ぎを覚えたの。それこそ誰かが、沢山の人が死ぬんじゃないかってくらい酷い胸騒ぎだった。胸騒ぎは夜まで続いた。流石に怖くなって、お母さんに連絡を入れた。特に変わった様子もなく、誰かが亡くなった訳でもない。ニュースも見てみるが災害が起きた訳でもない。それから2、3日は私も注意深く生活していたけど、やがて思い過ごしなのだと納得した。そして3月11日が来た。私はテレビの映像を見て、この事だったのかと驚愕した」


 自分は当事者じゃなかったから、客観的にニュースの映像を眺めるしかなかった。何かを感じ取る事が出来ても、それを理解できる術がない。何て半端な身体なのだろう。


「元彼と別れた時もそうだった。夜、一緒にラーメンを食べに行こうと外へ出た時だった。横で並んで歩いていたら、突然前から胸を突き抜けるような衝撃が起こって、思わず足を止めたの。それはまるで長い夢から目覚めたような感覚で、彼を見ると何だか別人のように見えた。違う顔の男に見えた。私は怖くなって、ラーメン屋の手前で一人家へ引き返してしまった。その翌日に別れ話を持ち出したの。今思うと、あれは警告だったのかもしれない。その後彼に対して初めて不信感を抱いた私は、恐る恐る探ったの。そしたら他で遊んでいた証拠が出てくるわ、地元に帰った際に女と寝ていたわ、私の事を見下していたわで録でもない奴だった。この男はこれから先もっと面倒事を持ち込むに違いない。だから別れて正解だったのよ」


 苦い想いで唇を噛み締める。振り返ると楽しい記憶ばかりが美化され、更に胸を締め付けられた。唐突に閉ざされた未来。自ら閉ざしてしまった未来。この選択が正しかったと祈るまでだ。


「後は何があったかなぁ。大体語り尽くしたと思うけど。え?最近は割りと落ち着いているよ?ここの所何も感じないし。精神が安定している証拠だよ、証拠。もうあんな訳のわからない奴等に、振り回されるのは勘弁して欲しいって。私に縋れてもどうしようも出来ないし。そう、平穏に暮らしていたいだけ。そろそろ切るわ。じゃあね」


 随分長く話してしまった。私は携帯電話のディスプレイを覗いた。途中でバッテリーが切れたのか、電源が入っていなかった。




〈終〉


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