6 ヨル
朝餉の後、母親は町へ行くと家を出た。できあがったばかりの織物を納めに行くのだという。さつきは母親の代わりに家の用事を始め、おれはまだ幼い平太を背負い、なえを連れられるように表に出た。
きりりとした冷たい空気は澄んでいて、真直ぐな陽射しが降り注ぐ。日陰と日向ではまったく空気が違う。なえは眩しい空の下を転げるようにかけ出した。
「ヨル、おいで」
屋根に向かって声を掛けると、なえは大切に握りしめていた豆を地面にまいた。
いつもなら豆なんかに見向きもしないが、大きな翼を広げ、ひらりと地面に舞い降りた。背負われた平太も嬉しそうにはしゃいている。鴉の黒い羽根は濡れたようにつややかで、昨日のやつれた様子が嘘のようだ。そして、他のカラス達が恐れるほど大きかった。それなのに、なえが奴を怖がるどころか、とても可愛がっているのが不思議だった。
こいつのどこが可愛いというのだろう? 散らばった豆をすまして突きはじめる鴉を、しげしげと見つめた。確かに大きな図体で小さな豆を突いている姿は、確かに微笑ましく見えなくもない。そう思うことで、無理矢理納得することにした。
「兄さま紹介するね、この子はヨルっていうの」
ヨル。と呟くと、なえは得意な様子で頷いた。
「とっても真っ黒で夜のお空みたいでしょ? だからヨルなの」
「そうか、いい名だな」
「うん!」
勢いよく返事をすると、なえはおれの手に豆を握らせた。
「ほら兄さまもヨルにあげて」
うむを言わさず握らされた豆を、おれは仕方なく地面にまいた。
軽い足取りで鴉は近寄ってきた。足元の豆をついばんでいると思ったが、よく見ると豆は少しも減っていなかった。おかしいなと思う前に、鴉は高飛車な態度でこう言った。
(ただえさえ豆なんて食えたものじゃないのに、まして泥にまみれたものなんて食えるか)
おれは首をすくめた。背中の平太がずり落ちないよう、そっとかがみ込むと、奴に豆を差し出した。それでいい、と鴉は偉そうに手のひらの豆をついばんだ。
「すごい! 兄さま、もうヨルと仲良くなったの?」
まあな、と曖昧に言葉を濁していると、目を輝かせたなえは元気よく言った。
「なえもやるっ」
すると、今度は背後が賑やかになった。
「へーたも、へーたもやる!」
とうとう平太まで騒ぎ出した。おれの背中から平太は、ぴょんと飛び下りた。おれを挟むようにして、ふたりはしゃがみ込むと、豆を半分こした。なえと平太は顔を見合わし、にっこり笑ってから「せーの」で手を広げた。
「はい、お食べなさい。残しちゃだめよ」
「たくさんたべなさい、おおきくなれませんよ!」
母親やさつきに散々言われているのだろう。小さな子供に言い聞かせるような口ぶりが笑いを誘ったが、鴉の手前、なんとか口元がゆるませるくらいで我慢した。
(うるさい餓鬼どもめ、食ってやるから大人しくしていろ!)
平太の手から渋々豆をついばんだ。
「すごいっ、にーさま、よるたべたよ。へーたのたべた!」
頬を真っ赤に染めた平太は、自慢げに声を張り上げた。
「そうか、よかったな」
「うん!」
すると、弟に負けるものかと思ったのか、なえは豆がのった手を鴉にぐいぐいと押しつけた。
「ヨルってば、なえのお豆も食べて!」
何もそこまでむきにならなくてもいいのにと思う。幼子たちと鴉のやりとりに、思わず吹き出しそうになった。それに何よりも、鴉が困り果てている様子がおかしかった。
(ああ、もう堪忍してくれ)
さすがの鴉も幼子たちの迫力に負けたようだ。弱音を吐きながら、なえの手からも大人しく豆をひと粒、ふた粒とついばみ出した。
「みてみてっ! ヨルが食べてるよ」
「そうか……よかったな」
うん、と満足そうに頷いたなえの頬も、冷たい外気にさらされてすっかり真っ赤になっていた。ふたりとも鴉が相手をしてくれたことで、十分満足そうだった。
(おい! いい加減この餓鬼共をどうにかしてくれ!!)
鴉の我慢ももう限界のようだ。わかった。と無言でこたえると、おれはそっと手を伸ばし、なえをこちらに引き寄せた。
「なえ、頼みがある」
「なあに、兄さま?」
きょとんと目を瞬いた。おれは笑顔を浮かべようとしたが、うまくいったかわからなかった。
「ヨルはまだ腹が減ってるらしい、平太とふたりで持ってきてくれないか?」
おれの手元には、ずいぶん豆が残っていた。なえは不思議そうに首を傾げたが、すぐに思い直して「はあい」と素直に返事をした。
「ほら平太、おいで」
なえは平太の手を握りしめ、鴉にやさしく語りかけた。
「お豆持ってくるから待っててね、ヨル」
ぱたぱたと足音を立て、立ち去って行くふたりの後ろ姿を見送った。もう大丈夫だと思うところまでふたりが行ってしまうのを待ってから、おれはゆっくりと鴉の方に向き直った。幼子ふたりがいなくなった途端、鴉は豆を忌わしいもののように吐き出した。
(なかなかいい格好になったじゃないか、ええ?)
鴉はおれを見上げると、にたりと嫌な笑みを浮かべた。