2 鴉
姉妹が去った頃を見計らって、鴉は戻ってきた。薄く霧がかった白い空に弧を描くように、ひらりと社の屋根に降り立った。
「叶えてやればいいだろうが。おぬしはカミサマなのだろう?」
わかっているくせにそういうことを平気で言うのが奴らしい。
「もう死んだものは帰ってこない、それにおれは……」
おれは奴を睨みつけると、苦いものを言葉と一緒に吐き出した。
「おれは……そんなものじゃない」
「ほう、そうだったか」
鴉はわざとらしく首を傾げる。その様子が可愛らしいと姉妹が言って以来、奴のお気に入りになった仕種だ。しかし、大鴉がそんなことをしても間違っても可愛らしくなんて見えない。
「しかしご大層な供物を持ってこさせておいて、それはないだろう」
奴の言葉が突き刺さる。
「……奴らが勝手に持ってくるだけだ」
わかっている、人は何かにすがらずにはいられない、誰にも心の拠り所が必要だから。人より長く生きる闇の住人を土地神と崇めるのもそういうことなのだろうと思う。だけどおれには特別な力などない。けれど、人は自分と異なる存に特別な力を期待する。
「願いがあれば叶えてくれと頼む、叶わなければどうして叶えてくれないと責める。心の拠り所となる存在も、お前のせいだと擦り付ける存在もときには必要だ。カミサマというものは気苦労が耐えないな」
そう言いながら鴉は実に愉快そうにくるくるとおれの頭の上を飛び回る。まるでひと事のような顔をしているが、奴だっておれと似たようなものだ。
「まあいいさ気にすることはない。彼奴らが好きでやっているのだからな。お前がいらないと言っても次から次へと持ってくるさ、言わばお前の意志など関係ない」
「黙れ」
いつまでも口の減らない鴉のくちばしをへし折ってやろうかと飛び上がったが、寸前のところで鴉は身をひるがえした。鴉をしとめ損なって舌打ちをすると、頭上から奴の鳴き声が上がった。
「おお、怖い怖い」
からかいを含んだ奴の声はおれの気分を逆撫でする。だからと言ってむきになっても余計に腹が立つだけだ。それに、奴が本気を出せばおれなど適うわけがない。それをよく知っているくせに、わざわざ挑発するのだから、本当にたちが悪い奴だ。
「しばらく顔を見せるな」
おれが今出来る精一杯の抵抗。すると鴉は返事代わりに大きく翼を羽ばたかせる。奴につられて他のカラスたちも一斉に空へ舞い上がった。空を覆い尽くす程の黒い群集は、あっという間に空の点となった。
こちらが呆気に取られるほど素直に去ってしまったので、おれの怒りは中途半端なのまま行き場を失ってしまった。苛立ちを抱えたまま屋根から地面に降り立つと、おれは社の前に腰を下ろした。
鴉の言うことは間違ってはいない。だけど、そうかと黙っているものどうかと思う。だからおれがどうか出来るわけでもない。
それではおれは、何をどうしたいんだ。
「……もう知らん」
そのままずるずると横たわると、ぼんやりと空を見上げた。いつの間に空はすっかり明るくなっていた。瞬いていた星も朝日の中に消えて、雲ひとつない空には白い月だけが浮かんでいる。ふと社に目を向けると、いつの間に供えられた赤い実にはうっすらと霜が降りていた。きらきらと陽の光をはね返し、どんな宝玉よりも美しく思えた。