光ヒトデ
海の深層に陽光は届かない。そこは白い光の支配下だ。海深くに生息する光珊瑚によって、王城も街も、昼夜なくに照らされていた。
薄ぼんやりとした白い光に照らされながら、瑠璃は泳いでいた。昨日、暗い気持ちを出しつくしてしまった所為もあるのか、気分は晴れやかだった。
ひとつ、考えが浮かんだのだ。どうして気がつかなかったのだろう。開けられないのなら、壊してしまえばいい。
ちょうど今、肉食鮫がこの近くに来ている。彼らとはあまり話したことはないけれど、一生懸命に頼めば、きっと力を貸してくれる筈だ。一度ラウに話してから、会いに行こうと心に決めていた。きっと上手くいく。例えだめでも、前進にはなる。瑠璃はそう信じて疑わなかった。
もうすぐ、彼は自由になる。海の中を抜け出して、それから――どうなるのだろう。やはり一人で耐えなければならないのだろうか。瑠璃が水の外で生きられたのなら、許されるなら、決して傍を離れないのに。漠然とした、叶いようもない願い。瑠璃は頭を振った。出来ることは多くはないかもしれない。その全てを丁寧に拾い上げて、あとは彼を信じるだけだ。
ふと、青い光が視界の端を掠め、瑠璃は思考を止めた。その光を彼女は知っていた。すぐに光のもとに泳ぎ、手に取った。砂に埋もれていたのは、光を発する青いヒトデだった。
「光ヒトデ!」
手のひらに乗るくらい小さなそれを持って、瑠璃は顔を綻ばせた。光ヒトデは海族にとって特別な意味をもつ物だった。非常に珍しい種のヒトデで、人気のない海底に生息し、初夏のわずか一ヶ月でその命を終える。死んでしまったら、ヒトデは白く、化石のように固まってしまう。何より生きている一ヶ月の間に見つけることが重要だった。
青は高貴で神聖な色。この光を持つのは知られる限り光ヒトデだけだ。その為か『手にした者は永遠の幸せを得る』と言われる程の、幸運の象徴とされていた。これを大切な人に贈り、相手の幸せを願うというのが海族の間での風習だった。
ラウに見せてあげよう。瑠璃ははやる気持ちをそのままに、尾鰭を動かした。首飾りが揺れ、同じ青色の光を放つ。色々なことがあったから、忘れてしまっていた。ずっと彼に言いたかったことがあったのだ。
彼が首飾りをくれた時は、まだ知らなかったけれど、水の国ではヒトデを海の〝星〟と書くのだ。青色の〝星〟。ラウがくれた首飾りと同じだ。なんだか肯定されているような気がした。いつか彼が聞かせてくれた話。本当に空族と海族は同じ一つの種族だったんじゃないかって。それはとても素敵だと思ったんだ。
「羅羽!」
岩場に着くと、瑠璃は呼びかけた。今日は、何か返してくれるのではないかと期待していた。だが返事はなかった。
「羅羽?」
心の奥がざわついた。それを抑えながら、瑠璃は先へ進んだ。ある所までくると、彼女は一気に速度を上げた。
岩場には何もなかった。昨日まで確かにそこにいた筈のラウは、檻ごといなくなっていた。力が抜けたように、瑠璃は砂の上に手をついた。いないという事実が痛い程体に伝わる。
流されてしまった? こんなに浅く穏やかな場所で、そんな筈はない。なら――。
『君は、忘れてくれてよかったのに』
昨日の言葉が頭の中で再生された。彼は魔術が得意だとも言っていた。もしかして、これが彼が出した答え?
瑠璃はぶんぶんと首を振った。信じると決めた。だから、何があっても、最後まで信じる。
「探さなきゃ……」
口に出して確認した。宛てなんて分からなかった。でも、とにかく探さなければならない。瑠璃は泳ぎだそうとした。
その時だった。岩場が黒く染まった。途方もなく大きな影が、そこに動いてきていた。瑠璃は恐怖を感じながら見上げた。
「木の、鯨……?」
楕円形の、木でできた腹が見えた。良く見ると変な穴のようなものが、等間隔に並んでいる。尾鰭はとても小さく、奇妙な形だ。胸鰭はない。おかしい。あんな姿で泳げるわけがない。息だって出来ないような海上だ。なのに動いている。ギギと気味の悪い音を立てて。
逃げないと。本能的に思った。思っただけだった。目が離せない。体が震えていて、力が入らなかった。息と一緒に泣き出しそうな声が零れた。見えない位置から近づいていたそれは、もう瑠璃の真上に居るのだ。動いて、お願いだから。瑠璃は自身の体に何度も念じた。
ガシャンッ。訳の分からない大きな音が立った。それでようやく、瑠璃の体の呪縛は解けた。だが遅かった。気づいた時には、白いものが上から襲い掛かってきていた。
圧し掛かられて、思わず悲鳴を上げた。こんな場所では誰にも届く筈がない。瑠璃は必死で抵抗した。降ってきたのは、瑠璃の腕よりも太い網だった。きっと彼女よりも何倍も重い。全力で退かそうとしても、僅かばかりしか動かない。やがて、網が海上へと移動し始めた。圧し掛かられていた瑠璃は、内部に捕らえられる形となった。持ち上げられ、体が軋む位、きつく締めつけられる。足掻けば足掻く程、網は瑠璃を覆いつくして圧迫してくる。海面が近い所為もあるのだろう、次第に意識がぼやけてくる。だめだ、息が――。そう思った瞬間、瑠璃の視界は急速にしぼんでいった。薄れゆく感覚の中、手から光ヒトデが零れ落ちた。