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再会

 ライオット諸島の澄んだ海の中に、水の国は存在していた。王城は深い海溝の底に位置しており、そこからは幾本もの洞窟が縦へ横へと伸びている。その一つ――海面へと続く抜け道に、輝く影があった。

 海を紡いだかのような青い髪と、青い尾鰭。表情は、冒険に出かけた子供のそれと同じ。彼女――瑠璃姫は、一筋の水流となって、踊るように泳いでいた。動きに合わせて胸元の首飾りが何度も揺れた。

 浅い海域に入ったのだろう。水の色は薄く鮮やかだ。ここまで来ると人の気配さえない。あまり浴びることのない陽光が増え、少し息苦しかった。それを高揚感で打ち消して、彼女は歌を口ずさんだ。心が弾むような明るい歌だ。声は岩壁に反響して、どこかへと流れていく。

 やがて、誘われるように、一匹の魚が彼女に寄り添った。その数は瞬く間に増え、数分後には多種多様な水棲生物達の群れとなっていた。彼らは友人である瑠璃に、口々に語りかけた。桜珊瑚の産卵があったこと。遠くから嵐が近づいていること。海面を泳ぐ木の鯨がいること。どれも城内では聞けない話ばかりだ。瑠璃は目を輝かせながら、彼らの話に聞き入った。そんな中、小さな幼魚が興奮収まらぬ様子で泳いできた。

「むこうに見たことない生き物がいるよ」

「見たことのない生き物?」

 瑠璃は小魚を促す。言葉から受ける恐怖よりも、好奇心の方が遥かに上回っていた。そんな彼女を抑えるように、海亀が静かに答えた。

「ああ、あれは空族だ」

 胸の奥がぎゅうっと締め付けられた。一瞬だけ、昔の記憶が頭を過ぎった。傍らで「空の国の人?」と幼魚が返した。

「どうして? 海には入れないんじゃないの?」

「捕らえられたのだろう」

 海亀の言葉が頭に響く。理解できないのか、幼魚は小難しい顔をしている。水の国の誰かが空族を捕らえた。瑠璃は心の中で復唱した。何かとても嫌なものを感じた。

「私、見てくる」

 瑠璃はすぐに速度を上げた。彼女は、水中で最も速いとされる水の国の王族。他のものは追いかけることさえままならない。

「お気をつけて。あそこはニンゲンが出ますので」

「わかった!」

 返事を投げて、瑠璃は幼魚が来た洞窟へと泳いでいった。洞窟は曲がりくねって行く手を阻んだが、彼女の速度では一瞬だった。洞窟を抜けた先、そこには見たことのない寂しい風景が広がっていた。

 そこは岩場だった。瑠璃の背より大きな岩が、幾つも砂に刺さっている。生き物の姿はなかった。仰ぎ見れば海面は程近い。岩は単調な形ばかりで、何故だか珊瑚も居ない。ここではすぐに人間に見つかってしまうのだろう。どうしてこんな場所に。泳ぎが止まりそうになって、彼女は雑念を振り払った。

 速度を緩めて、瑠璃は先へ進んだ。やがて、岩の影に隠れるように、ぼんやりと異物が見えた。檻のようだった。大きさは周りの岩とあまり変わらない。中に、何か見える。瑠璃は近づいた。手前まで来た頃、青く霞んでいたそれは明確に形を成していた。

 その時、何が心を急き立てていたのかが、分かった気がした。

 その人は狭い檻の中に座り込み、うな垂れていた。上半身を泡で覆われ、息苦しそうだ。白、そんな印象を一番に受ける。儚げで、華奢というだけではなくて、髪も肌も全部が白いのだ。後ろに背負っているのは鯨の胸鰭のように大きく一対の――空族が空を泳ぐ為に使うツバサというもの。二股の脚は太く、足首から先は細いが頑丈な木のようで、鋭い爪があった。ツバサにも脚にも鱗はない。やはり白色の、柔らかい毛に包まれている。

「羅羽……」

 自然と瑠璃は名前を口にした。それに反応してか、彼――ラウは緩慢に顔を上げ、目を開いた。その瞳は、赤珊瑚と同じ色をしていた。

「羅羽! あなた羅羽ね!」

 思わず鉄の檻を掴んだ。姿が変わってしまっていても、彼女は分かっていた。例え、空族の者全てが彼と同じ瞳と毛色を持っていたとしても、瑠璃は迷わず彼を見つけただろう。

 胸が熱くなって、言葉に詰まった。まず何から話そう。伝えたいことは溢れる程ある。ただ、今はそれより優先すべきことがあると、理性が彼女を押し留めた。

「あ! 待ってて、今出すからっ」

 彼を残して、瑠璃は檻を一周した。怪訝に思って、それからもう二周。確かめるように鉄の棒を手で触った。見た目通り頑丈だ。ふと気づいて、天井を引き上げたが、金具が音を立てるだけで抜けるような事はない。

「これ、どうやって開けるの……?」

 檻には扉がなかった。厚い鉄板に、鉄の籠を被せた形。人間が作った物だろうから、良く分からない。開かない筈はないのに。

『君は――』

 声が思考を遮った。くぐもった声だった。泡の向こうで喋っている所為だ。ラウは一度言葉を飲み込んでから、再び口を開いた。


『君は誰?』


 その言葉を嚥下するまでに、しばらく時間がかかった。自分のことを訊ねられているのだと、その後で気がついた。

「わたし? わ、忘れちゃったの? わたし、瑠璃だよ?

 あ、大きくなったから、分からないのかもしれないけど。昔、島で一緒に遊んでた……」

 ラウは反応を返さない。声は届いている。何を言っているのか、分からない筈はない。瑠璃の心は急き立った。

「ほらっ、あの時の首飾りだって、ちゃんと持ってるもの!」

 瑠璃は胸元の首飾りを見せた。青い〝星〟がキラリと輝く。分からない筈はない。これは彼の物だ。彼が彼女に手渡した物なのだ。

 だが、ラウは首飾りに視線を向けることなく、ただ瑠璃を見詰めた。か細い輝きなど、欠片も届いていないかのようだった。

『――ルリ姫? 水の国の王女の』

「う、うん。そうだけど……?」

『どうして王族がこんな場所に……』

 ラウが呟いた言葉は、訊ねるというよりは呆れているように聞こえた。胸の奥がチクリと痛んだ。区別するような言葉だ。

「きみとぼくはどこも違わないよ」

 そう話してくれた幼い彼が、一瞬だけ過ぎって消えた。

 彼は少し逡巡した後、言葉を続けた。

『僕は、違いますよ。あなたの思っている人じゃない。申し訳ないですが、人違いです』

「そんな筈ないっ」

 瑠璃は咄嗟に言い返した。悲しんでいるのか怒っているのか、自分でも分からなかった。

「あなたは羅羽よ。私には分かるもの……っ」

 ラウが顔を上げ、見据えてくる。瞳孔の細い赤い瞳には、何の感情も見つけられない。瑠璃は少しだけ身を引いた。

 そんな筈ない。そんな筈は、ない。

 思いが胸の奥で渦巻いていた。

「ご、ごめんなさい。大きな声だして……」

 しばらくの沈黙の後、瑠璃は切り出した。

「今は出してあげられないけれど、私がきっとなんとかするから。だから、今日は、帰るけど――また、来るね」

 最後には小さな呟きになっていた。歯痒さと悔しさで唇が震えた。不安もあった。これ以上喋れば、何か良くない気持ちが溢れ出してしまいそうで、気づかれてしまいそうで、それが怖かった。

「じゃあ、またね」

 少しだけ躊躇ってから、瑠璃は泳ぎ始めた。きっと今は何も出来ない。情けない思考に、海水が重く圧し掛かった。

『ルリ姫様』

 そんな彼女の背中に、言葉が投げられた。静かな声音だ。瑠璃はすぐに振り返る。彼は、期待とは裏腹に、冷たい表情のままでいた。

『ここへはもう来ない方がいい』

 「う」と声が漏れていた。きっと酷い顔をしている。思いを押し留めるだけで精一杯で、その言葉に込められた意味は、瑠璃には理解出来なかった。

「また来る!」

 子供のように意固地に突き返して、瑠璃は泳いだ。もう振り返りはしなかった。


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