指輪
瞼を押し上げると、大量の光が目に飛び込んできた。白く染まる世界。それを背景に、誰かの姿が浮かび上がる。
輝く青い髪と滑らかな背。白いワンピース。素足で駆けたのか、足の裏には砂粒がついている。その人は体の脇に両足をつけ、彼の傍らに腰を下ろしていた。
瑠璃? 発しようとした言葉は、覚めきらない体では上手く声にならなかった。どうして、と懲りずに問いかけそうになって、その前に、周りの風景が目に入る。空は晴れ渡り、雲ひとつない。砂浜の向こうには、青を写した海がどこまでも広がって、その果てで空と溶け合っている。まるで、境界など世界のどこにも存在しないかのように。
光に溢れる景色を背負って、彼女は何かをかざしていた。華奢な手からキラリと青い輝きが零れた。宝石。直感的にそう思った。それには見覚えがある気がした。
よほど見入っているのか、目を覚ました彼に気づいた様子もない。彼女はしばらくそうした後、ふと小首を傾げた。
「星?」
「ヒトデじゃないかな」
「あ」とも「う」ともつかない鳴き声があがった。自然と表情が和らいでいた。彼女の隣はとても心地いい。時折不安になるくらい。
「あの、ラウ。ご、ごめんなさい」
彼女は弱弱しく謝罪して、持っていた物を彼の手に置いた。小さな指輪だった。中央には菱形に整えられた青い宝石が五つ、放射状に組み合わせられている。彼の持ち物だった。
「盗ろうと思ってたわけじゃないよ? ただ、綺麗だったから、ちょっと見ていただけで……」
消え入りそうな声だった。それから彼女は、ごめんなさいと再び唇を動かした。彼は「怒ってないよ」と、優しく伝えた。怒りなんて持つ筈がない。あるのは恐怖と躊躇い、そして浅はかな期待だ。彼女が指輪を見てしまったからには、話さなければならない。いつかは言おうと思っていたことだ。だが、こんなことでもなければ、どうせ話さずにいたのだろう。
「いいんだ。それは――君の物だから」
彼女は何度か瞬きをした。今ならまだ取り消せる。そんな思いが、一瞬だけ頭を過ぎった。
「ペンダントの代わり。何がいいか色々と考えたんだ。でも、君に贈るなら指輪がいいかなって」
「いや」と彼は言葉を濁す。傲慢だ。少し前の彼なら、こんなことは決して口にしなかった。
「驕り過ぎかもしれないけれど……」
その場に沈黙が落ちた。彼は目をそらしたままでいた。それでいて、どこか優しい言葉を期待している自分に心底嫌気がさした。
確かめなければならないと思っていた。彼女は確かにここにいる。確かに、彼の目の前にいる。だが、彼女の手にはもう何もない。全て彼が奪ってしまった。未来を選び取る権利すら、失わせた。彼女は他人を責めるということを知らないが、それで自身を許してしまうのはあまりに身勝手だろう。彼女が何も言わなくとも、命の続く限りその罪を背負うと、そう心に決めていた。
唇を引き結んで、彼は顔を上げた。彼女が口を開いたのは、ちょうどその時だった。
「私、嬉しい」
ゆっくり、溢れる思いを全て言葉に乗せるように、ゆっくりと彼女は言った。
「すごく嬉しいよ。ラウ」
彼女がそうはにかんだ笑顔を浮かべたから、彼はどうしたらいいのか分からなくなった。そんな彼を前に、彼女は「ん」と手を差し出した。考える間もなく、彼はその手をとっていた。
もしかしたら夢かもしれないな。彼は思った。あの時から紡いだ時間は全て幻想で、あの時にした選択も自身の願望でしかなかったのかもしれない。ここは本当にあの場所ではないのか。本当に現実なのか。死の間際の幻想か、それとも死後の世界か。
彼女の手に力がこもったのを感じた。その手は確かに温かかった。一度は失われていた筈の彼女の温もりだ。
彼は彼女の目を見据えた。僅かばかりの陰りもない、青く澄んだ瞳。心の奥を、すっと落ち着かせてくれるような、そんな色。
「……少し、長くなるけど、いいかな?」
決意を込めて、彼は言葉を紡いでいた。
それは、隠し続けていた遠い記憶。果てのない闇の奥深くへと、ひたすら進み続けるような物語。知られたくなかった。醜い存在なのだと、彼女には気づかれたくなかった。でも、本当は、ずっと話したいと思っていたんだ。
「君に聞いてもらいたい事がたくさんあるんだ」