結末
全て終わってしまった。ただそれだけのことが理解出来ずに、彼は立ち尽くしていた。
どこまでも暗い世界だった。空は暗雲に飲み込まれ、海は黒く、一片の輝きも許さない暗黒と化している。浜辺に広がるのは、波の音さえ聞こえぬような、皮肉な程の静寂。その中で、呼吸音と鼓動だけがやけに煩く響いて、それを感じる度に彼の心は塗りつぶされていった。
海面に打ちつけていた豪雨は、もう随分前に止んでいた。
彼は胸まで海水に浸かり、ただひたすら、腕の中のものに視線を落としていた。それは、彼よりも、夜の海よりも冷たかった。
その姿は、見る者にラピスラズリを思い起こさせる。水中でたゆたう長い髪は未だに眩く、閉じられた瞼の奥も、本当はそれに劣らぬ程の光を宿していた。空色の宝石だ。下半身を覆う鱗はまさにそれだった。海族特有の尾鰭は、彼女の泳ぎに合わせていつも輝いていた。しかし、その光景を見ることはもうない。彼女の尾鰭は幾つも鱗が剥がれ落ち、裂け、肉が覗いていた。何者も、この痛ましい傷を完治させることは叶わないだろう。
そうでなくとも、彼女はもう――。
「ルリ」
口の中で小さく呟いた。何度も何度も呼び続けた名前。もう、目を覚まさないことは分かっている。歌うこともなければ、笑うこともない。彼女は死んでしまった。死んでしまったんだ。
波が嘲るように彼を揺さぶり、僅かばかりしかない体温を奪っていく。絶え間ない流血の所為か、それとも罪の意識の所為か、頭は朦朧とし、体は動くことを放棄している。漠然と、最期を認識した。ここで終わってしまうのか。それもいいのかも知れない。
これが最後と頭上を仰ぎ見た。いつか彼女と見た筈の煌めきは、どこにもなかった。
こんなことになるのなら、始めから出会わなければよかった。約束なんてしなければよかった。身の程を知って、彼女を遠ざけてしまえばよかった。結局、彼は奪うことしか出来なかった。始めから分かっていた筈だ。彼は全てを奪う者。絶えることのない大罪を背負う者。
停止した頭の奥で、記憶が這いずり回る。振り払うように、彼は目を閉じた。体が沈み込んでいく。息をするのが辛い。瞼の裏は黒く塗りつぶされ、意識が、崩れ落ちていく。世界から切り離される感覚。全てが遠くなって、その中で、波の音だけが延々と続いていた。
「ラウ」
暗闇の中、彼女の呼ぶ声が聞こえた気がした。