一.良い子が町にやってくる
坂道の先には、きっと誰かが待っている
苦しくても頑張ってみようか
―良い子の心構え―
夏休みも本番に差し掛かる頃、一人の少女が海辺の町へやって来た。帰ってきたという方が正しいのかもしれない。少女は、十三年前にその町で生まれて間もなく母親と他所へ移った。初めて目にする故郷を見渡した少女は、満足げに微笑んだ。駅を出て、キオスクの前に立っていると、紺色の軽自動車が止まった。窓が開いて、三十前半位の男が顔を出した。男は、無遠慮に少女をじろじろと眺めた後、口を開いた。
「田賀良子だよな」
「はい。あなたは、新田晃さんですね。お葬式の時は、きちんと挨拶もせず、失礼しました」
男は、いいからいいからと手振りをすると、後部座席を指した。
「さっさと乗ってくれ。すぐに仕事に戻りたいんだ」
良子は、頷くと、背中に担いだバックパックと一緒に車に乗り込んだ。
ふたりを乗せた車は、海岸線を走っていたので、物珍しげに外の景色を眺めていた良子だったが、しばらくして男に話しかけた。
「あなたのことは、なんとお呼びすればいいでしょうか」
「あんたが好きなように呼べばいい」
「おじさんでもいいですか」
「いいよ。俺は、あんたの叔父だしな」
「では、そうします。私のことは、よしこと呼んでください。」
「いつも思っていたんだが、姉さんのネーミングセンスおかしくないか」
「仕方ないです。お母さんは、自分が極悪人だと信じていて、娘だけはまともな人間になってほしいと願いを込めて、私に名前をつけたそうです」
「とんでもない女だな」
晃は、そう言いながら、たばこに火をつけた。良子は、一瞬顔を顰めてから、窓を開けた。
「私には、優しい母親ですよ」
「三十過ぎて定職に就かない弟に大事な娘を預ける母親が優しいと思うのか。それに今までだって、母さんのところにしょっちゅう預けられていたんだろう」
「そんな風に言わないでください。豊竹さんは、今までの男性とは違うんです。お祖母さんのお葬式の時、親身になってお母さんを手伝ってくださったし、私の進学の面倒も見てくれるって申し出てくださったんです」
「でも、一緒に暮らせないってか」
晃は、ぼそりと呟いた。ミラー越しに後部座席を盗み見たが、俯いている良子の表情を読み取ることはできなかった。良子は、少し低い声で答えた。
「おじさんには、ご迷惑かけて本当に申し訳ないと思っています。」
その言葉を聞いた時、晃は、ふと先日の葬式の後で見た光景を思い出した。葬儀中、良子は、泣いていなかった。ただ親族がほとんど帰った後、良子は、誰もいない祖母の部屋で背中を丸め、畳に頭をこすりつけていた。か細い嗚咽を聞こえ、泣いているのだと気付いた。その後、姉から娘を預かってほしいと言われた時、晃は、自分でもなぜか分からないが、了承していた。
謝るのは、大人達の方なのかもしれない。晃は、たばこを灰皿に入れると、エンジンを切った。
「自分で納得しているなら、家においてやることはかまわないさ。さあ、着いたぞ」