浅井長政(4)
光秀
(長政との会話に集中していたところに信奈様の姿を見つけ、慌てて一礼する)
あっ、信奈様!ちょうど良かったです。浅井長政様が同盟について真剣に考えてくださっていて、お市様との婚姻も前向きにお受けいただけるとのこと。
領土の安堵と自治権を明記した盟約書を作成することで、家中の不安も払拭できそうですわ。長政様は思っていた以上に慎重で賢明な方ですね。
これで上洛への道筋が一つクリアになりますね。お市様にも良いお話ができると思います。
信奈
信奈
そうよ長政、お市との婚姻は対等な関係よ。この織田信奈が求めるのは支配ではなく、共に天下を変える仲間なの。領土安堵の件と浅井家の自治権、軍事力の提供、盟約書を作成して保証するわ。
朝倉家との縁は切れるかもしれないけど、その代わりに新しい未来が開けるわ。近江から京へ至る道...
光秀
(信奈様の堂々とした態度に思わず見入ってしまう)
さすが信奈様、長政様に向かって直接語りかけるなんて...。でもこれが一番いいわね。誤解なく気持ちが伝わるもの。
盟約書の件も前向きに進んでるし、お市様との婚姻も対等な関係として認められてる。この調子なら浅井家との同盟は固いものになりそう。
朝倉家との決別は辛いでしょうけど、新しい時代を作るためには必要な選択よね。近江から京へ至る道...私たちが歴史を変えられるかもしれない。
信奈
信奈「長政がそこまで言ってくれるなんて、これは良い兆候ね!
(嬉しそうに手を叩きながら)
お市も茶の湯が好きだから、きっと二人は相性がいいわ。朝倉家との問題も長政自身が解決する覚悟があるなら、この織田信奈も全力で支援するわよ。
光秀、あなたの外交手腕は素晴らしいわ。未来の知恵も活かして、浅井家との同盟を固く結びましょう。これで京への道が開ける...天下統一への大きな一歩ね!」
光秀
(信奈様の嬉しそうな様子に思わず微笑む)
やっぱり信奈様は喜んでくれたわね!長政様の決意、しっかり伝わったみたい。
お市様と長政様、茶の湯を通じて心を通わせるなんて素敵よね。これで朝倉家の問題も解決に向かえば、上洛への道筋が見えてくるわ。
でも油断は禁物よ。浅井家中には反対派もいるだろうし、久政様の説得も簡単じゃないはず。未来の知恵を活かして、この同盟を盤石にしないと!
ねぇ、信奈様。盟約書の草案、早速準備しましょうか?領土安堵と自治権の保証は具体的に明記した方がいいと思うわ。
信奈
デ、アルカ!さすが光秀、すぐに実務的な話に移れるのが頼もしいわ!
(嬉しそうに頷きながら)
そうね、盟約書は早急に準備しましょう。長政の決意を形にするためにも、領土安堵と自治権は明確に記載するわ。この織田信奈が約束したことは必ず守るという証よ。
お市と長政が茶の湯で心を通わせるなんて...姉としては複雑だけど、天下統一のためには必要な縁組みね。朝倉家の問題も含めて、上洛への道筋が見えてきたわ!
でも確かに油断は禁物よ。久政の説得や家中の反対派への対策も練らないと...未来の知恵を貸してくれる?
光秀
(信奈様の熱意に胸が高鳴る)
もちろんよ!未来の知恵を活かせば、久政様の説得も家中の反対派への対策も万全にできるはず。歴史では浅井家は朝倉家との関係で苦悩するけど、今回は違う道を歩めるチャンスよ!
盟約書には領土安堵だけでなく、織田家からの経済支援や文化交流の条項も入れたら?長政様は内政に熱心だから、そういう実利的な部分も大事だと思うわ。
それと、お市様には事前に長政様の人柄や趣味について詳しく伝えておくといいかも。茶の湯の話とか、内政改革への情熱とか...互いを理解し合えれば、政略以上の絆が生まれるはずよ!
信奈
デアルカ!さすが相良、地ならしから光秀との連携まで完璧ね!
(嬉しそうに手を叩く)
あの子は細かい所まで気が利くから、同盟の条文作成も安心して任せられるわ。お市のことまで詰めてくれたなんて...この織田信奈、感激よ!
未来の知恵と現在の政治手腕、そして光秀の几帳面さが合わされば、浅井家との同盟も盤石ね。茶室で三人、今後の計画を練りましょう!
光秀
(信奈様の喜びように思わず笑みがこぼれる)
そうね、茶室で話し合うのはいいアイデアだわ!長政様も茶の湯がお好きだから、きっとリラックスして本音で話せるはず。
未来の知恵といえば、歴史では浅井家が織田家を裏切る原因になった要因を避けることも大事ね。朝倉家との関係はもちろん、六角氏の圧力や領国内の対立も要注意よ。
盟約書には文化交流や経済協力の条項も入れて、単なる軍事同盟以上の絆を作りましょう。お市様と長政様の幸せも考えないと...政略だけじゃ本当の同盟にはならないもの。
※六角氏と三好氏の攻防
戦国時代中頃、六角定頼(高頼の次男)は第12代将軍足利義晴(義高の子)や第13代将軍足利義輝をたびたび庇護し、天文法華の乱の鎮圧にも関与した。近江蒲生郡観音寺城を本拠として近江一帯に一大勢力を築き上げたのみならず伊賀国や伊勢国の一部(北勢四十八家が支配する北伊勢地域)までにも影響力を及ぼしたとされ、六角氏の最盛期を創出し、阿波国から畿内に進出した三好氏と度々争った。
しかし定頼の死後、跡を継いだ六角義賢の代においても、畿内の覇権を握った三好長慶と度々争ったが、永禄3年(1560年)に野良田の戦いで浅井長政と戦って敗れるなど六角氏の勢力は陰りを見せ始める。
義賢の嫡男・六角義治(義弼)は家督を継いだ後、永禄6年(1563年)に重臣の後藤賢豊父子を殺害したが、これを契機に家中で内紛(観音寺騒動)が起き、六角氏式目への署名を余儀なくされ、六角氏当主の権力は弱体化した。
六角氏は六角義賢・義治父子の時代に大きく衰退し、永禄11年(1568年)、織田信奈率いる上洛軍と戦って敗れ、居城である観音寺城を去った。




